特集 質保証と学生カルテを考える

 「授業についていけない」「友達ができない」「学園生活が不安」「卒業進路の悩み」「中途退学」などが大きな課題となっており、大学として責任ある教育・学習支援の在り方が問われてきている。学生が希望する進路に向けた適切な学びが実現できるよう、学部、学科単位で学生と教職員が問題認識を共有し、学生一人ひとりの課題と向き合い、組織的に生活指導、学習指導、キャリア形成指導を行うことが要請されている。このような課題へ対応するため、学生に将来の目標を見出させ、自己管理・点検できるよう、教職員によるきめ細かな助言を実現するコミュニケーション機能が必要であり、それを可能にするシステムとして「学生カルテ」の活用がある。
 本特集では、「学生カルテ」導入による学生の質保証への取り組みとして、大学または学部としての組織的な対応を紹介いただき、その現状および今後の課題を大局的に捉えることにした。

札幌学院大学における学生カルテの活用
〜真の学生支援ツールとしての学生指導シート「はぐくみ」の活用〜

1.はじめに

 札幌学院大学は5学部9学科、大学院3研究科を設置する文科系総合大学です。学生数は約4,300名、すべての学生を初年次からゼミナールに配属してきめ細かな修学指導を行う体制を整えるなど、学生一人ひとりに対する丁寧な教育を目指しています。
 学生カルテの導入を検討したのは2003年度、「大学全入化時代」の到来を控え、新入生の基礎学力が年々低下する傾向が認められた時期でした。本学は社会的使命として学生の質的変化に向き合い、的確な対応を取ることを事業計画で宣言し、次の三つのキーワードを掲げて学生支援態勢の拡充に取り組むことを目指しました。

○エンパワーメント(力能を高める)
 学生の個性や多様な活動を評価してキャリア形成を支援し、学生にでき得る限りの力をつけて卒業・就職させる。

○サポート(学びを支援する)
 そのために教職員が連携して組織的なサポート態勢を確立する。

○エンカレッジメント(勇気づける)
 学生が自らの力で伸びていく多様な仕掛けを工夫し、学生の自主性や熱意を評価し、奨励する。
 学生カルテはこれを推進するツールです。個々の学生の人間的魅力を発見し、正課教育のみならずサークルやボランティア活動等も評価しながら総合的な人間力を“はぐくむ”ことを目指しました。こういった経過から本学では学生カルテのことを学生指導シート「はぐくみ」と呼んでいます。

2.サイバーチューターという考え方

 「はぐくみ」を利用して教員は研究室から、職員は事務室から学生情報を閲覧し、指導履歴を共有することができます。これは、学生情報を中心に教職員と各部局が連携し、それぞれの専門性を発揮した個別支援を展開するための学生情報活用モデルと言えます。
 このモデルを具体化するにあたって私立大学情報教育協会から「サイバーチューター」という示唆をいただきました。チューター制、すなわち英国のカレッジにおける伝統的な個人指導は、教師と学生の親密な人間関係が大切にされ、教師と学生が1対1で向き合う教育が重視されます。「サイバーチューター」とは、学生数4千数百名、教職員数200名規模の文科系大学において、これを効率的、経済的に実現するとともに、個別指導の品質を高めるためのICT(情報コミュニケーション技術)活用モデルと言えます。

3.「はぐくみ」が取り扱う情報

 「はぐくみ」が取り扱う情報は多岐に亘り、履修、成績、求職、進路、課外活動といった基本データに止まらず、次のような情報も備えています。

 例えば、キャリア教育で使う「コンピテンシー診断」の結果を閲覧することができます。「学生の強み、弱み」、「企業が求める人材像とのギャップ」、「目指す人材像に近づくためのアプローチ」を把握することによって、学生の特性に応じたキャリア形成支援を展開しています。また、学生からの相談や教職員の指導・助言の内容を必要に応じて共有することができます(図1)。定型的な基本データだけでは得られない情報を活用し、指導の質保証を図っているのです。一つの事例として、入学時のプレースメント・テストで英語の履修に不安を感じた新入生に対して、ゼミナール担当教員、教務課、学習支援室ならびに英語担当教員が連携して学習支援や励ましを行った結果、学生が英語に興味・関心を抱き、能力テスト「TOEIC」の受験へ向けて意欲的に学習に取り組むようになったケースなどがあります。

図1 支援・指導の内容を関係者間で共有
図1 支援・指導の内容を関係者間で共有

4.人権やプライバシーを保護するために

 「はぐくみ」の運用にあたっては学生の人権やプライバシーを保護するための厳格な対策を実施しなければなりません。一方で、根拠のない“過剰反応”によって情報の有効活用を阻害するような状態に陥ってはなりません。
 本学では「はぐくみ」の運用開始と合わせて2004年度に情報セキュリティに関する全学的な基本方針を定め、すべての教職員がこれに従って情報の活用と保護を実現する基盤を構築しました。その基本的な考え方は、「情報を最大活用するために徹底的に保護する」というものです。特に、本学では人的対策と組織的対策に注力しています。例えば、個人情報保護に関する教職員の理解と意識の向上を促すために「情報セキュリティメール通信」を発行していますが、ここでは日常に潜む危険や身近な事件を題材とした問題提起を行うなど、教職員への注意喚起と啓発を編集理念としています。また、「はぐくみ」のアクセス権限の設定は、これを各データの所管部署に担わせるのではなく、学長(実質的には教員部長会議)と情報セキュリティ委員会が相互に調整を図りながらニーズとリスクを評価して、適正な状態を維持する体制を備えています。

5.組織的な情報活用を実質化するために

 学生情報共有ツールを導入しただけでは真の学生支援は実現しません。すべての教職員が情報の内容と意味を理解し、行動と統合された状態を創り出すことが求められます。これは、教職員の協働による新たな文化形成に向けた取り組みとも言えます。
 本学では、学生指導力の向上を目的として教職員対象の「コーチング研修会」を開催していますが、このイベントには教職員がフラットに対話する「場」を提供するという狙いがあります(写真1)。つまり、自由な対話の中から「はぐくみ」を組織的に活用しようとする教職員の意識形成を促すことを目指しているのです。

写真1 教職員がフラットに対話する場づくり
写真1 教職員がフラットに対話する場づくり

 参加者からは「普段は教職員が学生支援について意見を話し合う機会がないため、互いの持つ悩みや課題、それぞれの取り組みなどを知り、共有できたことがよかった」等の感想が寄せられています。こういった「場」を継続的に用意することは、大学のビジョンの共有を図り、教職員一人ひとりの意識や行動原則を変化させる上で重要な意味を持つと考えています。

6.学部としての組織的な取り組み

 各学部の教務委員会を中心に「はぐくみ」を修学指導のツールとして活用しようという機運が高まっています。この背景には、中途退学者数の増加に歯止めをかけたいという事情があり、2009年度は1学部を除くすべての学部と総合教育センターで「はぐくみ」を活用した学生指導が展開されることになりました。以下に、二つの組織的取り組みを紹介します。

(1)初年次の出席情報に基づく学生指導
 初年次の基礎科目の出席状況をもとに、不登校から休退学につながる学生の予兆を捉え、教職員が情報を共有しながら面談指導にあたった事例です。
 図2のように「はぐくみ」には学生の動き(連続欠席、欠席から出席への変化など)をカレンダー形式で視覚的に把握するシートが用意されています。社会情報学部では5月の連休明けにゼミナール担当教員、教務委員、学部長と教務課が「はぐくみ」を通じて連携し、欠席傾向にある学生との個人面談を展開しました。その結果、欠席の多い13名の学生のうち8名を回復させるという成果を得ています。
 この取り組みを総括的に評価し、例えば「出欠席動向のパターンに応じた効果的な指導法の開発」など、実践的な情報活用モデルを導き出すことが今後の課題と考えています。

図2 出席状況の変化を視覚的に把握する
図2 出席状況の変化を視覚的に把握する

(2)共通の「学士力」育成のための情報共有
 ライティングスキルは共通の「学士力」を構成する重要な要素です。しかし、本学ではこのスキルの育成を初年次基礎科目「論述・作文」での単発的な取り組みに止め、これを応用的に伸ばす場を与えてきませんでした。
 そこで、人文学部こども発達学科では「論述・作文」の学習成果を「はぐくみ」を通じて共有し、専門教育と連携した4年間一貫教育によって応用的なスキル育成を試みることとしました。共有する情報は「添削されたレポート」と「スキル評価シート」です。このうち、「スキル評価シート」は「文章の論理的構成」や「結論と論拠の関連性」など、具体的な評価指標と評価基準から構成されています。これは「論述・作文」を担当する教員グループが開発したもので、客観的で信頼性の高い情報となっています。
 こども発達学科では、これらの情報を参照しながら学生のライティングスキル高め、このスキルをあらゆる領域で活用しようとする意欲や態度を涵養することを目指しています。
 なお、この取り組みは共通の「学士力」育成に対する教員の問題意識を喚起し、カリキュラムを横断した教育プログラムに対する課題認識を共有する効果も期待できます。

7.まとめ

 「はぐくみ」を真の学生支援ツールとして活用するためには、教職員を新たな価値創造の「場」に導く装置として機能させることが重要と考えます。例えば、ライティングスキル育成の例で示したように、学生一人ひとりの学びを支援する取り組みと「学士力」に関する教職員間の概念共有を促す取り組みが連携するようなスタイル、あるいはコーチング研修の例で示したように、教職員が真に協働する新たな組織文化形成を促す取り組みなどが有用と考えます。
 また、学生支援に関する成功事例や失敗事例、ここから導き出されたノウハウや標準プロセスは大学の貴重な財産です。これを形成するためには多様な試行を実践し、それを検証・分析して新たな知や行動に結びつけるアプローチが必要不可欠です。特に、評価システムを確立して問題の原因を解き明かし、想定される問題の事前察知や的確な対応を取る体制の構築が求められます。このように、「はぐくみ」を危機の抑止、あるいは安全網として機能させることも今後の検討課題と考えています。
 一方、「はぐくみ」のシステム的な改善の方向性として、一人ひとりの学生の潜在的な個性や能力を発見し、これを豊かに伸ばすための機能をさらに強化することが課題と考えています。冒頭で示した三つのキーワード、「エンパワーメント」、「サポート」、「エンカレッジメント」を推進するというテーマです。例えば、ライティングスキル育成の例のように学生の学びの成果を共有し、目標達成へ向けた個別支援を展開するツール、いわゆる「ポートフォリオ」への発展などが求められていると考えます。そこで、今後はポートフォリオシステムとの連携、あるいは融合という視点から「はぐくみ」の機能改善へ向けた研究を進めていきたいと考えています。

文責: 札幌学院大学電子計算機センター長 新國 三千代
情報処理課長 斉藤 和郎

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