化学の教育における情報技術の活用


ノートレス講義の試み


竹内 敬人(神奈川大学理学部教授)



1.はじめに

 世を挙げてIT時代が来たといいます。ネット大学も誕生しました。文部科学省はネット講義にも単位を認定してよいと決めました。しかし、本当に教育が一気に変わるでしょうか、と聞かれれば、私は「さあ・・・」と答える側に回るでしょう。現に高校や大学では、昔ながらの黒板とチョークの助けを借りた教師の講義がほとんどで、それがすぐに消えるとは考えにくいのです。
 私は伝統的な講義形式を否定するつもりはありません。それどころか、IT化がどんなに進んでも、紙に印刷した本が無くならないように(これは私の願望でもあります)、教室で教師と学生が対面して行う講義は、教育の原点であり、なくなってはならないものである、と私は信じています。ネット講義は、伝統的講義を補填するものではあっても、これに置き換わるものではありません。しかし、私は、伝統的講義がそのままでいいとは思っていません。伝統的講義が存続するためには、内容の問題は別にして、時代に即応した技術的な改良がなされることが必要です。その努力を怠れば、ネット講義に圧倒されるようになるおそれが多分にあります。
 インターネットの登場のインパクトは、いまさらここで述べるまでもないでしょう。コンピュータが伝統的講義を支援する役割を果たしてきたとすれば、インターネットは伝統的講義を支援する役割を果たすとともに、それに取って替わりうるものに成長しつつあるといえます。このような状況の中で、伝統的講義が生き残るためには、近代化され、特にネット世代ともいうべき若い学生にとって、魅力あるものとまではいかないにしても、学びやすいものにならなければなりません。


2.ノート神話への挑戦

 私が学生であったころは、ひたすら先生の講義や、講義の要点の板書をノートにとり、試験の前にはそのノートを繰り返し読んだものでした。教師になってからは、立場は逆になりましたが、講義の中でのノートの役割は同じでした。これは大学だけではなく、小中高でも同じです。しかし、大学ではノートは何にもまして大切でした。教科書を使わない、または指定しても実際にはそれとは関係ない講義を行う教授も少なくなかったので、ノートが教科書の代わりでもあったからです。
 私は、若いうちはともかく、今は大学1、2年程度のレベルでは必要であると確信して教科書を指定し、基本的にはそれに従って講義をしていますが、講義の要点、つまり教科書の要点を板書し、それを学生が懸命に写すという伝統的スタイルには疑問を感じていました。教科書のごく一部にしか神経を集中していないのだから、お互いに無駄をしているのではないか、という疑問です。とはいえ、昔は他に思案もなく、板書に何色ものチョークを使って、工夫を凝らしたつもりでした。しかし、アメリカの大学教科書が全ページ多色刷りになっていくのを見ると、チョーク作戦はまったく空しいものに見えてきたものでした。
 講義が指定された教科書に従って進められ、さらに不足がある場合にはハンドアウトが与えられる状況を考えたとき、ノートにどれだけの意味があるのでしょうか。学生はノートをとることによって、勉強したような気になってしまいます。しかし、実の所、ノートを取る作業に追われて、先生の話を聞く余裕はないのです。講義の間中、黒板に書かれていることを写すだけのコピー機の役割しか果たしていません。さらに問題になるのは、学生がもっぱらノートで勉強して、教科書で勉強しないことです。これではさわりしか学習しないことになります。このような判断から、「いっそ、ノートを取らせない講義ができないものだろうか」、と考えるようになりました。


3.ノートレス講義の始まり

 もちろんのことですが、学生にただ「板書はしないから、ノートを取らずに私の話を聞け」といっても無理な話です。講義が右から左に抜けていくだけに終わるでしょう。そこで私は何年かかけて、ノートレス講義の準備をしてきました。きっかけは岩波書店の依頼で、『化学入門コース』全8冊を編集したことでした。その中で、「化学の基礎」と「有機化学」[1]を執筆することになったのですが、私は後者を、そのとき既に担当していた講義、「基礎有機化学」の教科書に使うことにしました。構造式、化学反応式が多い教科書の図や表のほとんどすべてをCambridgeSoft社のChemDraw で書き、また、反応式などはかなり多めにしたのも、ノートレス講義を狙ったからです。
 教科書として使い始めた最初の年は、伝統的講義をしながら、教科書のすべての図、すべての表、すべての「まとめ」(教科書ではポイント)のMS-PowerPoint化を進めました。1学期で終えるように、教科書は12章からなり、1回の講義で1章進むことになります。各章は化学反応式や構造式、表が少なくて25コマくらい、多い章は50コマくらい含みます。私の講義はこのPowerPointを順に見せながら、丁寧に説明するというスタイルです。私は学生に、「まずは教科書と見比べながら、私の話を一生懸命聞け」と話し、また「教科書をノート代わりに使え」と助言して、講義の中で重要と感じたことを書き込むようにさせています。
 教科書の図と違ってPowerPointの利点は、カラー化、かつアニメ化できるところです。ここで、「ベンゼン環の共鳴によるフェノキシドイオンの安定化」の説明を例にしましょう。教科書には下のような図がのっているだけです。
図1 教科書に掲載の説明図
 矢印で示す電子移動を、いくら口で説明してもなかなか分かってもらえないものです。しかし、カラーとアニメ機能を使えば、これをPowerPoint で容易に表現できるのです。見てもらえばすぐ分かることなのですが、ともかく講義の様子を再現してみましょう。
 教壇の黒板の半分をカバーする大きなスクリーンには、まず(A1)が表れます。すると、矢印(カラーで)が飛びこんできて(A2)となります。さらに次の矢印が飛びこんできて、(A3) となり、これは(B1)に他ならないことが説明されます。以下、 (C) 、(D)と進めていくのに要する時間はせいぜい30秒ですが、板書すればもっと時間がかかりますし、それにアニメ効果はまったくありません。
図2 PowerPointによる説明図
 このようにして、約30コマを使って80分講義し、その後、10分を使って小テストを行うというのが私の講義の進め方です。


4.学生の反応と教育効果

 さて、ノートレス講義に学生がどう反応するか、また教育効果が上がったか、が問題になりましょう。これはなかなか難しい質問で、一通りの答えは出てきません。学生たちの反応は様々で、最初は戸惑う学生が少なくありません。「浮き袋を取り上げられた、うまく泳げない子」といった感じだ、と表現した学生もいました。これまで、ノートを取ることが即勉強、と思いこんできたのだから、無理もないことです。ノート信仰の強さを思い知らされる感じがします。一方、「ノートを取らないので、ゆとりを持って講義が聞けた」というコメントもありました。
 教師の立場からすると、伝統的講義よりは進度を速めることができるのも確かです。とにかく、これまで板書に使っていた時間を話す時間に充てることができるのだから当然でしょう。実際には進度を抑えて、毎時間、前の時間の復習にある程度の時間を使っています。
 学生の立場からすると、ノートレス講義についていくためには、相当の予習が必要です。これは伝統的講義と一番異なる点でしょう。「予習を前提にする講義などは非現実的である」というご批判もありそうです。しかし、この点に関しては、私はやや旧弊で、「予習してこなくて分からないなら、それは本人の責任である」、と突っぱねています。
 もう一つの担当科目、「分子構造決定法I」では、学生一人一人に買わせたHGS分子模型が中心でしたが、ここ1、2年の間に、この講義もかなりIT化してきました。まずテキストの「立体化学」[2]の主要部分を我々のWebページ[3]におき、誰でも自由に学習できるようにしました。もともと自習に適したプログラム学習形式だから、ネット教材として最適です。
 現在、このネット版の英語化を進めています。完成の暁には、IUPACの事業であり、我々が主催する世界化学教育ネットワークのWebページ[4]において、世界中の学生に利用して貰おうというわけです。夢は大きく持とう。


参考文献・URL
[1] 竹内 敬人:化学入門コース4, 有機化学. 岩波書店, 1998.
[2] 竹内 敬人:「立体化学」講談社サイエンティフィック, 1980.
[3] http://ce.t.soka.ac.jp/stereo/index-j.html
[4] http://www.t.soka.ac.jp:80/chem/wcen.html


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