巻頭言

ロゴス時代から情報時代へ


山本 敏明(長崎外国語大学理事長)


 情報社会は、次々に新しい情報を提供し続けています。現代は、一種の情報の氾濫の時を迎えているのだ、とも言われていますが、われわれは、情報という言葉それ自体に目を向けて、「情報とは何か」と問わねばならない時を迎えているのかもしれません。
 「病もまた情報によって決定づけられている」という言葉が分子生物学者たちによって発言されたとき、われわれは驚きと新鮮さとをもって情報という言葉を聞き、見直したものでした。遺伝子とは、情報そのものであるという発見は、情報それ自体が、政治学、経済学、文学は言うに及ばす、物理、化学、医学の全領域にわたって支配しているものであるという事実を明らかにしたからです。
 哲学、学問、科学の発展は、ギリシア人のロゴスの発見に、その機を発するといわれていますが、そのような意味においては、それに勝るとも劣らぬ重要さをもって歴史に登場したのが、情報という言葉なのかもしれません。ギリシア人たちは、ロゴスをもって宇宙万物の存在の哲理を説明しようとしました。ロゴス解明は、ソクラテスを生み、プラトン哲学となり、アリストテレス哲学へと発展しました。そして、中世のスコラ学として神学をも決定づけたばかりではなく、近代理性至上主義となって合理的科学主義の土壌を構成することになりました。ロゴス概念は、歴史の指導理念として立派にその役割を果してきたと言わなければなりません。
 しかし、二十世紀を決定づけた最も重用な存在を解く鍵の言葉は、「関係」という概念であることは周知の事実です。そして現代のわれわれは、ロゴスをもってしては、この関係という言葉を十分に説き明かすことができないという袋小路に入りこんでいるということもよく承知しています。
 理念界と物質界とを関係づけて解明するだけの力量をロゴスという言葉は持っていません。情報、という言葉が、誠に新鮮な響きをもって、受け入れられた理由は、存在、それ自体が、情報、という関係の原理によって構成されているのだ、という直観をわれわれに与えたからにほかなりません。
 情報とは、相互に関係づけられている生命の代名詞です。それは、また相互に補完し合おうとする愛の代名詞でもありましょう。しかるに、その情報が、同時に、存在の統合性を破壊する力ともなり、「米軍は宇宙にもう一つの基地を作り、『情報』を武器に変えた」という事態に立ち到ったのが現代だとするならば、情報としての存在の意味、存在としての情報の意味を人間として再吟味する時を迎えているのだ、と言わなければなりません。
 天と地とは情報的存在です。神と人間もまた相互情報的存在なのです。すべては交流と関係の中で成立をしています。
 IT社会は、人間とは情報的存在である、という事実を決定づけたという意味では、その貢献度たるや大であるといわねばなりません。人間は、情報がなければ瞬時として存在をすることはできません。しかし、その情報がIT的映像情報にのみ限定されるとすればどうなるのか。一切は、虚無であるという虚無主義へと到らざるを得ません。映像情報という虚無性は、やがて人類を虚脱現象に導くに違いありませんが、それ故にこそ、人類の覚醒もまた近づきつつあるのではなかろうかということに安堵して、IT機種にのみ浮かれていては大学の使命はどうなるのか、最近つくづく危惧する問題です。



【目次へ戻る】 【バックナンバー 一覧へ戻る】