授業改善奮闘記 −ITによるファカルティ・ディベロップメント−
IT革命奮闘記
兼清 弘之(明治大学政治経済学部教授)
IT革命の恐怖
手回しの計算機でガリガリ・チーンと計算していた日本からアメリカに留学し、IBM360を使って人口推計のレポートを作成したとき、これは革命だと驚いたものでした。その後、福祉の社会思想を研究テーマとして、コンピュータとは無縁の生活を送ってきました。
コンピュータがすでに電子計算機ではない時代になっていることを、こんどは西海岸で知ることになりました。1995年4月から一年間客員研究員として滞在したオレゴン大学で、IT革命がおこっている最中でした。
理工系の学生でパソコンを持っていない者はいませんが、文系の学生のなかには、まだパソコンを持っていない者もいました。法学部では、新入生の3割近くがパソコンを持っていないことが判明しました。早速、大学が割安のものを頒布するので、すぐ購入するようにとの指示が出されました。この指示は、紙に印刷した大学新聞に掲載されました。
オレゴン大学で実際に起ったIT革命の恐怖を一つ紹介しましょう。
ある学生が卒業に必要な科目をそろえて登録を済ませ、新学期のクラスに出てみると、どのクラスにも自分の名前がありません。驚いて調べてみると、登録した科目がことごとくキャンセルされて、その学期の履修はすべて体育実技になっていました。悪友に、暗証番号を知られた結果だったのです。
習うより慣れろ
オレゴン大学から帰ってみると、わが明治大学にもIT革命の波が高まっていました。
教員向けのIT講習会が何度も開催されたのですが、どうしたことか、それは必ず私の夜間部の講義がある曜日に設定されています。そんなことで、そのうち始めよう、そのうちと思っているうちに月日が流れて20世紀が終わりに近づいたある日、「お父さん、インターネットが使えないと21世紀は生きられないよ」とわが家の娘が言いました。
一念発起、夏休みに大学が開講しているエクステンションのパソコン教室に出ることにしました。クラスメイトは、新入生、近所のおばさん、ダークスーツに身を固めたおじさんなどいろいろですが、それぞれに授業料割り引きを利用しています。本学の学生は半額ですが、教授割り引きの制度はないとのことでした。
ともあれ、講習会は役立ちました。まず初級のワードによる文章作成のクラスに出ました。それまで使っていた手軽なワープロに比べ、操作がやたら面倒ですが、さまざまな編集作業が可能なことに感激しました。ここで学んだことは「急がば回れ」ということでした。次にインターネットのクラスに出ました。ここで学んだことは、不思議な仕組みについて詮索するのは止めて操作を覚え、道具はあくまでも道具として使えばよいということでした。
ホームページ作成のクラスにも出ました。かなりの量のページを編集しましたが、アップ・ロードは控えています。まず、自己紹介のページが面白くありません。高齢化社会の福祉政策はいかにあるべきかを解説したページは、さらに面白くありません。決定的な理由は、デジカメで撮った私の写真がアップに耐えないことです。
何を学ぶにも独学は大変です。必要に応じて何冊かの入門書やマニュアルを買いましたが、やはり人に聞くのが一番です。幸い、私の周りにいる若手の先生方や大学院の学生たちは、どんな質問にも懇切丁寧に応じてくれます。
もうひとつ重要なことは、習うより慣れることです。車の運転と同じで、理屈ではなく、なんとなく手が反応することが、パソコンの場合も大切なのです。その意味で、私用、大学用、学会用と私がメール・アドレスを三つも持っていることは、けっして無駄ではないのです。
パスワード
その後の苦労話は数々ありますが、省略することにします。というより、多すぎていちいち覚えていないからです。
現在では、授業にフロッピーを持参し、学生のレポートはメールで送らせています。手書きのレポートを持ってくる学生には「君、そんなことでは21世紀は生きられないよ」とかっこいい台詞をいえるところまできましたが、まだ安心できません。
わが大学の教壇には恐怖の箱が置いてあります。その箱をあけるには、身分証明書のプラスチックカードを通すことになっていますが、運を天にまかせるしかありません。「先生方がお持ちのカードの磁気は薄くなりがちなので、取扱いに注意してください」というアナウンスが教授会でなされたのは、忘れもしない2002年2月8日のことです。
こうして、箱は開くようになりましたが、その薄暗い箱の隅に小さなノートパソコンがおいてあり、それを操作するためには、ニックネーム、教員番号、ユーザー名、パスワード、など、さまざまな記号・番号を打ち込まなければなりません。
マウスのついていない小さなパソコンを薄暗い箱の中で使うのは大変です。手帳をだして「君、この中のどれかだと思うのだけれど、やってみてくれよ」と学生にたのむと、「先生だめですよ、そんなことをしては」と学生に注意されました。
それにしても、研究室のパソコンとゼミ教室のパソコンでは、打ち込む記号や番号が異なったり、教員番号のあとにpをつけたり、なぜこんな複雑なシステムになるのか、まだまだ不思議なことがたくさんあります。
ウィルスにはマスクで対応
IT化が進むと、ゼミの学生の間に風邪が流行するようです。「風邪を引いたので休ませて戴きます」というメールが増えてきました。
わが大学のLANにも、ウィルスが入り込んでくることがありますが、まさか学生の体にも感染するとは知りませんでした。同僚の教授に「悪質の風邪がはやっているようですね」と話すと、わがゼミでは「親の葬式くらいのことでゼミを休んではいけない。ゼミを休んでいいのは、自分の葬式の日だけだ」と言い渡してあるとのことでした。私は「パソコンに向かうときは、マスクをするように」とゼミ生に注意しました。ガーゼのマスクはかなり効果があったようです。
IT考古学
研究室の私のパソコン机には、透明プラスチックの板が敷いてあり、その下にたくさんのメモが重なっています。人から教えてもらったこと、自分で発見したことなど、特製のマニュアルをはさんでいるのです。授業シラバスの入力と変更の仕方、ホームページの編集の仕方、エクセルによる最も簡単なグラフの作り方など、整理して綴じたものもいくつかありますが、表紙をつけると死蔵の始まりです。やはり、走り書きのメモこそがとっさの役に立つ得物です。下の方まで掘り起こしてみると、「フリーズした時には、4秒以上スイッチを押し続けること」などという懐かしい紙切れが出てくることもあります。私の机は「IT考古学」の宝庫になりつつあります。
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