環境学の教育における情報技術の活用
舩橋 晴俊(法政大学大学院政策科学専攻教授)
私は現在、法政大学社会学部ならびに同大学院政策科学専攻(環境政策プログラム)において、環境社会学の教育と研究に従事しています。これまでの23年間の試行錯誤の経験から情報技術の活用についてのいくつかの論点を整理してみたいと思います。
環境社会学の研究という複雑な過程を完全に表現することは難しいですが、その過程に含まれる要素を項目として概観し、それぞれの項目に含まれる作業課題や重要事項や古典的筆者を( )内に記すならば、表1のようになります。
表1 環境社会学の研究の諸課題
[1] 学問のエートス形成(知的探求心、勤勉さ、批判的・懐疑的・論理的思考力)
[2] 問題意識の形成と明確化(生活経験、社会問題への関心、視野、出会い)
[3] 社会科学研究の方法論的反省(M.Weber、R.K.Merton、C.W.Mills、T.Kuhn、森有正などの諸著作、理論と実証の関係についてのT字型の研究戦略、など)
[4] 社会学理論の学習と検討(古典的理論の系統的読書と検討)
[5] 環境社会学の先行研究の学習と検討(代表的研究潮流の系統的学習)
[6] 文献情報収集と情報整理の技術(文献検索、資料入手、読書ノートの作成、新聞切り抜き、ファイリング、KJ法、詳細年表作成、主体連関図の作成、文献リスト作成、各種データベース作成など)
[7] フィールドワーク型調査(現地踏査、アポとり、質問準備、ヒアリング、ヒアリング記録作成、成果の還流など)
[8] サーベイ型調査(サンプリング、質問票準備、実査、データクリーニング、データ集計など)
[9] 論文作成のための方法(「発見の手帳」、準備レポートとコメント、アウトライン形成、草稿執筆と推敲など)
[10] 研究成果の公表(報告書作成、発表会、ホームページ作成など)
環境社会学の研究のためには、いずれの要素も不可欠ですが、社会的に重要な意義を持ち、学問的にも創造的な研究を実現するためには、上記のうち、[1][2][3][4]がしっかりしていることと、それをふまえて環境問題の現場に踏み込んでの[7]の積極的な実施が鍵であると考えています。[8]もテーマによっては重要ですが、テーマ設定によっては全く必要ない場合もあります。
私は、まず[1]についての学生への支援が大切であると考えています。まじめに勉強しようという気持ちをある程度持っているのにもかかわらず大学生活が学問的に空振りに終わってしまう学生は、どの大学でもかなりの割合で見られることでしょう。仮に知識の学習を「勉強」と呼び、自分の設定した問題を解明し論文を執筆することを「研究」と呼ぶならば、学生生活が学問的にヒットするための鍵は、学生一人一人が「勉強」という地平にとどまらず、「研究」に乗り出すことだと思います。私のゼミでは、学部2年次に、この態度転換を実現するためのさまざまな工夫をしていますが、その鍵は古典の精読と論文の執筆にあり、[2][3][4]と絡めながら[1]の形成を目指します。この学問的エートス形成が2年次にできればしめたもので、3年次には[7]によって環境社会学の本格的探求に取り組むことができます。
「百聞は一見に如かず」という言葉があります。環境問題の社会学的研究において、もっとも必要不可欠な研究方法は、問題の発生している現場に出かけ、現場の様子をよく観察するとともに、問題の当事者たちに体系的な聞き取りを行うこと([7])です。このような研究方法の重要性は、パソコンやインターネットの発明以前の時代にも、その大衆的な普及が実現した現在においても、まったく変わらないと思います。たとえば、1982−84年の3年間、学部ゼミ生とともに、名古屋市や埼玉県における新幹線の建設問題・公害問題について、毎年50件程度の聞き取りを実施しましたが、それは、まだパソコンが普及していない時代であり、聞き取りの記録はすべて手書きで文章化していました。また、1990−91年には当研究室ならびに東京都立大学飯島伸子研究室の院生グループとともに新潟水俣病の現地調査を実施しましたが、阿賀野川流域を歩いて現地の地理的・風土的特徴を把握すること、被害者宅を訪問し聞き取りを重ねること、足で歩いて資料を収集することが、研究の中心作業として不可欠でした。
このように[1][2][3][4]の基盤の上に、[7]現地調査を実施するという根幹をなす条件があるならば、[6][9][10]の広義の「知的生産の技術」の洗練が積極的な意味を持つし、テーマによっては[8]が効果を発揮します。そのような場合には、パソコンを焦点とする情報技術の駆使が非常に重要な貢献を果たす可能性が出てきます。
次に、本研究室における教育と研究において、これまでにどのような形で情報技術を利用してきたのかについて、簡単に紹介し、そこでの留意点について述べてみます。
[6]文献情報収集と情報整理の技術については、さまざまな利用が可能です。まず、図書館のデータベースとインターネットを利用しての文献探索、インターネットを利用しての行政関連情報(各種審議会の記録など)の収集、データベースを利用しての新聞記事検索は、効率的な情報収集という点で有益です。収集した情報を使用して個別の環境問題に即した詳細年表を作成することは、重要な研究技法ですが、その場合には、ワープロソフトやMS-Excelなどの表計算ソフトが役に立ちます。
[8]サーベイ型調査においては、調査の諸局面でパソコン利用が不可欠です。1999-2000年にかけて実施した「グリーンコンシューマー地域実験プロジェクト」の調査では、ノートブックパソコンを自治体に持ち込んでのサンプリングと郵送調査宛名ラベル作成、質問票の自前の版下作成、郵送で回収された調査票のデータクリーニング、データの単純集計やクロス表集計、集計結果の作表などのさまざまな局面で、パソコンとSPSSやExcelや各種ワープロソフトを使用しました。
[9]論文作成のための方法という点では、論文のアウトライン形成、草稿執筆と推敲、最終原稿の作成にあたって、今やワープロソフトは不可欠の用具となっています。ただし、論文作成のためには、梅棹忠夫氏が『知的生産の技術』(1969年、岩波新書)で強調していたように「発見の手帳」や「読書ノート」の作成の習慣を持つことが非常に重要であり、また、準備レポートに対するコメントの繰り返しこそが大切です。この両者は、いかなる情報技術を使用するかとは独立の次元に属しており、情報技術の洗練によって、直接に代替できるものではありません。学生の教育にあたって感じる困難さは、そもそも「読書ノート」や「発見の手帳」を書くという習慣が、学部の3年生、4年生になっても身についていない者が多いということであり、まず解決すべきは、いかにそれらの学問的態度を身につけさせるかということです。そのような学問的態度の形成こそが鍵であって、「発見の手帳」の代わりに「発見のフロッピーディスク」を使用するという情報技術の選択は、あくまでも副次的問題なのです。
[10]研究成果の公表の局面では、報告書作成のための版下作成や、ホームページによる情報提供でパソコンが重要な役割を果たしています。当研究室のホームページでは、授業のシラバス、教員の研究業績、卒論タイトルなどを体系的に公開していますが、やや個性的な取り組みとしては、次のような使い方をしています。
(1)「調査報告書」の頒布の通知
ホームページ上に「郵送料を切手で送付してもらえば、グリーンコンシューマー運動についての報告書を無料進呈」という掲示をしたところ、全国各地から続々と申し込みがあり、研究成果の有意義な社会への還元ルートが開けたという感触があります。
(2)「政策情報・提言コーナー」の開設
当研究室の環境社会学の研究成果を、問題解決のための提言や、政策判断に参考になる情報としてコンパクトにまとめ提示しています。
(3)学生による授業評価の紹介
学生が記した授業についての感想や意見から、いくつかを取り出し、公開しています。ゼミや授業選択の判断材料として使用してもらうためです。 おそらく他の分野においても、類似の状況が存在すると思われますが、環境社会学において、創造的な研究を生み出す基本的条件は、第一に、問題意識の豊かさであり、第二に、環境問題の現場と誠実に長期にわたって社会調査という形で接触を続けることです。そのような基本的研究姿勢こそが鍵であって、その前提があるのであれば、さまざまな「知的生産の技術」の洗練が、大きな力を発揮します。パソコンやインターネットといった電子的な情報処理のツールは、そのような限定された文脈における有効なツールの一つなのです。
幸いに法政大学社会学部と大学院政策科学専攻では、社会調査実習やその姉妹科目としての政策研究実習がカリキュラムの中にしっかりと位置づけられているので、実習を通して上記の二つの基本的条件を満たすことが可能であり、環境社会学の教育研究を担当する一教員として、毎年のように充実した手応えを感ずることができています。
URL
http://prof.mt.tama.hosei.ac.jp/~hfunabas/