医学の教育における情報技術の活用

医学教育におけるIT利用の変遷

安藤 裕明(愛知医科大学医学部助教授)



1.はじめに

 教育における情報技術(IT)の活用が、各方面から期待されています。愛知医科大学では、1980年代から医学教育におけるITの活用を試行錯誤してきました。本稿では、時代とともに変化してきた医学教育とITとの関わりをご紹介したいと思います。


2.試験対策用自習教材におけるIT利用

 医学部では、卒業生の医師国家試験合格率が重要な関心事となります。本学における教育とITの出会いも、この国家試験対策がきっかけでした。1981年に、汎用コンピュータ+モノクロ端末+マイクロフィルム再生装置(画像用)を用いた、国家試験対策(自習)用のCAI(Computer Assisted Instruction)システムを開発し、サービスを開始しました。その後、学内の各種試験問題もこのCAIシステムに登録されるようになり、幅広い学年の学生に利用されました。このシステムには、学習ログの解析機能や回答分岐機能も備わっていました。回答分岐機能とは、出題された問題の正誤により、次に出題される問題が変化する仕組みです。
 1995年には、このシステムの機能をすべてWeb化しました。Web化により、画像再生装置が不要になり、音声や動画にも対応したシステムとなりました。WBT(Web-Based Training)の先駆けとなったシステムですが、最近では、優れたWBT用のシステムが市販されていることから、市販のシステムに問題を移行しています。
 試験問題は、Webに公開するだけでも、学生に大きなインパクトを与えます。また、問題の公開により、教育の質的改善も期待できることから、最も簡単で学生にも喜ばれるIT活用例の一つだと考えられます。


3.マルチメディア技術とシミュレータ

 1990年代の後半に入ると、マルチメディア技術が発達し、人体解剖(A.D.A.M. Interactive Anatomy)、患者診察(MAYO PRIME PRACTICE、図1)、救命(SIM COEUR)や麻酔(SIM Anesthesia)等をPC上でシミュレーションするソフトウェアが登場しました。こうしたソフトを、セミナー等で取り上げ、学生に使用させると、彼らの目には非常に新鮮に映り、モチベーションを高める効果がありました。

図1 患者診察・診断シミュレーションソフト
MAYO PRIME PRACTICEの一画面

 しかし、多人数を対象とした講義では、教員だけが操作し、ソフトの簡単なデモを行う程度の利用に留まってしまいます。これでは、従来のビデオ教材と大差ありません。マルチメディア教材は、自分で操作しながら学習できる点が最大のメリットです。しかし、講義の中で、学生がこうしたソフトを使用できる環境を整えることは、簡単ではありません。PCの台数やソフトのライセンスの問題がまず考えられます。さらに、これらのソフトはスタンドアロン版として開発されているため、多人数が利用する場合に不可欠な進捗状況を管理する機能がない点も、問題になります。
 マルチメディア教材が広く活用されるためには、使い勝手や管理のしやすさ等の点で、もう一段、ハードルを越える必要があると考えています。


4.遠隔講義

 遠隔講義も、IT活用の例として期待されている分野です。本学では、私立大学情報教育協会の支援により、1999年から2001年までの間に、3回のリアルタイム型遠隔講義実験を行っています。
 1回目は、女子栄養大学との間で実施し、「生活習慣病」をテーマに各分野の専門家が連携して講義を担当しました。学生は、異なった学部間での遠隔講義を新鮮に感じ、チーム医療の実践にプラスになると評価しました。
 2回目は北里大学、3回目は獨協医科大学の各医学部間で、学生の競争心を刺激することを目標として実施しました。3回目の実験では、両大学の教員が出題する問題の解答を、学生がWeb上のアナライザ(回答分析)システムに入力することにより、大学毎の正解率を比較し、学生の参加意識や競争意識を刺激しました。アンケートの分析により、こうした仕掛けが、学生の集中力維持にプラスに作用した可能性が示唆されました。
 ネットワークの高速化が進み、回線確保の点では、遠隔講義の敷居は低くなりました。しかし、教員が連携して一つの授業を実現するタイプの遠隔講義は、事前の打ち合わせも含めて多くの人手と時間を要します。さらに、医学部は授業時間割が非常に密で、空き時間がほとんどないため、スケジュールの調整もやっかいな仕事です。現在、遠隔講義は、普及のために少し足踏みをしている状態のように感じています。


5.データベースと翻訳支援

 本学では、1995年に医学文献データベースのMEDLINEをネットワーク対応としました。1997年には、Web(PubMED)上で、MEDLINEが無料公開されました。2000年には和文の医学文献データベースである医学中央雑誌も、Web上で検索が可能となりました。
 こうした環境の変化は、医学教育にも大きな変革をもたらしました。教員が課題を与え、学生が文献を検索して解答をみつけ、発表する形式の演習が非常に増えたのです。MEDLINEや医学中央雑誌では、データの多くに抄録がついているため、オリジナルの文献を読まなくても概要を掴むことができます。また、マルチメディア教室PCには、医学用語を強化した日英・英日翻訳ソフトや英和・和英辞書、翻訳に役立つWebページのリンク集等を準備して、学生が英語に抵抗なくデータベースを検索できるように配慮をしています。その結果、1年生でもPubMEDを使い、専門領域の英文を訳して上手にプレゼンテーションできるようになりました。
 最近、問題解決型の学習法が注目されていますが、医学の分野では、データベース類が簡便に利用できるようになったことが、こうした学習法の普及につながったと思われます。


6.コミュニケーション支援のためのIT利用

 教員と学生とのコミュニケーションを支援する道具としてのIT活用は、着実に利用の幅を広げています。
 本学では、1989年よりグループウェアを導入し、学生にメールアドレスを配布しました。メールの利用は、インターネットが普及し始めた1995年頃から急増し、現在では、携帯電話のメール機能とも連携して、様々な情報がメールおよびメーリングリストでやり取りされています。
 掲示板についても、携帯電話対応や匿名掲示板等、目的別に複数の掲示板があり、情報交換に役立てられています。
 PCや携帯電話から利用できるアナライザシステムも、授業中の学生の理解度把握のために活用されています。教員が、授業中に出した質問に対し、学生は、PCや携帯電話を使って解答します。授業を聞いていないと正解を選ぶことができないので、学生は授業に集中せざるを得なくなります。
 また、統計解析の授業では、自分たちが作ったアンケートを授業内に実施して、即座に結果を分析することが可能になります。身近なデータを用いた統計解析手法の学習は、興味が増すと学生に好評です。
 こうしたシステムを利用すると、授業毎に授業評価を実施することも容易です。講義の最終日だけに実施する評価に比較し、講義毎の評価は、学生や教員の記憶が新しいうちに講義を振り返るきっかけを作り、講義に関するコミュニケーションの機会を増す等の利点があります。
 本学では、マークシートも授業毎のプレテストによく利用されています。マークシートの集計処理は情報処理センターが代行するため、教員の手間はかかりません。


7.まとめ

 医学教育は、つい最近まで、医学的な知識を詰め込むことに力点が置かれてきました。その結果、「知っていても実践できない」、「病気は理解できても、患者の心がわからない」という医学生が増えたとも言われています。医学教育は、今、大きな転換点にあります。知識重視から、実技、問題解決能力、コミュニケーション能力重視への方向転換です。問題解決能力やコミュニケーション支援に関連するITの利用が着実に普及していく背景には、こうした医学教育の方向性の変化が関係しているのかもしれません。
 最近、携帯端末(PDA)を臨床実習や診療支援に活用している例が増えつつあります。医学教育におけるIT利用は、今後も様々なツールを組み合わせることにより活用の幅を広げ、最終的にはコミュニケーションを支援したり、学生の技能や問題解決能力を育む方向で普及していくのではないかと考えています。



【目次へ戻る】 【バックナンバー 一覧へ戻る】