特集 教育ミッションとIT化

学生による授業調査からコミュニケーション重視へ


福田 忠彦(慶應義塾大学環境情報学部教授)



1.授業調査の経緯

 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下SFC)では学部開設時(1990年4月)から、新しい教育の理想を裏付ける教育改革の一つとして「授業調査」を導入しました。ここではあえて「授業評価」とせず、「授業調査」とします。それは、以下の理由によります。
 一般には、「授業は教員が展開するもの」ですが、SFCでは教員のほかにTA(Teaching Assistant)やSA(Student Assistant)の参加を得て、「学生と教員、さらにはスタッフが一体となって授業を進める」というコンセプトを基本方針としてきました。学生による「授業調査」はそのようなコンセプトを裏付けるものでもあります。目的とするところは教授技能の向上、学生の学習意欲の喚起にあります。言い換えれば、教育の品質保証を実現し、良い大学を作り上げるための方策の一つです。決して学生が授業内容や教員を評価することを意図したものではありません。
 SFCではこのような目的を実現すべく「授業調査」を12年間にわたって実施してきました。これにより、全体としては「授業調査」は確かに当初の目的に寄与し、SFCの教育改革の一翼を担ったと評価できます。しかし、教員個人個人についてはその評価が分かれることも否めません。SFC開設時には「授業調査」に対して、教員、学生ともに大きな関心を寄せ、学内のみならず学外からも注目されました。以来、教育改革の切り札の一つとして期待され続けてきましたが、回を重ねるにしたがってややマンネリ化し、その効果に対して当事者から疑問を持つものが増えてきたのも事実です。


2.アンケート調査「授業調査」からSFC−SFSへ

 2002年、SFCは従来の「授業調査」が役目を十分果したと総括し、これを引き継ぎ発展される新しいシステムとして、SFC−SFS(Site For Communication among Students, Faculty and Staff;特許出願中)を開設しました。このシステムは、上記のような教育の品質保証し、良い大学を作り上げるという目的を実現するためには「授業調査」より学生・教員・スタッフ間の活発なコミュニケーションが重要であるとの新しい考えに基づいています。従来の「授業調査」では調査結果を参考にして授業を改善する効果を狙ったのに対して、SFC−SFSは活発なコミュニケーションの喚起を通じて教育の活性化を目指しています。そのため、IT技術を最大限に生かして「即時性」「臨機応変な対応」「情報の共有」などの機能を持たせることを課題としました。
 本システムは新カリキュラム、クラスター、プログラム、研究プロジェクトなどのSFCの教育システム全体との連携を視野に入れて教育を効果的に遂行し、SFCの活性化を図ることが主な目的です。同時に、本システムを通じてSFCから全国に、特に全国の高校に向けて常時メッセージを発信すること、慶應義塾創立150年に向けての先導的大学改革の一環としての役割を担うことも目的としています。


3.実施学部・学科等

 SFC−SFSは総合政策学部、環境情報学部に加えて、大学院政策・メディア研究科で実施されています。これらの学部、研究科には年間約2,000に達する講義課目、体育課目が開講されています。また、湘南藤沢キャンパスのほか、一部の授業はキャンパス外でも実施しています。これらを含めてすべてが例外なくSFC−SFSによるコミュニケーションあるいは調査の対象となっています。なお、2001年度に同じキャンパス内に開設された看護医療学部ではSFC-SFSの導入を検討していますが、現段階ではまだ実施するに至っていません。


4.実施内容

 SFCでは教育環境すべてを対象にIT化を進めています。WLS(Web Learning System)がそれであり、学籍、教員、履修、授業などに関するデータを一括処理しています。SFC−SFSもこのシステムの一環として組み込まれているので、これらと連動して極めて多くの機能を有しています。SFC−SFS本体は以下の二つのシステムで構成されています。いずれもSFCのホームページとリンクしています。

(1)常時開設システム
 学期の途中あるいは毎回の授業に関する調査か可能なシステムであり、授業環境に関する要望、講義内容に関する質疑など、三者間で常時情報交換をするオプション調査として位置づけられます。このシステムの設置と利用は現段階では各教員の判断に任されています。また、本システムが開設されている授業の履修者に対して、できる限り積極的に利用するよう進めているがこれも義務とはしていません。

(2)定点観測システム
 授業開始後まもなく行う初期調査と、授業の最後に実施する全体調査です。前者では、学生の履修目的や、講義の進め方に関する要望を早い時期に把握して講義に反映するとともに、新入生や新しく赴任した教員に対して本システムの体験を促す場としています。また、後者は講義に関して必要最小限の総括を行う場として位置づけています。定点観測システムは、講義を担当する教員全員が参加することが義務付けられています。また、履修者にも全員「定点観測」に参加するよう指示しています。
 既述のように、SFC−SFSは「評価」が目的ではありません。あくまで良い授業を行うための教員・学生・スタッフの間の情報交換、コミュニケーションの場です。したがって、「常時開設システム」では質疑が中心であり、「定点観測システム」でも「評価」に該当する項目はできる限り排除し、以下のような教育の品質維持に関わる内容のデフォルトを用意するとともに、すべての設問に自由記述を用意しています。この点がSFC−SFSの大きな特徴で、設問内容は概ね以下のとおりです。
設問1 この授業を履修してよかったと思いますか?
(□はい、□いいえ、□どちらともいえない、□無回答)+自由記述
設問2 この授業を履修して感じたことを教えてください(複数回答可)
(□知識が身に付いた、□スキルを修得できた、□知的興味がわいた、・・・など13項目)+自由記述
設問3 この授業の進め方について、ご意見やご感想をお聞かせください(複数回答可)
(□授業内容を適切に設定した、□教え方が分かりやすかった、□クラスをよくまとめた、□その他)+自由記述
設問4 この授業をより良くしてゆくためには、どのように改善したら良いと思いますか?(自由記述)
設問5 次期履修者へアドバイスやインフォメーションがあればお書きください。(自由記述)

5.効果

 SFCはSFC−SFSを導入してからまだ日が浅いので、学生への教育効果や教員へのファカルティ・ディベロップメントなどの有効性を総括するには、なお時間が必要です。しかし、少なくとも筆者の経験に基づけば多くの効果を実感しています。授業開始後まもなく実施される「定点観測システム」の結果を参考にして授業環境・内容・レベルなどの問題点を早期に解決することができ、それ以降の授業の品質保証に機能を果たしてきました。
 また、「常時開設システム」を毎回の授業に設置することによって、事実上、授業時間が通常の時間(90分)から1週間あるいはそれ以上に大幅に延長することになりました。このシステムを通じて履修者との間で交わされる質疑応答によって、授業の時間内で処理ができないような議論に時間がかかる問題に対して、十分対応が可能になりました。また、必要に応じてオフィスアワーなどを利用して直に議論を深める機会に発展した例も多々あります。SFC−SFSは、受身になりがちな学生たちの学ぶ姿勢を能動的な方向に転換し、SFCが掲げている「自ら学ぶことをデザインする」という教育目標を効果的に支援するものとして機能を果たしていることは明らかです。
 また、教員から履修者への一斉メール、授業で使用した資料の掲載や訂正など、SFC−SFSが有するさまざまな機能はさらに円滑かつ効果的な授業の運営を可能にしている。定点観測の結果については、学生の立場から見れば、最大の効果は「設問5」の内容にあります。この授業を履修するか否かは既に履修した学生からのメッセージやコメントが大いに参考になっています。これらは担当教員にとっても参考になります。学生たちの意見に安易に迎合するつもりはありませんが、三者が共同でこれらの目標に向かうシステムであることを考えれば、自ずから対応は明確にあります。教員の立場でみれば、設問すべてが等しく重要な内容を持つことは当然のことです。


6.現状での問題点、今後の課題

 SFC−SFSが本来の目的に沿って思惑通りの機能を発揮すれば、良い授業を進め、良い大学の構築を目指す上で大いに貢献するはずです。しかし、それには本システムを学生・教員・スタッフの三者が積極的に利用することが不可欠です。その点ではSFCはこのシステムを十分生かしきっているとは言えません。何故か?その答えの一つは「手間がかかる」ことにあります。90分の授業が終了しても、授業から完全に開放されることがないことを担当者が苦痛に感じる場合は、「常時開設システム」は重荷になります。また、SFC−SFSのヒューマン・インタフェイスが必ずしも万全でないことも、積極利用に繋がらない要因となっているかもしれません。今後の重要な課題です。
 SFC−SFSの中でやり取りされる情報や調査項目に関する集計結果は、全面的に外部に公開することによって、さらに意義あるものとなると考えています。最終的には、授業当事者間からキャンパス全体、慶應義塾全体、さらには全国至るところまで、自由にSFCの授業の内容・進め方のすべてを公開することによって、教育・研究で先導する拠点としてのSFCからメッセージを発信するためのシステムとして、成熟することを目指したいと思います。
 SFC−SFSはIT機能を生かして「即時性」「臨機応変な対応」「情報の共有」などの目的を実現することが可能となりました。しかし、教育におけるITの導入は教育情報の授受のみに寄与するものではなく、それによって創出された時間をきめ細かな対応のため生かされることによって、はじめて真の効果になると言えるで
しょう。



【目次へ戻る】 【バックナンバー 一覧へ戻る】