教育事例紹介 統計学
統計教育におけるマルチメディア教材の活用
〜whatからhow、whyの統計教育へ〜
渡辺 美智子(東洋大学経済学部教授)
1.大学における統計教育のニーズの高まり
グローバル化が進展した本格的な情報社会にあって、統計データはもはや国際的な共通言語とも言ってよく、それを読み活用する統計学の知識や技術は、学部専攻によらず大学生が卒業までに身に付けるべき基礎リテラシーとして、ますますその重要性を増しています。特に、大学における統計教育への企業からの期待が大きくなっていることが、以下の二つの調査結果からも分かります。
表1は、東証一部、二部上場全企業1,635社を対象とした「企業から見た数学教育の需要度」調査結果[1]で、文系理系を問わず、新入社員が大学で学んできてほしい数学の分野の第一位は、統計学になっています。また表2は、2005年に日本統計学会統計教育委員会で実施した「データ分析と統計知識の需要度調査」結果で、企業の立場から見た統計の中のさらに細分化したニーズと大学教育における達成率(達成していると答えた企業の割合)を表しています。この表からは、統計による業務課題の発見と評価指標の定量化、データの収集と分析、結果の解釈とプレゼンテーションに至る一連の統計的課題解決力を培うより実践的な統計教育が期待されていることが分かります。
表1 大学で学んできてほしい数学の分野 |
分 野 |
選択比率
(文系) |
選択比率
(理系) |
統計学 |
72.2% |
77.8% |
プログラミング |
49.4% |
77.2% |
何でも良い |
32.3% |
0.0% |
微分積分 |
23.2% |
44.5% |
計画数学 |
22.1% |
36.2% |
線形代数 |
16.7% |
33.7% |
その他 |
4.6% |
2.6% |
数学史 |
0.4% |
0.0% |
|
表2 大学で身に付けておいてほしい能力・スキルと大学教育での達成度 |
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内 容 |
文系学生 |
理系学生 |
選択率 |
達成率 |
選択率 |
達成率 |
A |
データ・資料の収集能力 |
87.1% |
48.0% |
88.4% |
59.6% |
B |
統計数値を読み取る能力 |
87.1% |
46.4% |
88.4% |
60.9% |
C |
問題・課題を数量的に認識する能力 |
86.8% |
35.1% |
87.7% |
52.6% |
D |
実験や調査などの企画立案能力 |
75.8% |
30.8% |
83.1% |
42.1% |
E |
パソコンの操作能力 |
88.1% |
56.0% |
88.4% |
64.6% |
F |
データ分析能力 |
80.5% |
30.5% |
85.8% |
46.0% |
G |
分析結果から情報を抽出する能力 |
86.4% |
27.8% |
86.8% |
42.4% |
H |
分析結果を人に伝える
(コミュニケーション)能力 |
89.7% |
31.8% |
88.4% |
39.4% |
|
一方で、大学教育で各項目の教育が達成されていると答えた企業の割合は決して高くなく、特に文系学生に対しては、ニーズと達成度の乖離は大きいと言わざるを得ません。また、自由回答記述の中には、「統計知識を知ってはいても、実践できない、どうすれば応用能力が身につくか、なぜ必要なのかをしっかり教え、モチベーションを上げてほしい。」とあり、whatの教育からhow、whyの教育への転換が求められていることが窺えます。
2.統計学基礎から統計活用のための基礎へ
実践を指向する統計教育への転換は、1990年後半以降、米国では全米統計学会、全米数学協議会を中心に大きく改編が進められ、大学教育、学校教育の双方で教育の達成目標・具体的な方法論・評価の枠組みなどを示した新しい考え方に基づくガイドラインが積極的に公開されています。そこでは、Beyond
Formulaをキーコンセプトに、
|
「グラフや統計量の作成方法や計算方法および数理的導出の説明を最小限に留め、できるだけソフトウェアを活用し、データの背景の説明や統計的な意味を解説する。現実に似せたデータではなく、実際のデータを使う。計算の仕方を教えるよりもコンピュータを使う。数式、公式の導出はあまり重要ではない。」
|
が推奨されており、特に定義と公式による知識教授と計算練習よりも、統計的な考え方と方法論の概念的な理解を促し、諸種の現象に統計を活用する態度(コンピテンシー)を育成することがより重要と考えられています。同時に、概念的な理解やデータの解析の理解を助けるためのWebを介して閲覧するマルチメディア教材などのITの活用も有効とされています。
3.マルチメディア教材開発と授業での活用
統計学基礎科目として、筆者は東洋大学経済学部国際経済学科で、1年生対象の専門選択科目『経済データ分析入門』(受講者約80名、TA1名、PC教室)と2年生対象の『統計分析論』(受講者約40名、PC教室)および放送大学で、共通一般科目(自然系)『身近な統計』(登録者約800名、TV放送)を担当しています。内容は、具体的な続計グラフや統計数字に関してその意味を知り、そこから正しく情報を読み取ることができるようになることを目標として、統計の考え方とデータの記述の方法、データに基づく推測の仕組みなどを取り扱っています。そこでは、授業を補助し、さらに理解と活用のためのコンピテンシー育成を目的とするマルチメディア型の補助教材を開発し利用しています。
一つは、メディア教育開発センターのメディア教材制作支援事業の助成を受けて製作したマルチメディア統計百科事典(CD-ROM)で、もう一つは、放送大学ホームページのキャンパスネットワーク内に開設した『身近な統計』Webサイトです。以下その構成と概要を紹介します。
(1)マルチメディア統計百科事典[2]
図1は、事典のトップページの画面ですが、事典としての右上の用語検索ボックスに加えて、中央メニューにもあるように、マルチメディア教材(音声、映像、25種類のJAVA
による動的統計グラフとシミュレーショングラフ、48種類のExcel分析シート、記述と推測統計・多変量解析の主な手法をカバーした20種類のWeb解析ボックス等)や統計数値表とその計算シート(Excelマクロ)、階層的に整理された各種政府統計資料を含めており、単なる事典利用にとどまらないより実践的な統計学習ツールとなっています。
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図1 マルチメディア統計百科事典TOPページ |
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図2 事典内で相互にリンケージされた各モジュール |
また、図表を含めた用語解説とマルチメディア教材および統計資料は、その中で相互参照可能となるよう有機的にリンケージされ、学生が様々な教材ツールを使って一つの統計的概念を深めていくことができるよう設計されています。具体的には、用語解説コンテンツとして、政府統計、
記述統計、 推測統計、 計量経済、 標本調査、 時系列分析、 OR、 品質マネジメント、 多変量解析などの約2,000語強のテキスト情報を すべてXML
言語を用いて表記し、一つ一つの用語に分野階層構造、関連する用語、 類義語、 他のマルチメディアコンテンツとのリンク情報を付加することで、獲得した知識がさらに広がるよう工夫しています。図3は、用語の検索からリンクされたインタラクティブグラフを使ってのシミュレーション、その概念を使ったサンプルデータによる実際の解析と実データの解析までに至る学習プロセスを表しています。
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図3 検索からデータの解析に至るまでのプロセス |
(2)『身近な統計』Webサイト
放送される1回45分の講義は、内容解説(30分)、Excelでの実際の分析操作の紹介(5分)、統計と社会との接点として、統計が活用される諸分野の現場のロケを交えた実務家の方の話(10分)で構成されています。これらを切り分け、更に、PDF化した印刷テキスト、サンプルデータ、Excel操作解説ファイル、練習問題、キーワード解説、電子図書システム、JAVAグラフなどを一つのサイト内にメニュー化したものが、『身近な統計』Webサイトです。
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図4 「身近な統計」Webサイト |
本Webサイトによって、学生は放送時間枠にとらわれず、分析演習も含めて学習することができます。また、社会における実際の活用事例を知ることで、統計学習へのモチベーションの向上と統計活用力の育成が期待できます。
参考文献 |
[1] |
武田和昭:日本数学教育学会論文誌2,pp.81-94, 1995. |
[2] |
渡辺美智子(制作委員会委員長):マルチメディア統計百科事典. (財)日本統計協会, 2005. |
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