教育事例紹介 政治学
2003年より法学部で中国政治を教えています。受講者は90パーセントほどが、本務校法学部政治学科の1〜4年生です。約10%が本務校の他学部の学生と単位交換協定校である早稲田大学、日本女子大学、学習院女子大学の学部生です。クラスのサイズは多い年で500名超、少ない年でも300名はいます。受講生の中国に対する知識には、かなりのばらつきが見られます。中国や台湾出身の留学生がいる一方、高校で地理や世界史を選択しておらず、中国についての初歩的知識のない学生がクラスの3分の1程度はいます。旅行等で中国に行ったことのある学生は台湾と香港・マカオを含めても毎学期10名前後です。
このような受講生達にどうやって中国政治への興味を持たせたらいいのか。これは大変頭の痛い問題です。現代の学生は本を買わず、読まず、新聞もあまり読みません。一方、最近の殺虫剤入り餃子事件のようなショッキングなニュースはネットやテレビを通して学生たちに即座に伝わります。現代の学生は、テレビやコンピューターの映像を通してイメージを形成します。悪いことに、多岐にわたる現代中国の諸問題を解りやすく扱った教科書は存在しません。通常の講義だけで学生たちの関心を維持するのは至難の技でしょう。受講者に紙の資料を与えることも考えものです。彼らの多くは自分でノートをとるよりも、講師が準備した「プリント」や「まとめ」の類に慣れています。彼らに「大学の授業って予備校と同じ」と思われることはなんとしても避けなければなりません。
授業にビデオ映像を取り入れる試みは10年ほど前から行っていました。例えば、1989年の天安門事件については、4時間ほどにわたるテレビ番組があります。このビデオ映像に学生たちは極めて敏感に反応しました。多数の学生が「中国でこんなことが起きていたとは知らなかった」とコメントを寄せてきました。当たり前です。彼らは事件当時、小・中学生であり、天安門事件の政治的意味など知らなかったからです。また、数千人の人々が広場を埋める映像、そしてその中に戦車が突っ込んでいく映像の迫力は紙では出せません。
しかし、映像は万能薬ではありません。映像の与える印象は強烈ですが、そうした刺激に学生はすぐ慣れてしまうようです。視覚を知識にするためには講義が必要です。これまで、ビジュアル・ツールと講義をどのように組み合わせるか、試行錯誤を繰り返してきました。現在でも理想的なバランスはとれていません。以下に報告するのは、現時点までの取り組みの中間報告です。
本務校が2004年度に開始したマルチメディア教材導入プロジェクトが一つの追い風になりました。このプロジェクトは、教員がチームを作り、マルチメディア教材を開発し、その制作費を大学が援助するというものです。現代中国政治チームには中居研究室を拠点に、中国研究者3名が加わりました。このチームでまず現在の中国政治の授業の問題点を洗い出すことにしました。最大の問題は本離れ現象です。中国関係の本や雑誌に問題があることも明らかになりました。中国語の文献は学生には難しく、内容も魅力に乏しいのです。翻訳ものは数多く存在しますが、質内容ともに玉石混淆です。
チームは過去の経験から、学生たちが「見る」教材には敏感に反応することに気づいていました。学生たちの画像や映像に対する感覚は非常に鋭いものがあります。学生たちのマルチメディアに対する関心は高く、中国ではインターネットと携帯電話は使えるのかといった質問も多く寄せられていました。
そこで、チームは以下の3種類のデータを作成し、実際の授業で試行してみることにしました。制作したのは以下の3種類です。
1) | インターネットによる中国情報検索 | |
2) | 現代中国政治基礎資料 | |
3) | 中国関連画像データ |
これらはチームメンバーが資料を持ち寄り、共有のデータベースを作り、各メンバーが担当校の事情に応じて適宜加工したものです。以下にお見せするのは中居が現在本務校の授業で実際に使っているものです。
(1)インターネットによる中国情報検索
我々研究者が日頃使用している各種の中国関係ホームページを一覧表にしたものです。中国政府が直接管理する政府系サイトが多いですが、中には中国の半民間組織や非公式なポータルサイトもあります。学生に中国語の新聞、雑誌、政府公報とはどのようなものか、を実際に見てもらうのがこのツールの主眼です。授業ではこの一覧表から実際にいくつかのサイトにアクセスして、内容を見せています。この一覧表は学内LANで学生に提供しています。学生が特定のトピックについて自分で調べる際の一つの入り口になってほしいと思っています。
III.政府系ポータルサイト 人民網(簡体字) http://www.people.com.cn/ 人民網(日本語) http://www.peopledaily.co.jp/j/ 人民網強国社区 http://bbs.people.com.cn/bbs/start 新華網 http://www.xinhuanet.com/ 中国網 http://www.china.com.cn/chinese/index.htm 中国新聞網 http://www.chinanews.com.cn/ 中国捜索連盟 http://www.zhongsou.com/ 以下、中略 IV.非政府系ポータルサイト 捜狐 http://www.sohu.com/ 新波網 http://www.sina.com.cn/ 網易 http://www.netease.com/ 雅虎(簡体字) http://cn.yahoo.com/ 雅虎(繁体字) http://chinese.yahoo.com/ 雅虎(香港) http://hksar.hki.yahoo.com/ 奇摩(雅虎 台湾) http://tw.yahoo.com/ Google(簡体字) http://directory.google.com/Top/World/Chinese_Simplified/ 以下、中略 図1 政府系・非政府系ポータルサイト(一覧表)
図2 ポータルサイト実例(人民網・日本語)
例は、温家宝首相の記者会見のネット報道
(2008年3月3日アクセス)
(2)現代中国政治基礎資料
これまでOHP、スライド、プリント等で提供していた地図、年表、組織図、指導者たちの写真等を、スキャナーやデジカメ画像でPowerPointや写真集に編集したものです。著作権の関係から、図表はチームメンバーが自作しました。中国指導者たちの写真は中国の公式発表のものを使っています。現在、歴史編、歴史地理編、指導者編、組織図編といったテーマ別のもの、40年代、50年代といった時代別のものがあります。授業の需要に応じて、これらの資料から再編集して、特定テーマ(例えば、地域格差)のPowerPoint資料を作成することができます。
図3 基礎資料実例
(3)中国関連画像データ
中国関連画像データは現在2種類あります。まず、中国の生活や文化(芸術、食べ物など)に関する写真データ。これらはチームメンバーが過去の旅行で撮影したものです。北京、上海といった大都市だけでなく、地方の中小都市、さらには辺境地区の画像を多く含んでいます。2種類目は、中国の主要新聞と雑誌の1面や表紙をデジカメ画像やスキャナーで取り込んだものです。これらの展示により、受講者は例えば都市と農村の「格差」を文字通り「見る」ことができます。
写真1 画像データ実例1(上海の繁華街)
写真2 画像データ実例2(延安の街角)
最大の成果は授業時間の効率化です。豊富なマルチメディア資料を活用することで、板書、プリント作成・配布、OHP操作のために費やされていた時間をより効率的に使うことができるようになりました。なかでも、画像資料と板書をひとまとめにしたPowerPoint資料は、授業時間を管理するためには非常に便利です。 受講者への資料提供も効率化することができました。現在、プリント・レジュメ類は20ページほどの簡単な資料集を配布するだけです。紙の資料を配布する代わりに、授業に使用した画像データとPowerPoint資料を試験前の一定期間(1ヶ月)学内共有ドライブに置き、受講者が利用できるようにしています。 受講者の反応が良くなりました。学期中に数回、メモを配ってコメントを書かせています。マルチメディア資料を使ってから、多くの質問やコメントが寄せられるようになりました。 一方、いくつかの課題が出てきました。まず、マルチメディア資料作成のためには多くの時間が必要です。立ち上げにはチームワークが必要でしょう。資料を更新するにも、多くの努力を必要とします。ネット情報はコンスタントにアプデートする必要がありますし、新聞、雑誌の取り込みにも時間がかかります。 マルチメディア教材を使うと、受講者の要望は確実に増えます。それも、加速度的に増える傾向にあります。教員は常に内容をアップデートしなければなりません。そうした努力を怠れば、授業がマンネリ化する危険性があると言えましょう。