湘南工科大学は、神奈川県藤沢市にある工学部のみの単科大学です。1967年に設立され、1990年に旧名相模工業大学から現在の名称に変更しました。在籍学生数約2,550名、入学定員595名(2008年度)の小規模校で、「中堅技術者の育成」をミッションとしています。
本学でも学力低下問題は1990年代後半から次第にから深刻になってきました。微分積分学や物理学の不合格者が相当数に上り、何回も不合格になったり専門科目の単位も落としたりで諦めて退学する学生の数も2000年頃から増えてきました。そこで2001年度からは「数学基礎演習」など高校程度の数学や物理の補習科目を設置しましたが、その頃からはさらに「文字式を見ると頭が痛くなる」「関数のグラフが全く描けない」など、義務教育程度の基礎学力が怪しい学生も、一部とはいえ、見られるようになりました。本学ではこういう状況を正面から受け止め、すべての入学者がそれぞれの実情・希望進路・意欲に応じて有効な学習ができるよう、カリキュラムの抜本的な改革を2006年度に行いました。
新しいカリキュラムは、それぞれの学生がニーズに応じて柔軟に履修科目が選べる「自分型カリキュラム」と呼ばれています。必修科目を思い切って少なくしたこと、想定される進路(就職先の職種など)に向けて専門科目を組み立てた「エリア」を設けて履修ガイドラインとしたこと、学科共通の総合工学科目群を設け様々な分野への入門的・トピック的な授業を行い学生の意欲喚起と学習目的の明確化に役立つようにしたこと、「社会貢献活動」や「プロジェクト実習」などのアクティブ・ラーニングの科目を充実させたこと等が特徴です。学科共通の数学や物理はすべて選択科目とし、専門科目の学習で必要な知識は必要な分だけその科目で教えることを原則としました。一方で「基礎数学1」など基礎の数学科目を五つ設け、系統的にしっかり基本を学びたいというニーズにも手厚い対応をとりました。この改革と並行して、授業を丁寧で分かりやすくする教員の努力も増えてきました。その結果、現在では退学率が4年間で2.2%、入学後の1年で0.7%(読売新聞7月20日)と大きく減少する一方、就職状況は全国29位(読売ウィークリー8月3日号)と高いという成果が得られています。 半面、専門科目の導入が必ずしも円滑でない学科もあり、卒業時の学習到達度の向上を目指す一層の努力が必要との意見もあります。
実情に応じた丁寧な授業といっても最低基準をどこかに設けなければなりません。本学では現在「概ね義務教育終了〜高校必修程度の数学の知識」が専門基礎の科目を履修する上での一応の基準となっています。以前から入学時に行ってきた「数学基礎テスト」の内容も、2006年度からはこの基準への到達度を測るものにしました。図1は2006年度〜2008年度の数学基礎テスト得点分布(問題は同一)を、相対度数で示したものです。
図1 数学基礎テスト得点相対分布
最低基準といっても、内容はそれほど明確ではなく、テスト何点以上が必要という義務付けもしません。総合工学科目など、より基本的な事項の復習も行いながら専門的な知識を教える科目もあります。多少曖昧ですが、入学者がこの基準的な学力を早期に身に付けるよう、本学では入学前教育と「数理基礎」と呼ぶ入学後の補習指導に力を入れています。
入学前教育は数学と国語で、12月初めから3月初旬にかけて実施しています。入学者の約7割が受講対象となっています。数学では、受講者が自分の力量に応じて提出冊子を選択できるよう、7種類のレベル別問題冊子を配布し、期間中に5回、1冊ずつ提出することを課題としています。この方式は2007年度入学者からで、これまで受講者の96%が1冊以上、73%が5冊以上提出しました。
問題の内容は、義務教育程度から高校数学II程度までです。やさしい冊子では、整数の四則演算、簡単な文章題、図形の初等的な問題もあります。計算練習や公式の当てはめだけでなく、学習者が「本当によく分かった」と思えるような出題を心がけています。国際数学テストPISA
の類似問題や、「分配法則が成り立つのはなぜですか」など図や文章を使っての説明を求める問題も含まれます。また、各冊子の末尾に自由に感想を書くよう求めています。7割程度の提出冊子に感想が寄せられますが、学習に取り組む様子がリアルに伝わってきて、大いに手ごたえを感じます。この感想や数学基礎テストの結果を見て、冊子の内容を少しずつ変更しています。
入学前教育の対象者と非対象者とで分類して平均点の推移をみたのが図2です。2008年度はこのテストを始めた1991年度以来初めて全体平均点が前年度を上回りましたが、特に受講対象2グループで伸びています。
統計的に有意とは言えませんが、一応の成果が上がりつつあると判断しています。
図2 数学基礎テスト・グループ別平均点
(1)制度の説明
補習「数理基礎」は2006年設立の学習支援センターで実施し、学生は週1回の少人数指導を1学期間継続して受講します。数学基礎テスト得点25点以下の者に受講を奨励、40点未満は受講可とし、義務付けはしません。「コミュニケーション・サークル」と呼ばれる初年次セミナーで、担当の教員が受講を勧めます。学生は希望する曜日・時間を申請し、各クラス5名以下になるようセンターで調整します[1](表1)。
指導に当たるのは、学習支援センターの5名のスタッフで、特別講師と呼ばれています。特別講師は、高校や中学の教員、大学教員、高専教員、企業研究所などを経験し退職した方々です。週に2〜3日、9時から17時まで勤務し、2コマ分の数理基礎の指導と1コマの授業を担当します。その他の時間は学生の様々な質問に対応します。試験前などはなかなかの激務になりますが、学生にはいつも親切に対応していただいています。
表1 前期受講対象者と受講者数
年度 受講対象者数 受講回数別受講者数(新入生) 推奨 可能 1〜2回 3〜7回 8〜回 2006 121 124 19 28 53 2007 107 123 24 47 44 2008 88 116 15 37 45
写真 学習支援センター
(2)指導の目標と内容
受講者は、とにかく数学に苦手意識を持っています。しかし、まじめに熱心に、なんとか数学ができるようになりたいという意欲も持っています。彼らに「数学はわかる、自分もできる」という感覚を持たせ、努力の継続を支え、そのことで人格的な面も含め総合的に成長できるよう支援することを指導の第1目標としています。このことを、「学習支援センターは数学が苦手な学生達にとっての明日に架ける橋である」と表現しています。小学校程度の復習から始めることも少なくありませんが、先を急いで知識を詰め込むのではなく、上記の目標に沿ったじっくりとした指導を行っています。
指導内容は個々の学生の実情に応じて様々ですが、標準的には入学前学習の問題を一番基礎から解かせ、間違えたところや分らない所を丁寧に解説します。場合によって、基礎的ながらも意欲的な学習を行うこともあります。
(3)指導に際して
受講者の様子を確実に把握するため、毎回の指導後に「カルテ」を作成し、学習した内容やできなかった所などを記録しています。指導時の心がけとしては、学生との間に打ち解けた良い関係を築くことを特に重視しています。どんな初歩的な事柄でも「このくらいは分かっていて当然」とは考えません。援助されて「できる」体験を積み重ねることで、数学を好きになれるよう配慮しています。その他、数学が実際に使われている例を紹介するなど、様々に工夫して指導しています。
(4)成果
この結果、継続して受講した学生は着実に学力アップしています。ほぼ同様のテストを7月にも行って確認していますが、8回以上受講した学生では得点が着実に上昇しています(図3)。
また、数学基礎テスト40点以下では、数理基礎を8回以上受講した学生はそうでない学生に比べて、取得単位が15〜20%程多くなっています。このように、受講の有効性は様々な角度から確認できますが、「週1回・半年の指導では不十分で、週2回、1年続けて指導をすれば相当しっかりした基礎学力が身に着く」というのが、特別講師全員の意見です。
図3 受講回数別の平均点の変化
(5)指導の実例
指導の実例をいくつか挙げてみます。U先生が指導したA君は努力家で、入学前教育もきちんと取り組んだのですが数学基礎テストは25点でした。計算の初歩的なミスが多く基礎知識も不足しているようでした。そこで、小数や分数の四則混合算を多く解かせ、ミスを1題1題指摘してやり直させ、テキストに取り組んだ結果、ゆっくりとですが計算力・知識とも向上しました。7月のテストは45点となり、後期にも数理基礎の指導を受けながら基礎数学1も履修し、見事Aで合格しました。同じくB君は、数学基礎テスト17点で、やはり計算力が弱点でしたが、何回も解き直しをするなど真面目に努力し、テスト類似問題を解いて知識も増え、7月は86点でした。Y先生が指導したC君は、数学基礎テスト20点でしたが、毎回出席して90分真剣に取り組みました。ミスや間違いがだんだん減って、7月は85点でした。自宅で復習もしていたようです。次はやや特別な例です。
D君は2年生の6月から通いはじめましたが、それまで授業にはあまり出席せず単位もほとんど取れていませんでした。後期最後まで I 先生の指導を受け、精神的な面でも成長し、今は授業にも出て着実に単位を増やしています。
(6)様々な活動
数理基礎の指導以外にも、学習支援センターでは色々な活動を行います。基礎数学1は特別講師全員が担当しますが、合格が困難そうな履修者を見つけて、数理基礎の受講を誘う場合もあります。高校の数学・程度が中心の基礎的な内容で、補習終了後にしっかり学力を固める機会にもなっています。学生の様々な質問も受け付けています。来訪者の数は年間200名程度ですが、じっくり腰を落ち着けて勉強に来る者が多いようです。数理基礎の指導や授業の経験などから、基礎的な数学の教育について様々な研究も始めています。2008年8月の日本数学教育学会では、「学習支援室でのささやかな発見」(鈴木雅之、水町龍一)、「大学生に見られる三角関数の誤解」(井上秀一
)の2件の発表を行いました。このような学習支援センターの活動全体を支えているのは、何よりも特別講師諸氏の使命感・ミッション意識の高さです。大学として深く感謝しなければならないと思います。
(7)改善したい点
改善が求められる点もあります。 受講を途中でやめてしまう学生がいます。 「単位にならないので面倒だ」という理由もあるでしょうが、数人まとめて行う指導が自分のニーズと合わないと感じる場合が少なくないようです。テスト25点以下といっても実際には学力のバラつきが相当あって、低い方に合わせて丁寧に指導すると高い方は退屈するし、高い方に合わせると低い方は辛くなってしまいます。双方を満足させる指導は困難です。同一クラスでの学力格差を減らし、受講者の目的意識もより明確にさせる必要があるでしょう。ただ、学力差があってもグループ形成がうまくいくと、皆受講が続くようです。
教材の充実も必要です。基礎中の基礎からの系統的な教材が必要です。また、指導スキルには不断の改善が求められるでしょう。週2回のように受講回数を増やしたいのですが、現在でも指導者の数が不足気味です。常勤・非常勤の有志の教員による支援グループを作り、指導の分担や様々な協力を依頼しています。現実に可能な範囲で対応に努めていますが、抜本的な対策も期待したいところです。
参考文献 | |
[1] | 水町龍一・井上秀一・北川和磨・鈴木雅之・山内憲一・湯浅図南雄:学習支援センター活動報告,湘南工科大学紀要第42巻第1号,2008. |
文責: | 学習支援センター長 水町 龍一 |