巻頭言

IT化石人間からの願い


星宮  望
(東北学院大学学長)

 最近のIT技術の進展とその利用の発展は素晴らしいと思える側面が多い。その意味では大きな期待を持っているが、少し不満もある。この点について記したい。その前に、まず、私のITに関する経験を少し述べさせていただいてから、「ボヤキ」を記したい。
 私とITの関わりは、東北大学工学部電子工学科の3年生であった1962年に始まる。当時、国産のトランジスタ式汎用電子計算機の第1号機とも言えるNEC社2203の機械語をアセンブラ化する仕事をさせられたことに始まる。その翌年には、必修であった工場実習として、日本電気(株)玉川事業所での「コアメモリ」の書き込み・読み出し機能の計測実験があげられる。製品化直前の計算機に二つの候補(磁性コアメモリ)のうちのどちらを製品に採用するかを決めるデータの確認実験を30日間にわたって実習として行った。このことは、今で言えば「インターンシップ」の経験であり、その後、自分自身の経験としても、また、工学部の教官として学生に接する上でも大きな経験であり感謝している。
 その後、研究者としての大きな展開に関係することとしては、東北大学工学部助教授時代に科学研究費補助金の一般研究(B)が採用されて、高価格のソフトウェア開発システムであるインテル社MDS230システムを購入することができたことがあげられる。当時開発されたばかりの16ビットマイクロプロセッサ8086を用いて、「数値演算を介してのフィードバック制御」を実現した。この成果はIEEEのTr.BMEの論文(1983)に採用されている。8086プロセッサを本格的に用いたのは関東地区以北では私が最初であった。その後、このような神経・筋系の生理学系の実験を超えて、人の神経・筋系(麻痺した手や足など)の制御へコンピュータを用いる研究を大々的に行うことになった。しかしながら、現在では、その後のIT技術の進展にフォローすることができずに取り残されてしまい、「IT化石人間」になってしまった。パソコンの使い方などで、娘に聞くことが多くなってしまったのは悔しいが本当である。
 ところで、その一方、大学におけるIT技術の運用については、不満を多く抱えている。その原点を少し記したい。1975年に日瑞基金(Japan-Sweden Foundation)から、1年に1名日本から派遣される研究者に選ばれてスウェーデン国ウプサラ大学に14ヵ月滞在することになった。約35年前である。その頃のスウェーデンではコンピュータを開発・製造することがなかったにもかかわらず、ウプサラ大学の学生は、24時間自由に大学に入ってコンピュータ端末を利用することができていた。メカニカルな鍵であったが、学生や教職員などで、数種類のレベル設定をして大学内でアクセスできる領域をきちんと決めていたことは記憶に新しい。このような経験をした者として、本学(東北学院大学)の現状をみると残念と言うしかない。この21世紀における大学として、24時間自由にすべての学生が大学のコンピュータを使えるような環境を整えることが急務であると思っている。
 大学におけるIT環境の整備という点で、最近ようやく本学でも、シンクライアント導入(3キャンパスで約800台規模)を機に、インターネット経由の遠隔授業システムが実現されつつあることを喜びたい(日経コンピュータ、10月28日記事参照)。


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