人材育成のための授業紹介●音楽
瀬藤 康嗣(フェリス女学院大学音楽学部音楽芸術学科講師)
筆者は、2006年からフェリス女学院大学音楽学部において、コンピュータ・ミュージックや、音に関連するデジタル・メディアを扱う講義を中心に担当しています。本稿では、本学において筆者が取り組んでいる講義について紹介を行いたいと思います。
最初にお断りしておきたいのは<コンピュータ・ミュージック>という言葉には、狭義/広義の意味があるということです。<コンピュータ・ミュージック>は、狭義にはコンピュータ登場以前には不可能であったような、コンピュータの存在なしには考えられなかったような音楽を指します。
しかし私たちが日常耳にしている音楽のほとんどには、なにかしらの形でコンピュータが介在しています。なぜなら、プロや一部のマニア的愛好家を除く多くの人たちにとって「生」の音楽を聴く機会はせいぜい年に数回と限られており、私たちが普段聴く音楽のほとんどは、テレビ/CD/インターネット/携帯電話などの複製メディアによって届けられており、これらの複製メディアの音楽制作では必ずやコンピュータが用いられているからです。このような、何かしらの形でコンピュータが制作に介在した音楽をさして<コンピュータ・ミュージック>ということも増えてきています。
本稿では、後者の広い意味での<コンピュータ・ミュージック>に関する教育について触れたいと思います。
フェリス女学院大学には、専門学校時代の1947年に設立された音楽科にルーツをもつ音楽学部があり、クラシック音楽を中心とした音楽教育を行ってきた実績があります。2005年に学科改組が行われ、筆者自身が籍をおく音楽芸術学科が作られ、これに伴いコンピュータやデジタルテクノロジーに関わる科目が開講されました。こうした経緯から、比較的幼少期よりクラシック音楽教育を受けた学生が多く、それ以外には中高時代に部活動で楽器を始めたもの、バンド活動を行ってきたものなどもいます。
コンピュータ・ミュージック関連の講義のほとんどは、山手キャンパスの情報リテラシー教室において行われています。ここにはiMacG5が20台設置されており、各種の音楽制作用ソフトウェアや、映像編集用のソフトウェアがインストールされています(表1)。ちなみに、筆者は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)においてもコンピュータ・ミュージックの講義を担当しており、こちらの場合は40台のMacProが設置された教室で講義が行われています。音楽制作の演習科目で40名の学生がいると様々な問題が発生し、SAやTAのアシスタントがあっても、トラブルが多発して講義が円滑に進まないことも起こりますし、なかなか一人ひとりの学生にまで目が届かなくなってしまいます。そういう意味では、20台程度のPCが置かれたフェリスの情報リテラシー教室の方が円滑に、また学生一人ひとりを見ながら内容の濃い講義が提供できるように感じています。
表1 フェリス女学院大学 情報リテラシー教室の機材およびソフト構成
PC+ハードウェア デスクトップPC Apple iMacG5(2.66Ghz Core 2 Duo)/RAM 2GB 入力用鍵盤 M-Audio AXIOM 61 ソフトウェア 音楽制作ソフト(DAW) LogicExpress 音源ソフト KONTAKT マルチメディアプログラミング Max+MSP+Jitter 楽譜制作 Finale 波形編集 Audacity ビデオ編集 iMovie DVD制作 iDVD
教室のコンピュータ以外の機材にも少し触れたいと思います。まず、環境音の収録や簡易的な録音用としてデジタルレコーダM-Audio MicroTrack24/96+小型マイクロフォンAudio Technica AT9440を12組用意し、講義や学生の学内利用のために貸し出しを行っています。小規模なライブ・コンサートに対応できるPA用スピーカー、ミキサー、マイクなどの音響機器も用意しており、これを用いた学内コンサートなどの企画が学生を中心に行われることもあります。
フェリス女学院大学において、筆者は以下の講義を担当しています。
先に述べたように、今やほとんどの音楽制作において、なにかしらの形でコンピュータが用いられており一言で<コンピュータ・ミュージック>といっても扱うべき領域は広範です。筆者は、学生が1)音楽制作の現場で必要とされる幅広い知識と技術を習得すること、2)コンピュータ・ミュージックに関連する知識を体系的に理解することが重要であると考え、以下の領域を複数の講義でカバーできるように留意しています。
○音響学:空気の振動である音の物理的な性質と、それが耳にはどのように聞こえるのかという聴覚心理学に関連する知識
○音響合成:シンセサイザーのプログラミング方法やエフェクターの使用法など、コンピュータを用いて様々な音響を作り出すために必要となる知識
○録音:録音するために必要なマイクやレコーダーなどの機材操作、マイクのセッティング方法、録音した音をミックス&マスタリングしてCDとして完成させるための知識
○波形編集:録音した音を編集したり、編集加工して新たな音響を作り出す方法
○マルチメディア:映像コンテンツやゲームに付随する音楽や効果音の制作、音と映像の同期、インタラクティブなマルチメディア・コンテンツの制作に関わる知識
○インターネット配信:音楽コンテンツを、インターネットを通じて配信するための技術的/法律的な知識
それぞれの領域を本格的に習得するのであれば、それだけで15週で構成される講義1科目、あるいはそれ以上の科目で扱われるべき奥の深いものです。「録音」を一つとっても、様々な種類のマイクの特性/マイクの選択/マイクのセッティング/録音レベルの調整/ミキシングとマスタリングなど、究めようと思えば学ぶべきことはたくさんあります。ただし、大学ではあらかじめ学科によって設定された講義科目の中で、これらの領域を一通りカバーする必要があります。このため、筆者の講義では学生が音楽を自分で制作し、またその成果物を配信する上で必要と考えられる種々のスキルを、網羅的に習得できるように、各科目で以下のように内容を振り分けました。
■コンピュータ音楽制作(演習科目)
内容:MIDIをもちいた打ち込みや、マイクを用いた録音作業を行い、自分の作品を収録したCDの制作を行う。
習得スキル:録音/音響合成/波形編集
■メディアアート(演習科目)
内容:マルチメディア・プログラミング環境Max+MSP+Jitterの操作を学び、映像と音を同期させたインタラクティブ型の作品の制作を行う。
習得スキル:マルチメディア(ビデオ編集/映像と音の同期/インタラクション・デザイン)
■アニメ・ゲーム音楽制作(演習科目)
内容:映像に音楽と効果音をつける。効果音については、シンセサイザーおよびミュージック・コンクレート(録音物を加工して行う音響生成)により制作する。
習得スキル:音響学/音響合成/録音/波形編集/マルチメディア
■音楽情報論(演習科目)
内容:音楽配信とWebページの作成に必要な技術を習得する。
習得スキル:録音/波形編集/インターネット配信(XHTML+CSS/RSS/Podcast)
■マルチメディア著作権ビジネス(講義科目)
内容:著作権制度を体系的に理解し、実践的な場面での著作権処理を学ぶ。
習得スキル:インターネット配信(著作権処理)
授業を組み立てる際には、授業ごとにできるだけ具体的な成果物をアウトプットできるようにも工夫しています。受講生のほとんどは音楽学部の学生であり、彼女たちの関心は技術そのものではなく音楽にあり、また興味の対象となる音楽のジャンルも多岐に亘ります。そのためできるだけ音楽的な、あまりジャンルに偏らないようなゴールを設定する必要があります。
<コンピュータ音楽制作>の場合は、自分の音楽活動を紹介できるCDを制作する、ということをゴールに設定しています。CD制作という共通のゴールを設定することにより、歌が専門の学生はオーディションに応募するためのデモCD、作曲が専門の学生は自作曲のCD、といったように専門に応じて自分の音楽活動にとってプラスになるような最終課題を制作することができます。
<アニメ・ゲーム音楽制作>の場合は、プロのアーティストに無音のアニメ素材を提供していただき、それに各自が音楽や効果音をつける作業を行い、オリジナルのアニメ音楽つきの作品として完成させます。学生による作品については、本学のホームページ[http://fmp.ferris.ac.jp]からご覧いただけます。
表2 フェリス女学院大学における音楽科目と、各科目で扱われる領域
音響学 音響合成 録音 波形編集 マルチメディア インターネット配信 コンピュータ音楽制作 ○ ○ ○ ○ メディアアート ○ ○ アニメ・ゲーム音楽制作 ○ ○ ○ ○ ○ 音楽情報論 ○ ○ ○ マルチメディア著作権 ○
<音楽情報論>では自分の音楽活動を紹介するホームページの制作を最終課題とした他、学生全員でサウンドマップを作りました。少し専門的な話をすると、このサウンドマップはGoogleMaps API+MovableTypeで作られており、Podcastにも対応しています。全員でサウンドマップという面白いコンテンツを作りながら、最新の技術に触れられるということで、学生からの評判も上々でした。
図1 「音楽情報論」で受講者と制作したサウンドマップ
いま音楽が必要とされているのは、CDやコンサートのようなものや場だけではありません。映像、舞台、Webサイトあるいは駅やデパートのような公共空間など、様々な場で音楽は必要とされています。映像だけについて考えても、10年前であればせいぜい映画とテレビくらいのものでしたが、現在ではそれに加えて街頭テレビ、動画配信サイト、携帯機器向けのコンテンツなど、配信されるチャンネルが拡大し、そこで流通する映像コンテンツの量も飛躍的に増加しています。そしてこれらの映像コンテンツには、必ず音楽がつけられ、その音楽制作には、なにかしらの形でコンピュータが使われています。そう考えると、冒頭で述べたような広い意味でのコンピュータ・ミュージック教育に対する社会全体の需要はこれからますます高まってくるのではないかと思います。
これからのコンピュータ・ミュージック教育に求められるのは、筆者自身も専門とする狭義のコンピュータ・ミュージックの体系的な専門性を踏まえながら、一方で狭い専門分野にとらわれず分野を横断し、学生たちがすぐに活用可能な生きた知識をわかりやすく提供していくことではないか、と感じます。筆者自身、学生たちのニーズに応えるべく試行錯誤の日々を送っていますが、私の体験と拙い報告が何かしら皆様にとってのヒントとなれば幸いです。