特集 社会的・職業的自立に向けたキャリア形成教育を考える
金子 元久(国立大学財務経営センター教授、研究部長東京大学名誉教授)
「キャリア教育」に関心が集まっています。つい最近には大学設置基準にもキャリア教育が、大学教育の一環として組み込まれるべきことが付け加えられましたし、各大学で、さまざまな形のキャリア大学の試行も行われています。
こうした動きの背後には、最近の大学卒業生の就職状況の悪化があることは言うまでもありません。今年度の卒業者のうち3割近くが、大学の把握している限りでは、就職ないし大学院進学のいずれもしていません。これは昨年の金融危機の影響もあることは事実ですが、実はバブル崩壊期から20年近く、大卒の就業状況は基本的には低迷した状況が続いてきているのです。こうした状況を大卒者の低位雇用と呼んでおきます。
他方で4年制大学への進学率は上昇し、昨年にはついに50パーセントを超えています。なぜ進学率が上昇し続けるかと言えば、経済のグローバル化によって製造業が中国などに移転したために、高卒者の就業状況は大卒よりも厳しくなっているからです。こうした状況にプッシュされて大学進学率が上昇し、さらに大学卒業生が低位雇用の状況に追い込まれる、という構図が生まれているのです。
このような状況が続けば、個々の大学生や、卒業直後だけでなく将来にわたって定着したキャリアに就く機会も奪われる若者のグループが生じる、という意味で、社会的にも深刻な状況が広がることになります。
こうした中で、大学生によりよい就職を行わせるための教育に対する関心が高まるのは当然と言えるでしょう。しかし「キャリア教育」とは具体的にいったい何なのか。一般的に言われているキャリア教育には、三つの要因があると私は思います。
第一は「マッチング」主義です。現在の職業構造は極めて多様化していて、個々の職業についてのイメージを得ることが難しく、したがって自分の適性に応じた職業を見つけることが困難になっています。そうした意味で、職業と学生の希望や適性をよりよくマッチングさせるための、ガイダンスや職業についての情報提供システムを充実させる、ことが必要になっています。
第二を「構え」主義と呼んでおきましょう。上述の職業構造の多様化、さしあたって物質的には豊かな社会、といった環境の中で、現在の若者の職業に関する意識は希薄になっており、それが就職できない学生を生んでいる、という傾向があると言われます。そうした学生に対して、職業意識を育てる機会を与えよう、という考え方です。キャリア科目、あるいはインターンシップなどは、こうした意図から提唱されているのでしょう。
第三は「能力」主義です。もっとも直截なのは、「手に職をつける」教育を大学で行おうとするものです。ただ、他方で現在の職業に必要な職業知識は職場で身につければよいのであって、大学生に要求されるのはむしろ、コミュニケーションや論理的思考などの基礎能力、コンピテンスであるという考え方もあります。こうした考え方からは、基礎能力を養成するための教育こそが必要だ、ということになります。
このような意味でのキャリア教育はそれぞれ重要な意味をもっていることは言うまでもありません。これまでの大学教育は学術的な知識のみに関心を向け、こうした配慮のなかったこと自体が不思議であるとも言えるでしょう。しかし日本の経済社会構造の基本的な転換を考えてみると、これで十分なのか、という疑問が湧いてきます。具体的に、大卒者の就職に何が起こっているのでしょうか。
まず大卒者の就業構造を見ると、1990年代終わりから第1・2次産業への就職者は減少してきています。他方で急速に伸びているのは狭義のサービス業・運輸部門で、1990年代の終わりには1・2次産業への就職者を超え、2007年度では16万人と、1、2次産業計の9万人弱の2倍となっています。ここでいうサービス業の業務は従来のカテゴリーに入らないものが多く、大卒者の労働需要はいまこうした意味で多様化しているのです。
また私どものグループでは、昨年、全国の約8千の事業所の人事担当者にアンケート調査を行いました(http://ump.p.u-tokyo.ac.jp/crump/cat77/cat83/)。ここで分かったことの一つは、企業の側の大卒者採用の意欲は必ずしも低いわけではないということです。大卒者の採用を減らすという事業所は1割に満たず、逆に増やすという事業所は3割近くありました。ただし増やすという回答は小規模の事業所に多い傾向が明確です。
他方で、人事担当者の最近の大卒者に対する評価をみると、コミュニケーション能力などのコンピテンスについては、必ずしも大きな問題とみておらず、むしろ問題だと感じているのは、「人格的な成熟度」で、回答者の3分の2が、不足と感じていました(図)。
図 人事担当者の新規学卒社員に対する評価
ここから汲み取れることは以下の三つだと私は考えます。第一に、確かにこれまでの大企業を中心とした雇用機会は限られているが、小規模企業では大卒採用の拡大の可能性は相当にある。ただし第二に、そうした新しい雇用の機会は、業務の内容、また職務の内容から言えば極めて多様であり、職務内容に直接に応じる教育を大学に期待するのは、現実的ではない。そして第三に、新しい産業構造の中で要求されているのは、さまざまなコンピテンスもさることながら、一定の広い視野をもち、新しい状況を自分の視点から判断する基盤をもつ人材である。
ところで上述の調査では、大学教育がこれから特に力を入れるべき点についても聞いています。これに対する回答を見ると、もっとも重視されているのが「専門の基礎となる基本的知識や考え方を確実に身につけさせる」で、全回答者の55パーセントが「非常に重要」、40パーセントが「重要」と答えていました。これは「幅広い知識を習得する」あるいは「職業に役立つ教育を行う」を大きく超えていました。
これが専門教育で与えられる知識の有用性を示すと解釈するのは正しくないと思います。むしろ重要だと思われているのは、一定の知識体系を充分に咀嚼、吸収することによって、思考の根幹を形成すること、なのではないでしょうか。それは抽象的なコンピテンスとも異なるものです。一定の知識を体得するという、完結した経験をもつことは、上述の人格的な統合と重要な関係をもっているはずです。逆に言えば、現在の大学教育はこうしたことを十分に行っていないと評価されているともいえるかもしれません。
また、これは教養教育の価値を否定するものではありません。リベラル・アーツの基本は、固定観念を広い視野から問い直し、そこから再び自己・社会認識を形成することによって、より強固な人格の統合性を形成することにあるはずです。専門における基礎的知識の修得と、このような本来の意味での教養教育は補完しあうことによって、より有効となると考えるべきです。
こう考えてみれば、問題は大学教育の中身そのものです。大学教育の理念と実態とを問い直すことが、むしろ新しい時代の課題に答えることにつながる、そうした視点からの大学改革への努力が求められているのではないでしょうか。