人材育成のための授業紹介●地理学
熊木 洋太(専修大学文学部環境地理学科長・教授)
本年4月、専修大学文学部に環境地理学科が新たに開設されました。これまでも人文学科の中に環境地理学専攻という形で地理学のコースがありましたが、地球温暖化を始めとして、直接的・間接的に生活の基盤を揺るがす環境変化が顕在化していること、グローバル化に伴い国際的な社会環境が変貌し、国内の地域でも社会環境・生活環境が急速に変化していることなど、地理学の研究領域がその重要性を増していることから、独立した学科として拡充を図ることになったものです。
地理学は、地域・場所に着目して、人間が活動する社会空間や、その基盤としての自然環境について、個々の構成要素別にではなく、全体をシステムとして理解しようとする文理融合の科学です。専修大学の環境地理学科では、専修大学の教育理念である「社会知性の開発」を踏まえつつ、地表面・地域をベースとして自然と人文・社会の両面を学びます。学科名に「環境」を冠することによって、環境問題を始めとする地域の諸課題を真に理解し、その解決法を提示できる社会人を養成することに取り組む姿勢を示しています。
環境地理学科の専門科目は、地理学の理論と技能を1年次から4年次にかけて段階的・発展的に学習できるように構成されています。講義科目と実習科目には、自然環境、人文・社会環境、地誌(地域研究)に関する科目と、次章で述べる地理空間情報に関する科目があり、地理学を体系的・多面的に学べるように組み立てられています。
1年次では、入学定員50名の学生を3クラスに分けて行われる必修科目の「地理学基礎ゼミナール」において、地理学の調査研究において必須となる文献レビューやフィールド調査の技法を学びます。2〜4年次においても、調査・分析力を養うための演習がそれぞれ必修科目として置かれています。いずれも、専任教員が分担して数人から十数人を1クラスとして行います。これらの科目では、フィールドでの調査を遂行し、その成果を分析して発表できる能力の習得に力を入れています。これらに加え、4年次には、企画力・調査能力・分析力・プレゼンテーション能力など、社会人としての必須の能力を実践的に養成するため、卒業論文を必修として課しています。卒業論文は、9人の専任教員全員による口頭試問を経て合否が決定されます。このように、徹底した少人数体制と演習・実習重視が本学科の特徴です。
(社)日本地理学会は、今年度より、地域調査(地域の特性の科学的な調査、分析、究明、解説、広報等を行う業務)に関して高度な知識および実務能力がある者に対して「地域調査士」の資格を認定する制度[1]を始めました。その資格要件の一つは、大学において地域調査に関する一定の科目を履修することですが、上述のように環境地理学科のカリキュラムは地域のフィールド調査を重視していますから、自ずと地域調査士資格に対応しています。この他、環境地理学科のカリキュラムは、後述のように国家資格である測量士補と(社)日本地理学会が認定するGIS学術士の各資格にも対応しています。
地理学では、地理空間に関する情報を取り扱うことになります。特に、地図や空中写真、衛星画像等のリモートセンシングデータから土地の姿に関する情報を読み取ったり、統計その他の情報を地図に落として分析したりするスキルが必要となります。このようなことを効率的に行うための情報システムとしてGIS(地理情報システム)があり、地理学の研究やその実社会への応用に重要な役割を果たしています。
(社)日本地理学会が2008年に認定を開始した「GIS学術士」[2]は、大学でGISを習得した者に与えられる資格です。具体的には、GISの基本的機能と地理空間情報に関する講義を受け、GISによる地図作成・空間分析の実習を行い、GISを利用した卒業論文を執筆して、それぞれ一定の成績を修めなければなりません。昨年度までの環境地理学専攻でもこの資格を取得可能なカリキュラムが組まれていましたが、新しい環境地理学科では、地理空間情報に関する科目(特に実習科目)と施設(実習室)を拡充し、地理空間情報のスキルとリテラシーを学び、卒業論文作成などに利用できる体制を強化しています。
開設している科目は、講義中心の科目として環境地図学1と2(各2単位)、空間情報学1と2(各2単位)、測量学(4単位)、実習科目として、地理情報システム実習1と2(各2単位)、リモートセンシング実習1と2(各2単位)、測量学実習(4単位)があります。この他、各種の実習・演習科目中でも、地理空間情報に関する教育が行われています。
これらの科目では、なるべくフリーまたは安価なソフトウェアを用いるようにして、卒業論文作成など授業以外でも自由に使用したい学生の経済的負担を避けるようにしています。本格的なGISとしては米国Microimage社製TNTmipsを使っています。それは決して安価ではないのですが、このGISソフトにはTNTliteと呼ばれる無償版があり、TNTmipsとの機能の差は学習用の利用ではほとんど気にならない程度のわずかなものです。その他の主なものは、MANDARA(分布図・統計地図が簡易に作成ができることなどが特徴のフリーGIS)[3]、地図太郎(東京カートグラフィック社製で、地図データの表示・編集中心のコンパクトなGIS)、カシミール3D(著名な地形データ可視化ソフト。フリー)などです。
「空間情報学」は、地理空間情報やGISに関する基礎概念、GISによる地理空間情報の利用手法などを扱います。「地理情報システム実習」は、実際にGISを使って地理空間情報を分析する能力を身につけるための科目です。これらでは地理空間情報の入出力、オーバーレイ・バッファリングなどの基礎的な地理空間情報処理の他、地理学の諸分野へ応用する手法が扱われます。
「リモートセンシング実習」(写真1)では、衛星や航空機によって得られる地理空間情報の処理法を学ぶだけではなく、GISを用いて地理学研究の基本的な方法論の習得につなげることを目的としています。例えば、衛星データと現地調査データに基づく土地被服の分類、数値標高モデル(DEM)に基づく水系網の作成と流域分割、気象観測データを用いたボロノイ分割による地域降水量の計算、流域レイヤーと地域降水量レイヤーの重ね合わせ分析、等々のGIS技術を組み合わせ、流域の流出解析(主にピーク流量の計算)を行ったりしています。
写真1 リモートセンシング実習
「環境地図学」「測量学」「測量学実習」は、環境地理学科の卒業生が測量士補(法律に基づく国家資格)の資格を得るために必要な科目の主要なもので、「環境地図学」では、デジタルな地図を含めて、一般図、主題図の地図データの作成手法やその表現手法、地理学研究における地図データの利用手法などを扱います。「測量学実習」ではキャンパス内の中庭を実際に測量し(写真2)、その地図を作成することなどを行っています。これらは、地理空間情報が実際どのようにして作成されるかを知り、次章で述べるような注意点を知る科目でもあります。
写真2 測量学実習
GISをはじめとする情報システムで扱われるデジタルな地理空間情報では、位置の情報は、通常、座標値で表現されています。理論的には一つの点には一つの座標値だけが対応するのですが、実際には座標値は計測によって得られるため、計測手法、計測の規準とした既知点、計測した時期、計測者・計測装置などにより、微妙に異なる値が得られます。有効桁数もまちまちです。地図では、視認性の問題から意図的に地物の位置をずらしたり誇張したりして表示することがあるので、それから得られたデジタルデータはもともと真の位置を示していないことがあります。このようなことから、複数のデータを組み合わせたときに、本来同一の点が異なる点として認識され、おかしな分析結果が出てきたりします。また、事象の空間的な境界には漸移的な状態のところに便宜的に設けた境界があり、それをシャープな境界と同じ意味で使うのも問題です[4]。
このようなことは、情報処理に長けているだけではわかりません。現実の地理空間がどのようなものであるか、それがどのような確実性・空間解像度・位置精度の地理空間情報になっているか、ということを知っていなければなりません。このことこそが地理空間情報のリテラシーということになり、それは測量などの作業の経験、フィールド調査の経験など、「現場」に学ぶことによって効果的に得られると考えています。演習・実習重視はこのためでもあります。
以上のような取り組みから、卒業論文・修士論文でGISを高度に活用する例が着実に増えてきています。
ところで、授業で図や写真を多用する地理学の専門教育でICTの恩恵を一番受けているのは、実は、世界中から地理に関する画像などの資料が簡単に集められるという点にあるかもしれません。昨今では、公的機関が素性の明らかな地図や統計などの情報を無償で提供してくれるようになってきました。たとえば国土地理院のサイト[5]では、国土の姿に関する基盤地図情報がダウンロードできますし、1:25,000地形図や空中写真などを閲覧することができます。ネットワークの利用は今後ますます進むでしょう。クラウドコンピューティングにも注目していく必要があると思われます。
参考文献および関連URL | |
[1] | http://www.ajg.or.jp/ajg/cat239/ |
[2] | http://www.ajg.or.jp/ajg/gis/ |
[3] | http://ktgis.net/mandara/index.php |
[4] | 明野和彦・熊木洋太:地理情報システムと空間 データインフラの概要. 情報処理, Vol.38,No.2,pp.143-149,1997. |
[5] | http://www.gsi.go.jp/ |