人材育成のための授業紹介●地理学

読み書きそろばんGIS
〜青山学院大学のめざすGIS教育〜

三條 和博(青山学院大学経済学部教授)

1.地理学におけるICT 〜空間情報分析ツールとしてのGIS

 GIS(Geographic Information System、地理情報システム)は近年、国内で社会的に広く認知されるようになってきています。その要因としては、PCの性能向上、種々のGISソフトの普及、地理空間情報活用推進基本法をはじめとする政府のGIS推進施策、公的機関によるダウンロード可能な統計データの整備などがあげられます。加えて、現在のGIS普及の進展には、企業の多くが潜在的に地理的情報の利用を必要としているという背景があると考えられます。
 GISは空間情報に関する高度な分析ツールであり、地理学の分野においても、アカデミックな目的にかなう多様な解析を可能とする強力な研究手段であることはよく知られています。しかしその一方で、それを使いこなせる人材が必ずしも十分に供給されていないという実態もあります。

2.経済学部専門教育としてのGIS

 青山学院大学では地理学を専攻する学部や学科はなく、地理学関係の講義科目は主として、教員免許の取得に必要な教職課程関連科目と、一般教育カリキュラム(『青山スタンダード』と呼ばれる本学独自の教育システム)の中に数コマ程度ずつ存在しています。地理学専攻は存在しないものの、本学において地理学関連分野を専門とする教員が集中して在籍しているのが経済学部です。今から10年ほど前、学部の独自性を強化する方策を模索していた経済学部では、この人的な教育資源のアドバンテージを利用して、GISを学部教育の特色の一つにする決断をしました。

(1)なぜ経済学部でGISなのか

 日本の大学においては、一般に社会科学系学部で本格的なGIS教育を展開している例はごく少数です。そのため、例えば「経済地理学」のような、空間の視点から論じられるべき社会・経済的学術分野が、その重要性を学生に対し必ずしも十分にアピールすることができていませんでした。社会のグローバル化に対応する人材の育成には空間の視点は不可欠で、そのような視点を持つ人材はまた、ローカルなコミュニティーにおいても地域特性を十分に生かした活動が可能である、と本学部では考えています。
 この方針に基づき、まずGIS教育のためのハード・ソフトを学部として準備しました。専用教室として、座席定員27名の小教室「地理情報システム室」を作り、受講生用にPC収納式の専用デスクを特注で設置しました(写真1)。PCを収納式としたのは、地理学の基本であり伝統でもある、紙の地図を用いた机上の手作業を、従来通り行えるようにするためです。この他にも、専用データサーバやライセンスサーバ、専用プリンターなどの機器類もまったく新たに準備しました。GISソフトはESRI社の“ArcGIS”を導入し、また関連ソフトも可能な限り用意しました。データに関しては、国土地理院発行のすべての数値地図について常に最新のものを用意することとし、この他GISで使用可能な市販統計データについても順次整備していくことにしました。このようにして、3・4年生を主な対象とする学部専門教育において、本格的なGIS教育を2003年度より開始しました。授業科目は、当初は「GIS入門」の1科目でスタートしましたが、現在はこの他に「GIS応用」「GISによる空間分析I・II(2011年度にはIIIを開講予定)」が開講されています。また2005年には本学部の教員グループを中心として、GIS利用法の習得を目的とした市販図書を出版[1]し、これを授業用教科書として活用しています。

写真1 PC収納式の学生用デスク

(2)GIS科目の事例

 GIS関連の授業はすべて半期科目で、それぞれ2単位分となります。ここで筆者の担当する「GIS入門」の授業について紹介しましょう。表1はその授業スケジュールです。この授業では、初回にGISの特徴や応用事例など、GISの概要をガイダンス形式で説明します。その後いきなり実習を始めますが、実はこれが昔ながらの手作業で、紙地図の上にトレーシングペーパーを重ね、そこにコンビニエンスストアの店舗をプロットしていくというものです。ベースとなる地図は1万分の1地形図で、本学の青山キャンパス周辺の200店舗を超えるコンビニエンスストアの店舗位置を、チェーンの識別ができるようにシンボルを工夫しながら、トレーシングペーパーに記入していきます。文章で書くと、このように簡単なことですが、実際の作業は相当に根気のいるものになります。さらに第2回では、このトレーシングペーパー上で、各店舗の“なわばり”すなわち商圏を数学的・幾何学的に求めるための「ボロノイ分割」を、手作業で行います。これは高い精度が要求される、極めて細かい作図作業となります。この回の最後では、筆者がGISソフトを用いてボロノイ分割を演示しますが、手作業では気の遠くなるような作図作業も、GISでは一瞬にして終えてしまう様子を目の当たりにして、演示画面を投影したスクリーンに見入っていた受講生からは感嘆の声があがります。実にレトロな授業方法ですが、地理学におけるICTの一翼を担うGISの存在意義を直感的に理解させるには効果的ではないかと考えています。また、このような手作業の過程には、空間分析の本質を自然に理解させる効果もあります。この授業では、店舗のプロット作業を通じて、コンビニエンスストアにはチェーンごとに店舗展開に差異があるという事実が、受講生には新たな「発見」として認識されていきます。

表1 「GIS入門」授業スケジュール
授業回 作業区分 内容
第1回
紙地図による図上作業1 コンビニエンスストア店舗のプロット
第2回

紙地図による図上作業2

ボロノイ分割によるコンビニエンスストアの商圏分析

第3回

GIS実習1

データの収集と加工1(公開データのダウンロード)

第4回

GIS実習2

データの収集と加工2(ダウンロードデータの整形)

第5回

GIS実習3

データの収集と加工3(データの修正)

第6回

GIS実習4

ArcGISの基本操作1(デジタル地図の変換と表示)

第7回

GIS実習5

ArcGISの基本操作2(属性テーブル・属性検索・XYデータ追加)

第8回

GIS実習6

ArcGISの基本操作3(テーブル結合・フィールド演算)

第9回

GIS実習7

コンビニエンスストア立地の分析1(データの収集)

第10回

GIS実習8

コンビニエンスストア立地の分析2(データの加工)

第11回

GIS実習9

コンビニエンスストア立地の分析3(空間統計分析)

第12回

GIS実習10

自由テーマ課題による空間分析1

第13回

GIS実習11

自由テーマ課題による空間分析2

第14回

GIS実習12

自由テーマ課題による空間分析3

第15回 GIS実習13 自由テーマ課題による空間分析4

 授業第3回からPCを用いた実習になりますが、第5回までは公開データのダウンロードとその加工、すなわちデータの準備が主な内容で、第6回からGISの操作に入ります。第8回までにGISの基本操作を習得し、第9回〜第11回では、GISでコンビニエンスストアの店舗立地を分析していきます。この部分では実践的な内容も含みますので、受講生はこの段階までにGISに関する一定の技能を修得することになります。さらに、最後の段階として、第12回以降は「自由テーマ課題」に取り組むことになります。これはいわば「ミニ卒業研究」であり、受講生が自らテーマを設定し、GISを用いて分析を行い、結果をレポートにまとめるというものです。この時点で多くの受講生は「GISではいろいろできそうだ、だけど自分が何をしたいのかわからない」という問題に直面しますが、筆者は受講生の主体性や興味・関心を尊重したいと考え、トップダウンでテーマを与えることは一切しません。それでも、最終的には受講生が自分自身でテーマを見出し、課題に取り組みます。もちろん、その過程では教員側から種々のサポートが必要になります。表2は2010年度前期において受講生が設定したテーマの例です。

表2 「GIS入門」自由テーマ課題における設定テーマの例(2010年度前期)
  • 高校生向け大手予備校と中学生向け大手塾の配置分析
  • 港区・渋谷区・中央区・杉並区・目黒区における児童館と人口
  • 東京都における国内コーヒーチェーンの店舗配置の比較
  • 神奈川県における公立・私立高校のGIS分析
  • 「ユニクロ」と「ファッションセンターしまむら」の店舗立地比較
  • 地域にひそむ犯罪の陰 〜GISによる新たな分析〜
  • フットサル施設の分布と人口分布 〜ArcGISを用いた施設分布の分析〜
  • 保育所の立地からみる待機児童問題
  • パチンコ店の店舗立地分析
  • 家電量販店チェーン「コジマ」と「ヤマダ電機」の店舗戦略分析
  • ガソリンスタンドの立地分析
  • 東京23区内における料理教室の立地分析
  • 東京湾北部地震における千葉市の災害危険度
  • ファーストフード店(「マクドナルド」と「モスバーガー」)の店舗配置戦略の違い

(3)経済学部の長期戦略

 GISを習得する以前の学生にとって、「地理」といえば国名や地名などをひたすら暗記する科目であるというイメージを容易には払拭できないと思います。われわれ教員としては、そのような記憶量に依存したインテリジェンスではなく、社会・経済事象を空間的にとらえ、空間的に分析できるスキルとセンスを身につけた人材を育成したいと考えます。地理分野のICTとしてのGISを学生に教育する立場にある筆者としては、それが地理であることをことさら学生に意識させる必要はないと考えます。むしろ、結果として地理はICTを最大限活用して空間情報を分析する分野であることに気づいてもらえれば十分であると思っています。
 青山学院大学経済学部での専門教育にGISを導入してから、まだ10年を経過していません。その教育の効果を確認するには長期間が必要ですから、履修学生達が社会で活躍してくれることを待つほかありません。短期的に見れば、GIS科目の受講生からの評価は良好で、単位取得後も自発的にGISの研究利用を続けたいと意思表示する学生も少なくありません。われわれ教員はそのような声に応え、正課外教育としてのGIS講習会の実施など、さまざまな形でサポートするように努めています。今後も経済学部において積極的にGIS教育を展開し、企業や官公庁など、実社会の多方面で活躍できる、空間分析の素養を持った人材を供給していきたいと考えます。

3.大学一般教育としてのGIS

 青山学院大学におけるGIS教育の牽引者は経済学部ですが、筆者は以前からGISを一般教養として全学的に教育展開できないか模索していました。前述の『青山スタンダード』は本学の一般教育システムですが、大学全体としてのリテラシー教育のカリキュラム体系となっています。その中には情報スキルに関する全学共通の必修科目が設置されており、本学学生はその単位を取得しないと卒業できません。その内容は、Webやメール利用の基本技能、文書作成ソフトの使用法、スプレッドシートによる表計算ソフトの使用法、プレゼンテーション用資料の作成技術などで、これらについて市販アプリケーションを使用した実習を通じて習得します。もしこのような情報リテラシー科目の内容にGISの基本的な利用法を盛り込むことが可能となれば、“青山学院大学の卒業生であればGISの基本技能は身につけている”といった状況を実現できるかもしれません。現在のところ、これは個人的な理想論に過ぎませんが、実現のためのアプローチを少しずつ進めています。その一歩として、2009年度、本学にArcGISのサイトライセンスを導入しました。これにより、本学では学生から教職員まで、全員がArcGISを利用可能になりました。また2010年度にはArcGISのソフト貸し出し体制も整備し、学外での使用も可能としました。これにより、フィールドワークでのGIS利用やホームワークにも対応できるようになりました。
 情報リテラシーの観点からは、現代の大学卒業生であれば、それがどこの大学であっても、文書作成、表計算などの基本的なICT技能はあって当然で、これらはいわば現代人の“読み書きそろばん”の能力とみなされていると言えるでしょう。本学ではこれにGISの技能を加え、“読み書きそろばんGIS”として、“付加価値の高い”人材を社会に送り出したいと考えます。そのために、今後も一般教育システムの中にGISカリキュラムを積極的に導入する努力をしていきたいと考えています。

参考文献
[1] 高橋重雄・井上孝・三條和博・高橋朋一 編:事例で学ぶGISと地域分析 −ArcGISを用いて−. 古今書院, 2005.

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