特集 教育情報の公表
松本 亮三(日本私立大学連盟教育研究委員長 東海大学観光学部長、教授)
社団法人日本私立大学連盟(以下、私大連盟と略記)の教育研究員会は、2011年(平成23年)3月、『大学の情報公表義務化と三つの方針』と題する研究報告書をまとめ、加盟校や関係機関に配布しました。この研究は、2010年(平成22年)6月15日に発出された文部科学省令第十五号が、2011年4月1日をもって「学校教育法施行規則」等を一部改正・施行し、大学に9項目に及ぶ情報公表を義務付け、また、1項目の公表を努力義務とすることを定めたことを受けて始まりました。文部科学省令第十五号は、次のように「学校教育法施行規則」に第百七十二条の二を追加し、これと整合性をもつよう、「大学設置基準」などの関係法令を改正するというものでした。
【改正学校教育法施行規則の当該条項】
第百七十二条の二 大学は、次に掲げる教育研究活動等の状況についての情報を公表するものとする。 一 大学の教育研究上の目的に関すること 二 教育研究上の基本組織に関すること 三 教員組織、教員の数並びに各教員が有する学位及び業績に関すること 四 入学者に関する受入方針及び入学者の数、収容定員及び在学する学生の数、卒業又は修了した者の数並びに進学者数及び就職者数その他進学及び就職等の状況に関すること 五 授業科目、授業の方法及び内容並びに年間の授業の計画に関すること 六 学修の成果に係る評価及び卒業又は修了の認定に当たっての基準に関すること 七 校地、校舎等の施設及び設備その他の学生の教育研究環境に関すること 八 授業料、入学料その他の大学が徴収する費用に関すること 九 大学が行う学生の修学、進路選択及び心身の健康等に係る支援に関すること 2 大学は、前項各号に掲げる事項のほか、教育上の目的に応じ学生が修得すべき知識及び能力に関する情報を積極的に公表するよう努めるものとする。 3 第1項の規定による情報の公表は、適切な体制を整えた上で、刊行物への掲載、インターネットの利用その他広く周知を図ることができる方法によって行うものとする。
ここに公表すべきと定められた項目の多くは、毎年5月1日現在で文部科学省に届け出ることが義務付けられている学校基本調査の項目に合致しており、その公表は大学が意志決定すれば容易に実施できることなのですが、私大連盟教育研究委員会が注目したのは、上記百七十二条の二、第四号〜第六号の三つの項目でした。各号の主体部は、2009年(平成20年)12月の中教審答申『学士課程教育の構築に向けて』(以下、『学士課程答申』と略記)において学士課程教育の質保証のために必要とされた「入学者受け入れの方針」、「教育課程編成・実施の方針」、「学位授与の方針」に相当します。今回の法改正で重要なのは、これらを明確に定めて公表すべきとして、『学士課程答申』の提言を実質化することを各大学に求めた点です。
私大連盟教育研究員会は、この三つの方針に関わる教学改革の必要性を、『学士課程答申』が発表される以前から主張してきていました。私たちは、この公表義務化の機会を捉え、公表を単なる形式に終わらせるのではなく、大学教育−学士課程教育−の更なる改革への契機とするよう、加盟大学に求めることにしたのです。
多くの方々にとっては、三つの方針というよりも、三つのポリシーという言葉の方が馴染み深いものと思われます。それは、2006年(平成17年)の中教審答申『我が国の高等教育の将来像』(以下、『将来像答申』と略記)第5章において、「各機関ごとのアドミッション・ポリシー(入学者選抜の改善)、カリキュラム・ポリシー(教育課程の改善)、ディプロマ・ポリシー(「出口管理」の強化)の明確化」が提言されたからです。しかし、例えば、アメリカ合衆国の各大学が発表しているディプロマ・ポリシーとは、卒業に必要な単位数や学位記の受け取り方法を記したものであって、『将来像答申』が言う意味とは異なるという批判もあったため、『学士課程答申』では日本語で書き直されることになったものと思われます。例えば、2008年(平成20年)の大学設置基準の改正では、すでにカタカナ表記は行われず、「人材の養成に関する目的」などという別の表現が用いられています。
しかし、この三つのポリシーあるいは方針に関する提言は、そのような簡潔な言葉を使うことはありませんでしたが、私大連盟教育研究委員会は、2003年(平成15年)3月、『日本の高等教育の再構築に向けて〔I〕:その課題を問う』を、さらに2004年(平成16年)3月には『日本の高等教育の再構築に向けて〔II〕:16の提言《大学生の質の保証−入学から卒業まで》』を上梓し、次のような提言を行いました。すなわち、私立大学のみならず、日本の大学は、グローバル・スタンダードを十分に意識し、まず、大学卒業生の質保証を目指して、厳格な卒業認定を行うべきこと、そのためには、大学教育課程に国際的基準を取り入れたミニマム・リクァイアメントを設定して体系的な教育を行うべきこと、さらに、そのような教育を実現可能とするためには、安易な非学力入試や、余りにも早期な合格決定を取りやめて、入試を厳正化すべきこと、という三つの局面での大学教育の改善・改革の提言を行っていたのです。
その後も、『私立大学入学生の学力保障−大学入試の課題と提言−』(2008年〔平成20年〕)、『学士課程教育の質向上を目指して−加盟大学の教学改革への提言−』(2009年〔平成21年〕)、『学士課程教育の質向上と接続の改善−高校と社会との円滑な接続を通して目指す学士課程教育の充実−』(2010年〔平成22年〕)などの報告書を上梓して、文部科学省や中教審の言う「三つの方針」と同じ趣旨のことがらを、各大学が明確に定め、かつ、それを明示すべきであると、独自の観点から提言してきました。
これは決して日本国内の状況だけを考えたからではありません。現代世界は、ここで改めて言う必要のないほどグローバル化していることは自明の事実であり、特にヨーロッパでは、大学の学部教育と大学院の修士課程教育が、ボローニャ・プロセスを通じて標準化され、共通の基準を用いて教育の質を保証するという目的をもった、欧州高等教育圏(European Higher Education Area)が、すでに昨年3月に成立していることを等閑視してはなりません。日本では、4年生大学への入学者がすでに50%を超え、かつてマーチン・トローが論じた基準に従えば、大学はユニバーサル型の段階を迎えることとなりました。これまでの初等中等教育における「ゆとり教育」と相俟って、日本の大学、より広く言えば高等教育機関への入学者は、学力のみならず、「人間力」においても、国際社会では通用しえない危機的な状況を迎えている、と言っても過言ではありません。この状況を改善しなければ、日本の大学卒業者が国際市場から退場を余儀なくされる事態が起こるのではないか、という危惧があります。私大連盟教育研究委員会が、平成22年度報告書で、情報公表義務化と三つの方針を扱うことにしたのには、先述の通り、本委員会が長い間提言を繰り返してきた経緯と、いま日本が直面しているグローバルな教育問題への対処という背景があったのです。
「改正学校教育法施行規則」の百七十二条の二の第3項は、「インターネットの利用その他広く周知を図ることができる方法」を強調しています。このことは、極めて重要なことです。『学士課程答申』では、「第4章 公的及び自主的な質保証の仕組みの強化」において、「現状では、情報公開に関しても課題がある。例えば、教育研究活動の状況をはじめとする基本的な情報に、国内外から容易にアクセスできるような環境はいまだ実現していない。また、大学の新規参入や組織改編が活発化しているが、入学希望者をはじめとする社会一般に対し、自ら主体的にインターネット等を通じて大学や学部等の基本的な情報を周知する仕組みが存在しない」として、「大学に関する基本的な情報発信については、アメリカの中等後教育総合データシステム等、他の先進諸国の例を踏まえ、データベースの整備等について、遜色のないようにしていくことも求められる」と、日本の大学の情報公開の現状に対して苦言を呈しています。
既に、私大連教育研究委員会の『学士課程教育の質向上と接続の改善』で述べたことですが、関西経済同友会の『提言:社会が求める大学の人材輩出戦略』(2009年〔平成21年〕)は、大学が、社会に輩出する人材像をインターネットで的確に表明していないことを問題としています。それは、大学関係者の多くが、いまだに大学教育のステークホルダーを、大学関係者、学生、保護者に限定して考えていることを指摘していると思われます。大学は、受験生・学生の確保のために、入学広報には力を注いでいますが、まだ、社会全体を大学教育のステークホルダーとして捉える視点に欠けているのではないかと、反省せざるをえません。
しかし、大学は、多くの場合、完成した社会人を、企業などの就職先に対して輩出することを使命としているわけであり、それは広い意味では、社会全体に対する責務であると考えなければなりません。ここで問題となるのは、私たち大学人が向き合うべきなのは、学生の供給先である家庭や高等学校、そして、学生の輩出先である特定の企業や官公庁のみではなく、社会全体であるということです。また、ここで言う社会とは、日本国内の社会のみを言うのではなく、グローバル化が進展した地球社会全体であることも考えなければなりません。
公表は公開とは異なります。公開とは、その最低限の基準を考えれば、隠し立てをしないこと、すなわち、要求があればいつでも開示することを意味していると考えられます。一方で公表とは、つねにすべての情報が開示されていること、言い換えれば、特定の個人や団体から開示要求がなくとも、不特定多数の人々が情報のいかんに拘わらず、いつでも必要とする情報にアクセスできることを意味していると考えなければなりません。今回、文部科学省が各大学に課したのは、そのような意味での公表であり、単なる公開ではないことに、私たちは留意しなければならないでしょう。大学が象牙の塔であった時代は、1969年、大学紛争最後の年にすでに終わりを告げました。大学は、社会全体に対して、その教育・研究内容の透明性(transparency)を確保し、説明責任(accountability)を果たさなければなりません。別の言葉で言えば、誰でもいつでも、大学という教育機関の情報にアクセスできることが必要なのです。
文部科学省の法改正はこのことを端的に表しています。いまや私たち大学人は、大学の教育・研究のステークホルダーが、すべての人々であり、それは国内のみではなく、グローバル化した世界全体であることを自覚しなければなりません。文部科学省は、そのために、公開ではなく、公表を義務としたのであり、諸外国に対しての発信も必要であることを考えれば、日本語のほか、少なくとも英語での大学情報公表は実現する必要があると思います。インターネット環境はすでに十分整っており、大学の方針が明確に定められ、またそれを決意すれば、情報公表はすぐにでも可能な状況になっているのです。
「改正学校教育法施行規則」第百七十二条の二第1項の第四号〜第六号は、入学、大学教育、卒業という、継時的進行に沿って公表すべき要件を記していますが、私大連盟が高等教育問題を論じた報告者や学士課程答申について説明したように、大学が樹立すべき三つの方針の根幹が卒業生の質を保証することにあるということは言を待ちません。つまり、大学のあらゆる教学施策の始点は学位授与の方針にあると言えます。そのため、ここでは第六号から順次さかのぼって、第三号に至る順番で、私たちの提言を説明したいと思います。
まず問題としなければならないのは、卒業の認定基準、すなわち学位授与の方針です。それは社会に対して、どのような知識や能力をもった人材を輩出するかという、大学の決意表明であり、それが身に付いていない学生は卒業させない、という厳しい基準となるものでなければなりません。昨年私たちが発表した報告書『学士課程教育の質向上と接続の改善』で述べたように、「例えば「現代社会の要請に応えうる人材を養成する」などという抽象的表現での人材育成目標を言うのではなく、各学問・教育分野に即して、自大学の各学部、あるいは各学科を卒業した学生はどのような知識や能力をもっており、どのようなことが出来るかを具体的に示したものとなるべき」であると言えます。私立大学はそれぞれ建学の精神をもっており、学位授与の方針として、それを体現する包括的指針は、私立大学である以上なくてはならないものですが、卒業した学生がどのような知識と能力をもつかは、学部・学科等の専門分野で明らかに異なっているはずであり、それを、各教育課程と密接な関連をもつ学問・教育分野に即して具体的に明示することが、ひときわ重要なことであると考えなければなりません。
さらに言えば、卒業生がもつべき知識や能力は、各大学、あるいは学部・学科が恣意的に決定するようなものであっては意味がありません。それは、グローバル・スタンダードに悖るものであってはなりません。いま、この作業は、日本学術会議が文部科学省の委託を受けて行っていますが、ようやく言語・文学分野で参照基準(ベンチマーク)の検討が緒についたに過ぎない現在、イギリスのQAA(Quality Assurance Agency for Higher Education: 高等教育質保証機構)のベンチマークなどを参照することが有益であろうと思われます。
また、卒業時に学生がもつべき知識や能力を具体的に示すときには、観点別教育目標に即して、認知、精神運動/適応、情動の3領域とその総合という四つの面に即して表現することが説得力を高めるだろうと思われます。実際に、『学士課程答申』で謳われた学士力は、この4側面に応じて、「知識・理解」、「汎用的技能」、「態度・志向性」、そして「統合的な学習経験と創造的思考力」を設定しているのです。このようにして卒業時の知識・能力を設定するならば、教育課程の編成・実施方針を定めやすくなるという利点があることも強調しておきたいと思います。
学位授与の方針、すなわち卒業基準を定めるとき、つねに問題となるのが、学生の力をいかにして測定するかということです。このことは、卒業時に初めて問題となることではなく、入学以来学生が履修する個々の授業科目の成績評価という、教員の日常的活動に不断に関係することとなります。現在、我が国のほとんどの大学が、GPA制度を採用していますが、GPAは、その基礎を欠いた時、決して客観的評価基準とはなりえないことに注意しなければなりません。基礎とは、教員が評価基準を共有することです。私の大学時代に、学生は、合格しやすい科目の担当者を「仏の○○」と、また、大半が不合格となる教員を「鬼の△△」と呼ぶなど、成績評価の不均衡をよく知っており、それに応じて、「楽勝科目」を選択履修する傾向がありました。この傾向は今でも続いています。これでは、GPAの信頼度はまったくないことになります。大学全体と言わないまでも、学部や学科、あるいは課程という学士課程の基本単位では、少なくとも、成績評価基準が教員間で共有されていることが必要なのです。A、B、C等の評価値を相対的なものにするか、あるいは、誰が見ても納得できるようなルーブリック評価等を、面倒を厭わずに徹底するか、など様々な方法がありますが、学位授与の方針を貫徹し、社会に対して卒業生の質を保証するためには、このような組織的評価方法が確立されなければならず、これに併せて、人間的成長度などの定量化できない面を評価する方法の開発がいま必要となっていると言わなければなりません。このような評価施策を確立してこそ、学位授与の方針が、あるいは卒業にあたっての基準が公表に値するものとなることを、私たちは肝に銘じなければならないでしょう。
「改正学校教育法施行規則」第百七十二条の二第1項第五号について、2010年(平成22年)6月16日付で各大学等に送付された「学校教育法施行規則等の一部を改正する省令の施行について(通知)」を見ると、「その際、教育課程の体系性を明らかにする観点に留意すること。年間の授業計画については、シラバスや年間授業計画の概要を活用することが考えられる」という注が付けられています。この注は、教育課程編成・実施の方針を明示し、それに基づいて構成された具体的な授業計画を公表することが求められていることを示しています。また、第百七十二条の二第2項には、「教育上の目的に応じ学生が修得すべき知識及び能力に関する情報を積極的に公表する」ことが努力義務として規定されましたが、上記の通知には、「その際、大学の教育力の向上の観点から、学生がどのようなカリキュラムに基づき、何を学ぶことができるのかという観点が明確になるように留意すること」と記載されていますから、義務、努力義務の規定いかんに拘わらず、これらを一体化して公表するのが、社会に対する大学の責務であると考えることが必要でしょう。
つまり、これらの項目は、教育課程編成・実施の方針を余すところなく表明することを求めていると考えるべきであって、前項で述べた、学位授与の方針、あるいは卒業の認定条件を達成するために、実際の教育課程をどのように編成し、運営するかを、学部・学科、あるいは課程ごとに具体的に定めて、これを公表することが必要であると考えなければなりません。大学は、全般的教育理念を実現するための指針、全学共通科目の設置方針に関与するのみであって、実質的には、教育・研究の専門分野を異にする、それぞれの教育課程の編成・実施主体である学部、学科あるいは課程が主体となることが要求されているのです。
その際注意しなければならない問題はたくさんあります。第一に、1991年(平成3年)の大学設置基準の大綱化以来、大学や学部・学科等に任せられた教養教育と専門教育のバランスをどのように定めるかを真摯に考える必要があります。現在の学部入学生の質の多様化を考慮し、例えば大学院で本当の専門家養成を目指すとすれば、学部教養教育の比重と質を高める必要があるでしょう。また、学生のキャリア意識の涵養を行うことも、これまでになく重要になってきました。これらの様々な要請を、教育・研究分野の特質に応じて、また、大学の個性を考え併せながら定めなければなりません。
これらの問題にも増して重要なのは、各大学・学部・学科等が社会に対して約束した「学位授与の方針」を、教育課程においていかに実現するかということです。学位授与の方針として定められた、卒業時に学生がもつべき知識と能力のどれを、カリキュラムに定められたどの科目が担当し、各科目がどのような到達目標を持つかを明示しなければなりません。その認識を学部・学科・課程内の教員が共有し、学生にも社会にも分かりやすい形で、1年次から4年次までの学修過程として、時系列に沿って提示する必要があります。現在多くの大学が、授業科目と教育目標の関係を表として示したカリキュラム・マップや、授業科目間の系統性を図示したカリキュラム・ツリーの作成と公表を試みています。カリキュラムの可視的な表示や履修モデルの提示とともに、各科目の授業計画(シラバス)が、学外の誰からでも見えることによって、教育の透明性と説明責任、そして実行責任を明確化することが必要なのです。
現在、大学教育が孕む問題を、社会に対して切実に示しているのが、大学入学者選抜に関わる問題だと思います。すでに述べたように、いまや「ユニバーサル型」の大学教育の段階となりました。ユニバーサル型の大学とは、一握りのエリートを教育するものではなく、また学生にとっても、大学は人生における一つの経験としてしか自覚されない段階です。日本では、この段階への突入が、18歳人口の激減と、新しい学力観に基づく「ゆとり教育」の進行という、二つの現象と同時並行的に起こりました。さらに、私立大学比率の高い日本では、入学予備軍の絶対的減少を受けて、入学者の早期確保を目的とする推薦入試やAO入試という非学力選抜の急激な拡大を招き、大学入学者選抜の機能不全を招いたことは、もはや詳述する必要もないことです。またそれは、入学前教育、リメディアル教育、本来は理念を異にするはずの初年次教育のリメディアル教育化という、大学教員にとっては労力の多い、しかし不可避の対応を余儀なくさせたことも、全国にわたる深刻な問題となってきています。
入学者に関する受け入れ方針(『学士課程答申』に言う入学者の受け入れ方針)を明確にすることは、このように重篤な問題を抱えた高大接続問題を解決に導く、大きな役割を担っていると考えなければなりません。入学者の受け入れ方針とは、美辞麗句を並べて大学が受験者を勧誘するものであってはなりません。当該学部・学科・課程等で勉学するためには、予めどのような関心や興味を醸成し、高等学校段階でどのような科目を履修し、どのような単元を理解しておかなければならないかを示すべきものです。アメリカ合衆国の諸大学では「アドミッション・リクァイアメント」(入学に当たっての要件)が公表されており、高校でどのような勉強をすることが受験資格になるかが公表されています。
文部科学省の「平成23年度大学入学者選抜実施要項」は、「入学者受入方針(アドミッション・ポリシー)に、高等学校で履修すべき科目や取得が望ましい資格等を列挙するなど「何をどの程度学んできてほしいか」をできる限り具体的に明示すること。なお、明示する科目・資格は、高等学校教育の内容・水準に十分配慮したものとすること」として、その要点を示しています。まさに、このような姿勢が必要です。この指針に沿って、大学入学志願者が高校で勉学し、志望大学を受験するならば、理念的には、大学が今行っている入学前教育やリメディアル教育は、その必要性を確実に減少させることができるはずであり、大学にとってのメリットは大きいと考えなければなりません。
本稿では、私大連盟教育研究委員会が2011年(平成23年)3月に報告した『大学の情報公表義務化と三つの方針』の内容を、私見を交えながら紹介してきました。いずれにせよ、いわゆる三つの方針は、グローバル化が急激に進展している現代世界において、日本の大学教育を広く世界という場で確立するために真に必要なことであり、今回の情報公表義務化は、これを全大学が実現する絶好の機会であると思えてなりません。国公私立、あるいは私立大学団体の別に捉われることなく、日本の全大学が大学としての責務を自覚し、これらの方針を定め、国際社会の現状に恥じない人材を輩出していけることが、また全大学が協働して大学教育−学士課程教育−改革を推進できることが、何にも増して必要であることを記して、本稿の筆を擱くことといたします。