事例報告
大野 高裕(早稲田大学 教務部長・理工学術院教授)
改めて指摘するまでもなく、私立大学は極めて厳しい経営環境に曝されています。それは少子化による18才人口のマーケットが劇的に減少していること、そしてこれが今後も続いていくことでも明らかです。最大時で200万人を超えていた18歳人口は現在、120万人ほどであり、20年後には現在の4分の3にあたる95万人程度にまで減少すると見込まれています。大学進学率も既に5割を超え、もはやこれが増加する傾向は近年見られておらず、日本国内での18歳人口をマーケットとした学生の確保は、今後厳しさを増すばかりです。足りない学生数を埋めるということだけでなく、高等教育機関として、より優秀な学生を確保してより高度な教育を施したいという欲求に駆られる大学にとっては、民族や国籍を越えて海外からの学生を獲得するにはどのようにしたらいいのかという課題に直面しています。
一方、大学運営に目を向けてみると、これまでの文部科学省の監督下にあることで行われてきた護送船団方式に基づく大学運営によって、国公立大学だけでなく私立大学も保護されてきた状況から一変して、厳しい経営環境に置かれつつあります。それは国立大学が独立行政法人となって、経営責任を自らが担わなければならないという義務の見返りとして、幅広い自己裁量を手に入れたことにより、これまでの私立大学との暗黙のうちの棲み分けという構造が崩れつつあるということが一つの重要な要因として取り上げられます。しかしそれだけでなく、世界の大学が我が国の高等教育行政の状況に関係なく、グローバル競争を始めてしまったことによって、否応なく、国内の大学間競争の論理ではなく、国際的な大学間競争の論理の下で行動せざるを得なくなってきている事実があることを正面から受け止めなければならないと思います。この競争はより高い質の教育を模索する、あるいはより高い研究成果を創出することができるようにグローバルな高等教育研究活動を行うということばかりではありません。教育対象となる優秀な学生、研究を担う若手研究者の卵となる学生を他大学に先んじて、世界のあらゆる地域からいかに獲得するかという競争が、欧米の大学だけでなくアジアの大学でも始まっています。
このように日本の18歳人口の劇的な減少と世界の大学間のグローバル競争のスタートによって、海外から優秀な学生をいかに獲得するかといったことが大学の生き残りの重要なカギを握っているのです。そのためには、海外からも入学したいと思えるような教育内容の大学を実現することがもちろん前提条件とはなります。しかしどんなに素晴らしい教員やカリキュラム、教育施設などを用意しても、それが海外にいる学生に知ってもらえなければ如何ともしがたいものがあります。日本国内であれば、高校や予備校、進学塾などの広告・広報チャネルができ上がっていますから、そこにどのようなコンテンツを提供するか、あるいはどの程度の努力でアプローチするかを考えれば対応ができます。特に日本では高校の進路指導の先生や予備校が受験生の進路動向の大半を握っていますから、ここに提供する情報によってその成果が左右されます。ところが、海外の場合には学生獲得のための情報発信といっても、チャネルもなければどのようなコンテンツが求められているか、誰を対象とすればよいかなど、まったくわからないことだらけで、国内でやってきたことの延長線上ではうまくいきません。
ご承知の通りアジアの国々は21世紀に入ってから目覚ましい経済発展を続けています。今後20年間は間違いなくアジアの時代だと主張する人たちも少なくありません。その中でもとりわけ、中国、韓国、台湾の東アジアはもちろん、ASEANなど東南アジアの国々の発展には目を見張るものがあります。人口を見ても東南アジアにはインドネシアの2.4億人を筆頭にして合計で6億人もの人口を抱えています。人口の大きさで言うとすぐに中国やインドを思い浮かべて、18歳人口のマーケットサイズから見て、海外学生の獲得は中国の次はインドだと考える人も少なくありませんが、日本への留学が可能な学生の数からみると、ASEAN諸国は今後有望なマーケットと考えることができます。
ではその東アジアおよびASEANにおいて、学生がどのように各国に留学しているのでしょうか? UNESCOの調査によれば、1999年と2007年のある国から別の国への留学生の数は図1のようになっています。私たちはアジアの国々若者が、日本の経済力や技術力・文化に憧れて、アジアでは日本だけを目指して留学しているのではないかといった幻想を抱いているかもしれませんが、現実はそうではありません。中国からはもちろん日本への留学生が最も多いのですが、韓国やASEAN諸国への留学も大変な勢いで増えています。またASEAN諸国の学生はこれまでアセアニアのオーストラリアが最大規模の留学先だったのですが、この8年間では減少に転じており、中国や韓国への留学が激増しています。そして中国へは23千人、日本へは9千人と留学生の数は日本と中国が逆転してしまいました。
経済成長が著しく大量の留学生を送り出すだけの体力がついてきたASEAN諸国においても、失われた20年の間に日本は、そのブランド力を失いつつあるのです。一時期、若者文化として音楽でJ-POPともてはやされてASEAN諸国でも大人気でしたが、今では韓国のK-POPにその地位を完全に奪われています。安穏としていても、アジアから留学生が自動的にきてくれる時代ではありません。
図1 東アジアにおける留学生数に関する1999年と2007年の比較 (UNESCO調査より)
早稲田大学では留学生の数が現在約4,500名に上っており、これは日本の大学では最大の数となっています。しかし、図2に示したように、ちょうど10年前の2001年には約1,300名に過ぎませんでした。この10年間で約3.5倍に増えたのですが、これは英語で授業を実施して、英語だけで学位を取得できる学部・大学院が設置されたことが大きな誘因となっています。1998年に大学院アジア太平洋研究科が大学院として最初のスタートを切り、学部としては2004年に国際教養学部が発足しました。当初は新たに設置された学部・大学院でのみ英語による学位課程が運営されてきました。しかし、2009年の文部科学省が募集したグローバル30のプログラムに参加したことによって、既存の学部・大学院の中から5学部6大学院研究科が新たに英語による学位課程を設置するに至りました。現在では13学部中の6学部、17大学院研究科中の9研究科といったほぼ半数の学部・大学院が英語による学位課程を運営するに至っています。この他にも英語カリキュラムやプログラムの準備を進めている学部・大学院が多く、本学においてはこうした海外からの学生を迎え入れるグローバル化の潮流が根付いています。
図2 早稲田大学における留学生の推移
これまで授業が理解できるほどに日本語ができないと留学することができなかった海外の学生にとっては早稲田大学に留学するハードルが格段に低くなりました。学位課程に入学する正規学生だけでなく、交換留学などの1年間以内の滞在をする留学生の数も大変増加しました。
留学生の数を地域別で見ると、アジア8割、北米1割、欧州1割程度となっています。国別でみると中国、韓国、台湾、アメリカ、タイが上位5位までを占めます。今後も当面はアジアからの留学生について中国、韓国、台湾からは安定的に確保した上で、ASEAN諸国の学生を増加させていくべきかと考えています。
このように海外からの学生を確保する教育システムを準備しても海外の学生に伝わらなければ何の意味もありません。しかし、どこに魚がいるか分からないのに、太平洋の真ん中で撒き餌するように、まさか全世界にDMを送るわけにもいきません。費用対効果を十分に熟慮して情報発信の手段を選択しますが、本学は海外拠点が大変大きな戦力となっています。図3に示しましたように、アジアに8か所、アメリカに3か所そして欧州に2か所それぞれオフィスを展開しています。1か所(韓国)を除くすべての海外拠点に人員(常勤職員)を配置しています。もちろん海外拠点の仕事は留学生の獲得に関する業務だけではありませんが、とても大きなウエイトを占めています。
図3 早稲田大学の海外拠点
しかし、地域によってリクルーティングの対象が異なっています。欧州や北米からは学部生よりも大学院生が留学する比率が高く、今後もすぐには高校を卒業して直ちに本学に入学することを誘導するのは難しいので、大学間協定による交換留学によって、学部時代に早稲田大学を体験してもらって、大学院入学へと誘導するという方策を採っています。したがって、欧州やアメリカの海外拠点では大学との交流をより活発にするための活動が中心となっています。一方、アジア地域の拠点では、この地域の学生が本学の学部へ入学する流れを重要と考えていますので、現地の高校との良好な関係を構築することが大きな任務の一つとなっています。
現地において留学生リクルーティング活動を行うには、情報戦略が死線を制します。求められている情報は何かという情報の収集と、これに基づく的確な情報提供がうまくいかなければ期待する結果を得ることはできません。ある時、あるアジアの国で日本の大学による学部生リクルーティングの合同説明会がありました。ある大学の先生は持ち時間をほとんどすべて使って、研究の話を事細かに説明しました。内容は素晴らしいのですが専門的すぎて、聞きに来た高校生にとっては、自分の進路としてその大学が適切かどうか判断するのに役立つ情報ではなかったことでしょう。
本学の海外拠点では海外の学生たちがどんな情報を求めているのか、情報チャネルはどのようなものが適切かを判断するために、駐在員が日夜、情報収集を行っています。たとえば進路を決める最終決定権は両親が有している、教育内容の情報も大切ではあるが奨学金や寮そして卒業後の進路実績を細かく知りたがる、あるいは実際に留学した先輩たちが情報チャネルとして有効だなどといった基礎的な情報を集めています。そしてその年の受験動向を現地関係者からヒアリングするだけでなく、現地マスコミからの情報も丹念に集めます。あるいは現地に進出してくる海外からの大学の動向やこれに対する現地学生の反応にも気を配ります。
こうして収集した情報に基づいて、海外拠点と大学本部にある国際部関連の組織が協議して、効果的な情報発信の手段とコンテンツ、タイミングなどを検討します。また必要があればもっと根本的な学生支援策、例えば奨学金や寮などの政策も見直します。こうして検討がなされた結果、例えば、両親を説得できるように、パンフレットやDVDは英語だけでなく、中国語(大陸向けと台湾向け)、韓国語も用意して現地で配布できるようにしています。もちろん、現地説明会も両親を意識して現地の言葉で説明するなどの配慮をしています。また大学のホームページも多言語対応していますが、若者にとって身近なスマートフォンから大学ホームページのようなWeb情報に誘導できるような工夫も凝らしています。さらに、立命館APUが行っているように在校生が直接現地の高校生と接触できるような「信頼できる口コミ」も有効な手段として一部導入しています。
残念ながら私立大学では国公立大学と違って、国費留学生が学部にはほとんど入学しません。したがって、本学では私費留学生として、ある程度経済的に余裕のある家庭からの留学生を対象としてリクルーティング活動をせざるを得ません。ですから、大学予算を投じて広告活動を行う際にも、そうした富裕層の目に触れやすい広告媒体を有効活用するようにしています。また建学以来、数多くの留学生を輩出し、現地のリーダーとして活躍していただいており、その人脈を有効活用させていただくことも情報チャネルとして重要なものと位置付けています。
岩場で釣り糸を垂れて魚が釣れるのを待つような学生リクルーティングは、日本国内以上に通用しません。だからといってやみくもにあちこちを潜って魚を探すような無限に近い労力をかけるわけにもいきません。基本は現地情報に明るい人たちと共同して、現場を足で稼ぐようにして生きた情報を収集する。その上でコストパフォーマンスの高い情報発信方法やコンテンツを開発していく。泥臭くはありますが、これが早稲田大学の海外学生獲得のための基本的な考え方となっています。