巻頭言

知の情報化と情報教育

吉岡 知哉(立教大学総長)

 情報テクノロジーの発達とグローバリゼーションの進展は、21世紀に入ってから加速する一方である。7月には、東証が取引速度を1,000分の1秒以下に速めたというニュースが流れたが、その記事によれば、ロンドンやシンガポール等海外の取引所では、その10倍速い処理速度を既に実現していると言う。今この瞬間にも、巨万の富がバーチャルな空間を移動しているのであろう。私達の日常生活の基盤を大きく揺り動かしているのは、瞬時の変動に対応できる速度と精度を持つコンピュータなのである。
 このような技術的な進歩が私達の社会にもたらしている影響がいかなるものであるのか、また個々の人間の知覚や身体感覚、心理や世界観にどのような変化が生じているのか、私達はまだまとまった認識を持っていない。ただ、21世紀に入ってからの様々な政治的社会的事件がインターネットの存在抜きにはあり得なかったことだけは確かである。
 一方、頻発する企業の個人情報流出事件はもとより、ごく些細なツィートをきっかけにした「炎上」やネット上の誹謗中傷は、私達の社会がこの情報技術の進歩のスピードに未だ追いついていないことを示していると言えるだろう。
 現代の大学教育において、情報教育の持つ重要性について改めて記す必要はあるまい。情報学部や情報学科を持つ大学は枚挙にいとまがない。立教大学においても、メディアセンターが初歩的な段階から数々のパソコン教室を開催している他、全学共通カリキュラムにおいて、「情報科学入門」や「情報科学」、「情報と倫理」など、情報を冠した科目を多数展開している。2010年3月には、調査技法、情報技法、統計技法の活用を促し、本学における研究活動を高度化し、学生の研究基礎能力を涵養することを目的として、社会情報教育研究センターを設立し、より高度な情報処理技術の教育と研究を進めている。また、本年5月には、日本マイクロソフト株式会社と教育連携協定を結び、世界で活躍する人材を育成するためのeラーニング・プログラム「考える技術・伝える技術〜立教型ビジネス基礎講座〜」の共同開発を進めている。
 情報化の加速に対応して情報教育の様々な試みが展開されているが、高等教育を担う大学として常に意識しておかなければならないのは、情報化そのものの意味である。敢えてこの点を指摘するのは、大学教育の現場において、私達はいつからか知識と情報とを混同してきたのではないかと考えるからである。もちろん、知識は一定量の情報に支えられている。しかし、知識は「身につける」ものであり、情報のように「収集」し「処理」するものではない。教育の目的は、情報を知識へと変換して自らの内部に取り込み、自らの変化を生み出す技法を身につけさせることにある。しかし今、授業の場は知識を情報として授受する場として理解され、事実そのように機能しているのではないか。
 このような事態が生じてきた一つの要因は、社会が情報を第一義に考え、知識もまた情報として処理し得ると発想するようになったことによると思われる。今や大学は情報サービスを提供する場であり、大学教育は、一定量の情報をいかに効率よく顧客である学生に提供することができるかに注力すべきであるとされる。学生もできるだけ無駄なく単位を揃えることに関心を集中する。レポートを単に収集した情報の並列であると見なすならば、「コピペ」をするのは効率的な方法であることになろう。
 では、情報を知識へと変えるとはどういうことか。それは個々の情報を、自分と社会が蓄積してきた知識の体系の中に位置づけることである。それはまた、「自分の言葉で語ること」に他ならない。そのための技法こそが教養であり、リベラルアーツである。情報教育が本質的にリベラルアーツ教育の一環として位置づけられなければならないのは、そのためである。


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