特集 多機能端末の試行的活用
西垣内 泰介(神戸松蔭女子学院大学文学部英語学科教授)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語学科では、2011年度からCLiCKS(Campus Life Community of Kobe Shoin)というiPhone(R)を端末として用いるネットワークシステムを発足させ、授業だけではなく、日常生活の中で英語教材を学生へのメッセージとして発信し、また学生と教員の間のコミュニケーションのツールとして英語学習だけでなく、学生生活を全体的にサポートするコミュニティ・システムを展開しています。
CLiCKSを導入するに至った背景としては、次のような問題意識が挙げられます。
1)コミュニケーションの不足
学生同士、学生と教職員のコミュニケーションが希薄になりつつある。また、自分で友達を作れない、大学生活の中で疎外を感じている学生が増加している。
2)コンピュータ・リテラシーの不足
英語系の学科としてはコンピュータ関係の授業に力を入れているが、コンピュータに親しむ学生とそうでない学生の差が大きい。
3)学習の習慣
高校までに自分で学習をするという習慣ができていない学生が増加している。そのような学生は大学での英語学習に対して敷居が高いと感じている。
4)学力の個人差
英語力に関して、高校までの習熟度にばらつきがあるので授業内だけですべてのレベルの学生に合わせた学習が困難である。
(1)CLiCKSの端末:iPhone(R)
CLiCKSの端末iPhone(R)は2011、2012年度の英語学科新入生全員に2年間無償で貸与しています。インターネット接続、メールなどにかかるパケット通信料金や基本使用料は大学が負担、通話料、有料アプリなどは学生の自己負担です。
iPhone(R)をシステムの端末としているのは、CLiCKSの企画を本格的に始めた2010年当時スマートフォンと言えば他に選択肢がなく、iPod Touch(R)ではWi-Fi環境が必要なので、CLiCKSが目指す「いつでも、どこでも英語」を実現するには、iPhone(R)を無償貸与が最善の方法であると決定したものです。2013年度以降については後で述べます。
(2)セキュリティの確保
CLiCKSは、神戸松蔭女子学院大学英語学科の学生および教員のみがアクセスできるシステムです。外部からのアクセスを防ぐため、様々な工夫がなされています。iPhone(R)アプリCLiCKSは誰でもApp Storeから入手できますが、大学で指定した形式のユーザIDとパスワードの他、端末の個別情報をデータベースに記録し、それらすべてが一致したユーザ以外はアクセスできないしくみになっています。また、CLiCKSはPC上のウェブサイトもありますが、これもiPhone(R)上のCLiCKSアプリでロックをはずさないとアクセスできないなど、ユーザが安心して使用できる工夫がなされています。
(3)ポッドキャスト(Podcast)
CLiCKSはメッセージ・システムですが、CLiCKSの中で交わされるメッセージの中で最も重要なものがポッドキャスト(Podcast)というマルチメディアの音声トラックです。主に英語ネイティブの教員が、音声と文字からなる短いメッセージを学科の学生に宛てて発信するもので、現在週に5回程度発信されており、これらに対して学生が英語のメッセージを返信し、そこから対話が続くことも度々です。
CLiCKSのシステムの中にPodcastCreatorというアプリケーションが組み込まれており、教員はこれを使って自分のPCで手軽にPodcastを作成、発信できるようになっています。Podcastは現在主に授業外で発信されることが多くなっていますが、授業の中で活用することももちろん可能です。これによってユビキタス(ubiquitous)な英語学習の環境が実現しています。
図1 Podcastのイメージ
(4)学生・教員のコミュニケーション
CLiCKSでは学科全体、クラス単位、グループ単位、個人同士などでメッセージを送り合うことができ、授業以外の時間には自由にコミュニケーションを行っています。
これらのグループの中には、教員が毎日、自分が読んでいる英語の文章の中から語法を紹介し、学生がそれについて質問、ディスカッションするという内容のものもあります。
CLiCKSのメッセージは写真と位置情報を送ることができるので、友達とのコミュニケーション、友達作りに役立てられるだけでなく、日記として用いることもでき、学生時代の4年間に自分がどこで何を見たかをすべて記録した膨大な卒業アルバムを作ることもできます。
(5)授業内外での活用
CLiCKSシステムには小テストを作成してクラス単位で学生のiPhone(R)に発信する機能もあります。最大で9つの選択肢からなるクイズ問題を生成、発信し、指定の時間内に学生が自分のiPhone(R)から答案を提出、提出時に同時に成績と正解が提示されます。
CLiCKSの小テストは学生、教員のそれぞれのアカウントの中に正解と成績が記録され、学生にとっては自分の成績把握と復習に、教員にとっては学生の成績把握と問題の検討などに役立てられるようになっています。
2012年度は学科の教員間で協力して、学生の聴解力と語彙力を高めることを目指して1日1件単語、主に動詞に焦点を当て、その用法がわかる例文をネイティブの教員がPodcastとして発信、週末に別の教員が1週間のPodcastの復習問題を上記の小テストとして配信しています。
図2 小テストシステムのイメージ
2012年度前期はこの小テストを14回行いましたが、最初は複数回トライする学生が多く見られたのが、回数が増えるにつれ、1回で満点を取る学生が多くなり、全体の平均点も高くなっています。後期もこのテストは継続して行う予定で、1年間の成果がTOEICなどのスコア向上につながることが期待されます。
また、授業の中で練習問題の解答をメッセージとして教員に送らせることもできます。教員は即座に正誤を指摘し、誤った問題については学生は紙と鉛筆の時には見られない、正解にたどり着くまで繰り返し解答を送りつづける態度を見せます。メッセージ・システムの手軽さを活用する例といえます。また、授業時間外に課題を提出させ、同様に正解まで導く対話も行っています。
このように電子端末を英語の授業に導入して気づいたことの一つは、日本語ネイティブの学生の多くが英語のパンクチュエーションを誤って覚えていることです。教えなければ「One,two,and three.」のようにカンマ「,」の後にスペースを入れずに書く学生が多いのですが、紙での手書きは学生の経験に基づいて指摘することができないことです。併せて、iPhone(R)では英語を書く際QWERTYキーボードを使うように指導して、すべての学生にキーボードになじませることができます。
(6)さらなる発展
ポッドキャストとして発信される英語音声メッセージを活用し、音声ファイルを画像と結合させたムービーを学生に作成させるという作業を「英語コンピュータ概論・特論」という授業で行っています。
これにはCLiCKSPodcastで得られる音声デジタル・ファイルを分割、結合など編集し、写真や手描きの絵などを組み合わせて疑似ムービーを作り、音声ファイルと字幕も含んだ動画ファイルを結合するという多様な作業が含まれており、音声ファイルを何度も聴いて動画と字幕提示とのタイミングを調整する必要があり、正に英語学習とコンピュータリテラシーを統合した授業が実現しています。
この授業の成果発表の場として、学生がムービーに変身させたポッドキャスト・メッセージをアーカイブにして置いておくWebサイトを作り、学外にも発信しています。
http://sils.shoin.ac.jp/CLICKS/podcast.html
ここまで述べてきた特徴を持つCLiCKSの導入により、次のような効果が得られていると言えます。
1)コミュニケーションの不足
学生・教員の間のコミュニケーションが授業内外で可能になっている。例えばある学生がコンサートについての書き込みをし、それに返信した学生と友達になったといったことがあり、友達作りに役立っている。
2)コンピュータ・リテラシーの不足
スマートフォンに慣れ親しむことでコンピュータ・リテラシーを自然に身につけている。マルチメディア英語教材を作る作業の中でコンピュータ運用能力が高まっている。
3)学習の習慣
CLiCKSは学生が常に英語とふれる(ubiquitous)環境を提供している。友達とのメッセージ交換、教員特にネイティブの教員とのコミュニケーションの中で遊びと学びがシームレスにつながり、「勉強する」という意識を持たないうちに語学の学習ができる。実際、CLiCKSのメッセージは英語を用いるようにという指導は特にしていないが学生は自発的に英語でメッセージを書いていることが多い。教室でも英語で反応することが多くなった。
4)学力の個人差
メッセージ・システムを活用した指導によって個々の学生が自分で正解にたどり着くまで指導することが可能になっている。小テスト機能を駆使することで学生の成績、到達度をきめ細かく把握することが可能になっている。また、学生はそれぞれの力や意欲に応じてポッドキャストのメッセージに反応している。
CLiCKSはモバイル機器の英語教育分野でのユニークな応用例として評価され、MCPC(モバイルコンピューティング推進コンソーシアム)の「MCPC Award 2012」で奨励賞を受賞しました。
上記のように、CLiCKSの企画に着手した2010年当時はiPhone(R)をはじめスマートフォン自体が珍しく、これを学生に貸与するということはそれなりにインパクトがあり、2012年度当初に行った新入生へのアンケート調査でもiPhone(R)貸与に感謝する意見が多数見られます。しかし、様々な多機能携帯端末の利用が学生の間で拡大している現状を考え、他の端末での利用の可能性についても検討しています。
CLiCKSはiPhone(R)の持つ機能を前提として開発されたアプリなので、多様化するスマートフォンのすべてにアプリとしてのCLiCKSを対応させることは、技術的にもコストの面からも困難です。
しかし、上述したようにCLiCKSにはPCのWebサイト版も存在するので、これを改訂、拡張してスマートフォンのブラウザに依存するCLiCKSとして生まれ変わらせる方向を現在検討中です。学生の100%と言える数の者が何らかのスマートフォンを持っているので、これによって端末の貸与を行わなくても、すべての学科生を対象としたCLiCKSの運用を継続、発展させていくことができると考えています。