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本稿は、EDUCAUSEの許可を受けて本協会の事業普及委員会翻訳分科会で翻訳したものです。
原文 | HTML | http://www.educause.edu/ero/article/disrupting-ourselves-problem-learning-higher-education |
http://net.educause.edu/ir/library/pdf/ERM1221.pdf |
<著者紹介>
ランディ・バス(Randy Bass):ジョージタウン大学 学務担当副学長、学修・奨学新設計センター常任理事(Center for New Designs in Learning and Scholarship)
ラーニングという概念は、従来我々がティーチングという観点から捉えていた概念を覆すほどに変化している。参加者同士がネットワークを通じてインタラクティブに教え合い学び合うソーシャル・ラーニングや、現実の人々との直接的な体験、現実に近い状況を再現できるようになった。そしてそのことが、社会から隔離された教室での学びと実生活に根ざした体験との垣根を低くした。その結果、ラーニングの枠が期待した以上に拡大するとともに、教えるというラーニングのあり方が崩壊の一途をたどっているのである。
「崩壊の一途」とは、授業中に学生達がフェイスブックに興じている環境を意味しているのではなく、クレイトン・クリステンセン(Clayton Christensen)が述べている「崩壊による革新」のことである。つまり、「ある商品やサービスが僅かなニーズに適応して市場の底辺に生まれ、やがて着実に高価な高級品となって既存の競合商品やサービスに取って代わる」という動きのことである(1)。タイトルで使用している「大学教育の崩壊」(disrupting ourselves)とは、高等教育における「教育の崩壊」の主たる原因が、外部からではなく現在の教育実践に根ざしているということである。つまり、体験に基づいた学びが増大し、そのことがもはや部分的ではなく主たる学修となり、学士課程教育の質保証とあり方に著しく重要であることがわかってきた。その結果、ビジネスの世界で起きているがごとく、大学の根幹に関わる既存カリキュラムが崩壊に向かっているのである。
大学の正課カリキュラムは二つの側面から圧力を受けていると言える。一つは、正課に併行したカリキュラムで、体験的な学びがデータとして効果を上げている点であり、もう一つは、インターネットを介した非公式な学びや参加型文化の世界での学びが存在する点である。これらは、我々が正課として考えていたカリキュラムに変更を加えようとしている。圧力が崩壊を導くということは、我々がこの時点まで、正課カリキュラムこそが大学の学びの中心と考え、それを構築・維持してきたことにある。ところが一方では、周辺によくあるような、さほど重要視してこなかった体験中心の正課併行カリキュラム(加えて、初年次教育など変則的なコース)を、あたかも大学の理念・大学の価値・大学の特色を実現する広告塔としてことさら提示してきた。高等教育に携わる我々は、今や「正課カリキュラムが学士課程教育の根幹であることを前提に大学を運営すべきなのか」を自問自答すべきである。
図1 正課カリキュラムに対する圧力
ラーニングの拡大と既存のシステムとの矛盾は、学びのパラダイム特有の現象である。1995年に書かれた記事「教える(teaching)から学びへ(learning)」の中でロバート・バー(Robert Barr)とジョン・タッグ(John Tagg)が主張したのは、高等教育が今や劇的な変化の渦中にあるということであった。それは、教授パラダイムから学修パラダイムへ、一方的な知識の提供から学修体験を主体にした授業設計へ、インプット指向からアウトプット重視へ、個々の活動の集合体から統合した活動の設計への移行である。加えてバーとタッグは、高等教育がこの移行を完全に達成するには、数十年を要するであろうとも述べた(2)。
移行が始まって15年以上経過し、従来高等教育機関が基本としてきた体制からは若干外れるが、徐々に学びに対する理解が深まりつつある。加えて、高等教育機関が学びに対して理解を深めるということは、学生に対する社会への質保証としての「学生が何を学んでいるか」ということと同じである。皮肉にも、高等教育機関の社会的説明責任に対する圧力によって、大学が学びに対して十分配慮し、深く考慮せざるを得なくなってきている。
キャンパスのリーダー達に問われているのは、このような現状にあるカリキュラムをどのように改革するかということである。
教授パラダイムから学修パラダイムへの移行は、結果として、既存の限定的なコースの枠を外れ、「ポストコースの時代」と呼ばれる時期に入ったということである。大学には、ポストコースと呼ばれる機能がいくつかある。それは本来、時間管理や教職員、教育資源を管理するためのコースであり、やがて、規律や現場を管理する基礎を身につけるためのコースとしてカリキュラムに取り入れられ、専攻コースに組み込まれた経緯がある。この分野のコースは将来なくなることはなく、今後も引き続き必要となるだろう。ここで特に言及しておきたいのは、このコースに抱くイメージで、具体的には学士課程教育の中心に位置づけているコースやカリキュラムのことである。
「ポストコース時代」のポストコース(事後学修・認定学修)という用語を使うことで、このコースが教授=学修に効果的となることは後に説明する。その前に、すべての大学には、多くの学生に対して大きな影響力のある授業を実践する、大変熱心で創造的な教授陣がいるということ。また、既存の枠組みで従来の自己完結型カリキュラムによる学びしか行われない時代は終わったということを述べておきたい。全米大学協会(AAC&U)は、この移行を約10年ほど前に予告していた。多大な影響力をもつ協会の報告書「大いなる遺産」(Greater Expectations)では、「学士課程のカリキュラムは半世紀も前に作られた遺物である」と述べている。当時のカリキュラムは、経験則に基づいて局地的に決められ、できあがったものも含まれている。さらに、「カリキュラムの一部としてカタログに掲載されていても、個々のコースは学部に属する科目で、最先端のコースは個々の教授が専門とする科目である。そして、ほとんどの教員達は協働による共通目標を設けたコースを教えていない。学生達は類型化されたコースを組み合わせ、規程単位数と履修に必要な授業時間を念頭にコースを決めている。学位は一貫性のない断片的な単位数を修了すれば授与される。カリキュラムやプログラムには一貫性がほとんどなく、計画的な関連科目さえほとんど提示されていない」と述べている(3)。過去数十年、一般教育から大学連携プログラムに至る幅広いカリキュラム革新のすべてについても、上記に述べたような基本的な条件を満たしておらず、改革はほとんど進んでいないと言える。
カリキュラム体系の再編
既定のコースや正課カリキュラムの崩壊を招いているのは何か。それらが既に学士課程教育の中心でなくなっているとすれば、それはどのようなコースやカリキュラムなのか。2008年の全国学生調査(NSSE)では、馴染みとなった「効果的な教育実践」コースが明らかになった(4)。大学が現在実践しているこれら一連の教育実践は、学修の成果に最も強く結びついている。そして、学生がその教育実践にどれだけ参加したかによって、成功、利益、学位取得、転校、その他の学修の成果評価に多大な影響を与えているのである。以下はその教育実践例である。
これらが「効果的な教育実践」と呼ばれるのは、その教育実践に参加することで学修の効果と持続性が保証されるからである。ジョージ・クー(George Kuh)によると、このような教育実践は、学生の心的概念や思考過程に影響を与える有意味な学修行動であり、学生行動に見られる主たる反応は以下の点であるとする。
この「効果的な教育実践」は、大学のカリキュラム体系のどこに位置づけられているのか。多くは正課カリキュラムではなく、正課に併行したカリキュラムや、予備カリキュラム(例えば学部生による調査研究活動)と呼ばれるカリキュラムである。それ以外は、初年次教育セミナーや総合的学修体験プログラムなど、特別で例外的なカリキュラムとなっている。学修に大きな影響を与えるという観点からいうと、正課併行カリキュラムや予備カリキュラム、および正課カリキュラムで時折実践される体験学修などで集中して学ぶことができる教育実践などが、学士課程教育に新しく生まれた中心的なカリキュラムと言える。事実、検証のために集まってもらった学生(focus group)や非公式での学生達との会話からわかったことであるが、「学生達が最も学びを深めたのはどの授業であるか」と聞いたところ、彼らは心的概念や思考過程の一部に結びついた有意味な授業をいくつかあげた。しかし、学生達が最も熱意を持ってあげるのは、彼らが多くの時間と労力をもって取り組んだ、正課に併行したカリキュラムであった。
我々は、この事実をどのように解釈すればよいのか。もしも、正課カリキュラムに効果的な教育実践の科目がほとんどないとしたら、我々はどのように対処すればよいのか。基本は、効果的な教育実践のコースをもっと作ればよいということになる。つまり、今ある教育実践を効果的にするためにはどうするかであり、コース設計や教室運営、教育方法に生かす方策を見つけることが必要である。実際、どの大学にも熱心な教員がおり、教授・学修センターや教育工学学部の同僚達がいるはずで、彼らが最も中心に置くべき課題は、効果的な教育実践のコース同様、既存のコースの教育成果を上げるように工夫することである。
まず、テクノロジーは、新たなデジタル・ツール、学修ツール、分析ツールとして授業に重要な役割を果たすことが可能で、「効果的な教育実践」の特徴を捉えて、通常の授業の中にそれを再現することが可能である。それは、探求学習の設定やデータ検索・操作を通じて、また、シミュレーションや人々との協働学修、ソーシャル・ラーニングのクラウド導入によって実現することができる。また、学生がコースを履修する時期や方法を再設計することも可能である。事実、現在のテクノロジーを使えば、従来は小教室でのみ可能であった効果的な教育実践が、今や大教室でも可能となり、ある授業では大教室の方が効果的となる場合もある。
次に、正課カリキュラムと体験中心の併行カリキュラムをうまく連携させることで、効果的な教育実践を配置することである。一例としてeポートフォリオの活用がある。eポートフォリオは、コースやカリキュラムを中心に置くのではなく、学生を中心に学修計画を組ませることが可能となる。例えば、総合評価や就職活動でのプレゼンテーションでは、eポートフォリオを使って学部での学修経験を総合的な立場で活用することができる。eポートフォリオは、共同学修(learning communities)や初年次教育にも活用されており、一般教育からインターンシップや4年次の総合的学修体験プログラム(capstone courses and projects)にまで及んでいる。ブレット・エイノン(Bret Eynon)は、「マルチメディアの活用や個人の資質にもよるが、eポートフォリオを頻繁に活用することで、学生は個々のコースにとらわれず、広範囲の教育課程に関心を広げることができる」と述べている(6)。高等教育において、eポートフォリオを継続的に拡大することで、コースや正規カリキュラムでは見えなかった、一貫した流れを多角的に見出すことができるようになるのである。
ここでは、上記のようなアプローチを特に教育工学との関連で考えたい。もちろん、教室と体験的な学びを結びつける手法は無数にあり、既に確立された方法や今後期待される方法(事例として、市民の参加や地域社会連携学修)もあるが、ポストコースを意識してコースの設計を教員とともに作ることは可能であろう。それは、事前学修や事前の概念形成、体験的知識、プログラム全体の学修目標設定、専門家に至る長期的視野などに視点を置くことである。また、コースの枠を乗り越えて、生活体験や他のコースとの連携、実践共同体(communities of practice)に及ぶ課題を反省も含めて設定する方法もあるだろう。このようにポストコースを意識した考え方は、ある一定の基礎知識や技能を身につけるコースを構想するだけではなく、学修経験というもっと大きな文脈の中で、コースの枠組みを超えた連携を構想することである。
参加型文化
もう一方、正課カリキュラムに対する圧力となっているのは、現Web上の参加型文化(participatory culture)と、望む人に情報を提供してその活用・応用の手法も示す新しい仕組みであるインフォーマル・ラーニング(informal learning)である。数年前、ヘンリー・ジェンキンス(Henry Jenkins)のチームは「参加型文化への挑戦」(Confronting the Challenges of Participatory Culture)」という報告書を出版した(7)。彼らは様々なWebカルチャーや、ウィキペディア、ゲーム環境、草の根団体(市民団体)を含む参加型文化を調査した。そして、これら影響力のあるWebベースのコミュニティに共通する項目や特徴を分析した。
すべての大学で、コースがこのように機能する必要があるかどうかは分からないが、以下の点を確認することは意味があるだろう。1)どの程度、大学の授業やコースに上記の特徴が含まれているか、2)どのぐらい大学のコースの中で、学生達が共同体意識、仲間意識、集団への貢献、お互いの創造性という感覚を抱いているか。Webベースのコミュニティで実現されているこのような特徴が、実は「効果的な教育実践」の成果と多くの点で共通していることは決して偶然ではないのである。
正課カリキュラムの多くのコースは、この種の学びや知的コミュニティに即したコースとして設計されるべきであるということに疑問を持つかもしれない。事実、学生達は、大学のコースで基礎的で原理的な知識や技能を学び、その知識や技能を使って、教室外で次元の高い人生経験や学修体験を実践するのである。おそらく、学生達にどのような環境でも総合的な判断ができる準備をさせることこそが、正課カリキュラムの本来の役割であろう。しかし、もし我々がそのような立場に立つならば、現在中心となっている教育実践に対して従来とは異なる様々な決定を行わなければならない。とりわけ、本来あるべき教育の力とその重要性についてのデータをさらに多く入手する必要がある。この大きな方向転換は、学修のインプットから学修のアウトカム(成果)であり、多くの資源を中枢であるカリキュラムの改革に再投資することである。また、教員が行うべき教育という仕事の再定義を行い、学部による生産性を変革して、学修成果を証明する範囲を拡げることである。そうすれば、コース管理システム(CMS)は新しい方法で組織化することができ、ポストコース時代は、それに見合ったポストコースの管理システムが必要となるはずである。
流れを変える
ジョン・シーリー・ブラウン(John Seely Brown)は、「流れを変える」(8)という著作の中で「典型的な学校のカリキュラムでは、まず内容(何を学ぶか)を組み立て、それが実践(学んで何に役立つか)に至る構成になっており、そこには役立つ知識が膨大にある」と述べている。典型的な正課カリキュラムでは、学生はまず知識が詰め込まれる。そして、学生が長期に亘って何かに集中して学べば(学科専攻)、やがて実践に関わる段階に到達する。さらにブラウンは「人はあることを実践することで、より学ぶものだ」と主張している。つまり、人は実践から始め、実践こそ内容の理解に至るということである。言い換えれば、最適な学修方法とは、実践と内容が相互に関係して螺旋状にあると言えるかもしれない。
ブラウンの考えは、学修成果に結びつく手法として最近多く実践されている帰納的で探求的な学修方法に似ている。そこでは、よく設計されたカリキュラム上で、まず挑戦すべき課題が与えられ、そこから学生は課題解決に必要な知識を学ぶのである(9)。
では、どのように流れを変えるのか。まず実践とともに内容を理解するようなカリキュラムに変更するにはどうしたらよいのか。学生は、正課および体験重視のカリキュラムを通して成果を出すことができるのか。教育の専門家である教師が、学修パラダイムに移行する以前の旧態依然たる教育パラダイムの下で1年次の学生に対して行えることと言えば、せいぜい考え方を伝えて、小規模な方法で自分の授業を実践することぐらいである。その結果、成績をつけて評価を行い、何かが起こることを漠然と期待し、幾人かの学生が何かを得ることができるかもしれないと願うばかりである。できなかった学生はドロップアウトして他のコースを履修するだろうし、できた学生は運良くそのまま学び続けてくれる。過去30〜40年でわかったことといえば、教育を実践する教員と1年次の学生との間で行われた意味のある教育活動、つまりお互い葛藤しながら実践して何か意味のあることを行った経験が、2〜3年次の段階で数多く積み重なってきているということである。学修パラダイムでは教育実践者の成果というよりも、その実践に焦点を当てる。新たに行き着く目標は、1年次の学生が2〜3年次にどのコースを履修すべきかではない。学修パラダイムは、教育の役割と新たに生み出されるテクノロジーのあるべき姿を変える。具体的には、1年次の学生が進級する2〜3年次の学修に向けて、教育の役割と新たなテクノロジーを見極め、問題を捉えて種付けをして設計することである。
最終的に、実践重視の教育は教員と大学にとって「教える」ということの意味を変えることになる。大学は、このような「ラーニング」を可能にして最大限に効果を上げる教育環境をどうすれば提供できるのか。そこには当然ながら、教員の教育専門家としてのあるべき役割も含まれている。
自信を持って語る
実践と内容の相関的関係については、教員が学生の学修について真剣に議論する言葉の端々に表れる。それは、どの程度、高次の知識体系が社会的・体験的な学修に根ざしているかを明確にしようとするときである。最近、筆者は教員が立ち止まって教育のあり方を分析し、学生が複雑な課題に取り組み、うまく成功させる場合の学生の動機について考察する「初期のラーニングに関する障害と範囲について」(The Bottlenecks and Thresholds Initiative)というワークショップを実施した(10)。我々は、ある学生の一般教養科目である歴史のレポートを見ながら、学生がうまくリポートを仕上げるには何が必要かを教員に質問した。あまりよくできていない点を指摘していた教員グループに聞いたところ、ある教員は、学生はもっと「自信を持って語る」必要があると述べて、レポートの導入が弱いことをいみじくも批評した。
どの学部が「自信を持って語る」方法を学生に教える責任を持つのだろうか。「自信を持って語る」ことを学んだ学生には、どのようなエビデンスがあるのか。その評価に関してはどのような観点が必要なのか、批判的思考力なのか、それとも口述や記述のコミュニケーション力なのか、統合的な学修力なのか、生涯学習能力なのか。もちろん、教員が「自信」と言っているのは、量的なものではなく、批判的思考力と洞察力から派生する「自信」という意味で、「自信を持って語る」ことを学修することは高い専門性を持って実践が行えるということである。それはもはや、一種の人間力であるソフトスキル(soft skill)を超えた、高等教育の成果として明確かつ体系的に位置づけられている学修である。つまり実践的論理思考による見識ある判断、内省的行動、決断、困難な中でも市民として立ち振る舞うこと、不確実でも自信を持って立ち向かうことなどである。
このような成果を生み出すための仕組みを考えると、我々は早い段階から頻繁に、学生がいかなる環境で厄介な問題を抱えた場合でも実践の中で考えることができるようにしておく必要がある。おそらく一つは、教育の崩壊をもたらす原因となるテクノロジーやソーシャルメディアの役割を再考することであり、もう一つは、学生が「自信を持って語る」ことを学ぶ活動の場となるWeb上のフォーラム、ウィキ、ブログ、ツイッター、共同の書き込みツールやスペースを想定しておくことである。
ヴァンダービルト大学教育センター副所長のデレック・ブルフ(Derek Bruff)は、教育工学、視覚化による思考(visual thinking)、学生の動機付け、教員資質の向上(faculty development)、社会教育学、その他多くの興味深い教育学の手法について、良いものを素早く無駄なく作ろうとするアジャイルラーニング(Agile Learning)のブログを書いている。彼はクリフ・アトキンソン(Cliff Atkinson)の「バックチャンネル(The Backchannel)」を引用してそれを高等教育に応用した投稿を行っている。「教育の裏ルート:九つの教育方法」と名付けたリストには、教員がツイッターで授業中実践しているもので、ノートテイキング、リソースの共有、コメント付け、意味の付加、質問すること、相互協力、提案すること、コミュニティの形成、集団での授業開始の9通りである(11)。
これらは単純な活動ではあるが、1年次の学生を専門性に導き、学問としての思考性を高め、プロとしての論理的思考力を育成するための一貫した教育方法の一部だとしたらどうだろうか。デレック・ブルフが提案する、この素晴らしい9通りの手法を2〜3年次の教育に持ち込めば、初歩の段階から専門課程での実践へのかけ橋として大いなる貢献ができるに違いない。2〜3年次での学修活動が、知的な発達、技能の形成、論理的な資質とどのように関わっているのか。ソーシャルメディアのツールで身につく学修が、「自信を持って語る」学修の手助けとなっているとしたらどうであろうか。
ラーニングという概念がティーチングという概念と食い違っていたとすれば、特に教育支援や教育改革という観点からティーチングの概念をどのように拡大していけばよいのか。
チームによるコースの設計
ティーチングの概念を拡大する方法の一つは、我々が提案している「チームによるコースの設計」である。このアプローチの成功事例は、ラスベガスにあるネバダ州立大学の図書館長で、以前カリフォルニア州立大学バークレー校にいたパトリシア・イアンヌズィ(Patricia Iannuzzi)によって行われた。彼女は、長期に亘る観察の結果、伝統的な「集中分散型(hub and spoke)」教育は、いくら改善しても根本的にはうまくいかないことを見出した。旧来のコースモデルの設計では、良心的な教員がコースの改善を模索しながら、個別に教育センタースタッフ、技術スタッフ、図書館司書、ライティングセンターの同僚らと話をしていた。一旦、コースが始まったら、教員は一人でコース履修の学生を指導するが、時としてその学生達が技術スタッフ、図書館司書、ライティングセンターの教職員のところに行き、課題の手伝いを依頼することもある。しかし、スタッフ達は教員が学生に与えた課題の趣旨を十分理解していない場合が多い。それ故に、学生達は一連の学習をこなすものの、完結性のないやり方で学修することになってしまう。パトリシア・イアンヌズィが取り入れた「チームによるコース設計」は、スタッフも含めて全員が最初から関わる。このモデルの特徴の一つは、教師が中心ではなく、コースと学生が中心であり、すべての関係者がチームとして参画することである(12)。
図2 伝統的なコースモデルの計画と実施
図3 チームによるコースの設計
「チームによるコースの設計」は、新しいコース設計の下、いかに教員と関係する教育の専門家が協力関係を持つかということだけでなく、依頼された図書館司書も含めて、新しく設計した教育モデルが教員だけの負担とならないよう、それぞれ役割分担してコースを実施することが大切である。
関連する事例として、カンザス大学のティーチングエクセレンスセンター長のダン・バーステン(Dan Bernstein)は、パトリシア・イアンヌズィのモデルを使って、ある助成プロジェクトでのチームの効果測定を実施した。それは、州立大学に通う多種多様な学生を対象に、学部生のスキル向上のための最も効果的なコースを設計するプロジェクトで、認知的徒弟制モデル(cognitive apprenticeship model、初心者が熟達者から学ぶという学修理論のモデル)として編成されたコースである。実施した図書館利用案内コースの事例では、ライティングセンター教職員が心理学教授と協働して非学問的な分野での演繹的推論とライティングという複合的な課題の支援をするということで、段階的に調査・研究とライティング課題の設計を行った。この多人数クラスでは、チームが四つの提案を行いながら、改訂したコース設計の成果として最終段階では達成率が1%から50%に上昇した。この調査は、「学生の学修評価および参加した教員評価から判断して、チームによるコースの設計は、多人数クラスにおいても学部生の批判的思考とライティング技能の向上に効果的かつ効率的な方法である」と結論づけた(13)。
「チームによるコースの設計」の優れている点は、個人による改革の枠を外れてコース自体の改革を可能とすることである。高等教育において、我々は長い間、大学教育の改革は教員を替えることで行われるとの思いで取り組んできたが、「チームによるコースの設計」の動きは、そのような考え方を修正させるに十分な方法である。つまり、教員を替えることでコースの変革を行うということではなく、このモデルを導入することでコースの運営方法が変わり、その結果、教員が意欲を持ち、同時にチームに支えられて教育の成果を上げることができるのである。
eポートフォリオとシステム思考
戦略的なコースを常に再検討するという包括的な手法は、多くの点でeポートフォリオと相対的な関係にあると言える。先に述べたように、eポートフォリオは「効果的な教育実践」の成果を支え、かつ強化するための強力なシステムである。その他、eポートフォリオは、学生の仲間作りに寄与し、他人に対する自己表現や自らやるべきこと、学修の仕方について学生自身に考えさせる統合的なツールでもある。「学びの連携」(C2L:The Connect to Learning http://connections-community.org/c2l)プロジェクトは、現在23の大学と連携してeポートフォリオの研究と研究調査に基づく全国モデルを目指すネットワークで、著者も上級研究者として参加している。我々は、大学でeポートフォリオを成功させるためには4段階レベルに分ける必要があると考えている。ピラミッドの最下位の第1レベルは「大学のニーズと支援」、第2レベルは「初年次教育など学部間、キャンパス間の教育プログラム」、第3レベルは「教員とスタッフ」、そして最上位の第4レベルは「学生の学修と成果」である。さらに、これら4レベルのeポートフォリオがうまく機能しているかどうかは、「テクノロジーの活用」「成果評価の方法」「統合性と社会性」「評価と戦略的計画性」の四つの観点から検証されるべきであると考えている。
四つの観点は全4段階のレベルで検証され、eポートフォリオが成功裏に機能するかどうかはピラミッドの階層構造でまとめられる。eポートフォリオ、個人の学修状況(PLEs: Personal Learning Environments)など、何と呼ばれようが、正課カリキュラムや体験中心のカリキュラムの中で、学生が個人の状況を形成的・複合的に形作るものが、教育の崩壊に対する我々の対策には不可欠なものである。規模の大きいeポートフォリオが成功するためには、パトリシア・イアンヌズィが実践したコースのモデルがピラミッドの最下位の第1レベル「大学のニーズと支援」および第2レベル「初年次教育など学部間、キャンパス間の連携教育プログラム」において必要である。それは、目標を設定して実行し、複数の関係者がチームを組んでしっかり遂行するシステム思考の手法である。全4レベルにおいては、個々の教員および個々のコースを超えて物事を包括的に考える必要性が求められ、結果的には、境界を越えた協力体制によってのみ成功することができるのである。
図4 eポートフォリオの階層図
我々自身の連携
我々が大学での改革を考えるとき、ラーニングを理解する幅を広げることでティーチングの概念を広げる戦略を思いつく。
第一は、本来あるべきラーニングが既に新たな主軸となっていることを理解する必要がある。それは、ラーニングとは何かを深く考え、ラーニングの概念が大きく変化していることから、それを前提とした正課としてのカリキュラムを中心に据え付けるということである。
第二は、学士課程教育で提供される一貫性のないコースを整理統合して履修するのは、学生の責任であるという古い考え方を変えることである。我々は、我々自身があるべきカリキュラムを設計することで初めて、学生が深く意味のあるカリキュラムの整理統合を学ぶということを十分認識するべきである。それは、我々がカリキュラムを計画して戦略を立て、大学制度の様々な制約を超えて統合的に教育を実施することである。
第三に、我々は、個人の力で教育を変える方法からいかに決別するかを真剣に考える必要がある。各大学において、チームによるコースの設計を行って実施することを考えるべきであり、そうすることで、教員が革新という重荷をいつも背負って過剰労働になっている状態を根本的に変えることである。同時に、教務支援スタッフ(例えば、IT組織や学生問題担当、図書館員)が自らの専門性を自覚してカリキュラムに関与することである。
最後に、我々はポストコース時代におけるラーニングの問題を真剣に考える必要がある。我々が考えるラーニングは、最近話題の「学修分析」の議論を含めて、教員が関心を持ち努力している学生の評価に関することではない。確かに、学生の学修評価に関して、それを収集・データ化・意味付けすることを真剣に取り組まなければならないが、同時に我々は、領域が広範囲に広がっている環境の中で、注意深くかつ意欲的にラーニングのあり方をどのように定着させ評価すべきなのかを考える必要がある。
「よいアイディアはどこから生まれるのか」の著者であるスティーブン・ジョンソン(Steven Johnson)は、プレゼンテーションの模様を録画した動画アーカイブ、テッドトーク(TED talk)の中で、「チャンスは人のつながりの中で生まれる」と結論づけている(14)。彼は二つのことを取り上げ、その二つともが今日の高等教育におけるラーニングの問題に関連するとしている。その一つは、統合されてはいるが、一見異なっているように見えるものを結びつけるという意味で、もう一つは、社会的なネットワークという意味でつながっていると述べている。
境界を越えた統合的で社会性のあるネットワーク体験の中でラーニングに関する衝撃的な出来事が起こっていることが明らかになれば、我々は、授業と教室外での生活とをつなぐ学修設計でも、このようなWeb経験でのラーニングを考えて再構築する必要があるだろう。統合的な考え方や経験的な学びとソーシャルネットワークや参加型文化とのつながりは、もはや企業活動にとっては周辺的なものではなくなっている。しかし、高等教育でのラーニングが変革の時期にあるという点では、大学のカリキュラムをその方向に先導して再構築すべき中心課題であると言える。
注 | |
(1) | See Key Concepts: Disruptive Innovation, on Clayton Christensen s Website: <http://www.claytonchristensen.com/disruptive_innovation.html>. |
(2) | Robert B. Barr and John Tagg, From Teaching to Learning: A New Paradigm for Undergraduate Education, Change, November/December 1995. |
(3) | Association of American Colleges and Universities, National Panel Report, Greater Expectations: A New Vision for Learning as a Nation Goes to College (Washington, D.C.: AAC&U, 2002), p. 16, <http://greaterexpectations.org/>. |
(4) | George D. Kuh, High Impact Educational Practices: What They Are, Who Has Access to Them, and Why They Matter (Washington, D.C.: AAC&U, 2008). |
(5) | George Kuh, High-Impact Practices: Retrospective and Prospective, foreword to Jayne E. Brownell and Lynn E. Swaner, Five High Impact Practices: Research on Learning Outcomes, Completion, and Quality (Washington, D.C.: AAC&U, 2010). The list also closely parallels that of Arthur W. Chickering and Zelda F. Gamson: Seven Principles for Good Practice in Undergraduate Education, AAHE Bulletin, vol. 39, no. 7 (March 1987), pp. 3-7. |
(6) | Bret Eynon, It Helped Me See a New Me : ePortfolio, Learning, and Change at La Guardia Community College, Academic Commons, January 7, 2009, <http://www.academiccommons.org/commons/essay/eportfolio-learning-and-change>. |
(7) | Henry Jenkins et al., Confronting the Challenges of Participatory Culture: Media Education for the 21st Century, occasional paper, John D. and Catherine T. MacArthur Foundation, 2006, <http://www.newmedialiteracies.org/files/working/NMLWhitePaper.pdf>. |
(8) | John Seely Brown and Richard P. Adler, Minds on Fire: Open Education, the Long Tail, and Learning 2.0, EDUCAUSE Review, vol. 43, no. 1 (January/February 2008), pp. 16-32, <http://www.educause.edu/library/ERM0811>. |
(9) | Michael Prince and Richard Felder, The Many Faces of Inductive Teaching and Learning, Journal of College ScienceTeaching, vol. 36, no. 5 (March/April 2007), <http://www.nsta.org/publications/news/story.aspx?id=53403>. |
(10) | This initiative (http://cndls.georgetown.edu/bottlenecks-and-thresholds/) builds on the work of David Pace and others on instructional bottlenecks and on Jan Meyer and Ray Land s work on threshold concepts. |
(11) | Derek Bruff, Backchannel in Education: Nine Uses, Agile Learning, January 21, 2010, <http://derekbruff.org/?p=472>. |
(12) | See UNLV Faculty Institute on Research-Based Learning for High Impact Classes, <http://www.library.unlv.edu/faculty/institute/>. |
(13) | Dan Bernstein and Andrea Greenhoot, Final Narrative Report on Spencer/Teagle Foundations Project, <http://assessment.aas.duke.edu/documents/KansasFinalNarrativeReportonSpencerTeaglefnl.pdf>. See also Andrea Greenhoot and Dan Bernstein, Using VALUE Rubrics to Evaluate Collaborative Course Design, Peer Review, Fall 2011/Winter 2012, <http://www.aacu.org/peerreview/pr-fa11wi12/UsingVALUE.cfm>. |
(14) | Steven Johnson, Where Good Ideas Come From, TED Talk, July 2010, <http://www.ted.com/talks/steven_johnson_where_good_ideas_come_from.html>. |