人材育成のための授業紹介・医学
大久保 由美子(東京女子医科大学 医学教育学講師)
日本の医学教育は、主として高校卒業者を対象に基礎から高度な専門教育を行い、6年間で医師としての基本的な知識、技能、態度の修得を目指します。医学生が学ぶべき医学知識は膨大ですが、医師に必要となるのは患者の問題を発見し、知識を活用して問題解決する力です。能動的に考える姿勢を身に付け、患者の抱える問題を解決する臨床判断能力を養うためには、一方的な講義による知識の伝達だけでなく、学生に授業中にも能動的思考を必要とする機会を与えるのが有効です。医師が的確に判断すべき場面に類似した機会を作ることで、学生は自分に不足した知識を自覚し自己学習に繋げます。授業中にも教員の支援のもと知識を確認し、臨床的な思考法を順次習得できるような教育を繰り返し行う教育法に、レスポンスアナライザーを活用することで、学生がより能動的に学修するシステムを構築しましたので紹介します。
本学では1990年に問題基盤型学習(Problem-based learning; PBL)を本邦の医学部で初めて導入しました [1]。膨大で細部に亘る医学的知識の教育を講義中心で行ってきた従来の医学教育法から移行し、1学年から4学年を通じて学生が自ら問題を発見し、問題解決法を考え、問題解決していく過程を繰り返し、自己学習およびグループ学習(PBLテュートリアル)を通じて自然に基礎医学系、臨床医学系の知識を増やし、段階的に臨床問題解決に臨めるようにしています。
今回このPBLに加え、新たにチーム基盤型学習(Team-based learning; TBL)を4学年の後期に導入し、大教室で学生個人およびグループの意見や理解度をリアルタイムに確認する新しいICT応用としてレスポンスアナライザーを本教育に導入しました。TBLによる臨床的思考過程の訓練を通して臨床推論能力を身につけさせる学修は、4年間の臨床前教育を統合し、臨床教育への橋渡しの役割も担っています。図1に6学年全体のカリキュラムを示します。
図1 カリキュラム概要
TBLは文系の成人教育法として開発されたもので、大人数の経済学授業を学習者にとって能動的にするために開発されました[2]。近年欧米の医学教育に導入され、本邦の一部の医学部が導入しています。考え方を学ばせるのは通常の受動的講義では達成が困難であるためにPBLテュートリアルなどの工夫がされてきた訳ですが、大教室でも能動性を高める授業としてのTBLもその工夫と言えます。自己学習を前提とし、自己学習を確認する個人テスト(individual readiness assurance test; IRAT)、チーム内討論、チームテスト(group readiness assurance test; GRAT)、チーム間討論、フィードバックから成る授業です。TBLの原法では、GRATは5肢択一のスクラッチペーパーで回答させるか、グループごとに選択した解答を厚紙で掲げる方式を採っています。
本学では、IRATおよびGRATの回答にレスポンスアナライザーを導入し、能動的な授業であるTBLをさらに能動的にしています。すなわち従来授業後にマークシートを解析することで得られるIRATの結果を、瞬時に回答情報が得られるレスポンスアナライザーの特性を活用してチーム討論後のGRAT結果の開示の際に同時に示すことで、チームと同時に個人のレベルまで問題解決の討論を行わせます(図2)。2008年度からこの超能動的なTBLを開始し、学生からも教員からも高評価を得ています。
図2 TBLによる授業の流れ
PBLテュートリアルでは1学年を16〜17グループに分け、テュータ1名が6〜7名の学生グループを担当するのに対し、TBLでは4年生全員の約110名を大教室に集め、司会進行役および授業内容の専門家の教員計2名、または専門家1名のみが司会を兼任して担当します。1回105分間のセッションで、週2回の合計4セッションで一つの症例を扱います。あらかじめTBLの前に学生に症例の簡単な情報(主訴など)を与えておき、関連する器官の解剖や機能、診断に必要な情報を考える、などの課題を与え、自己学習をさせます。TBLの時間の初めに学生にディスプレイで問題を表示し、レスポンスアナライザーで回答する形式でIRATを実施し、その後6〜7名からなるチームで討論し、IRATとまったく同じ内容のGRATの回答をチームごとに行います。次に教員指導のもと、全体でチーム間討論を行います。最後に学生の意見などをまとめた上で、教員による解説(フィードバック)、質疑応答を行います。この一連の課程を反復し、学生は症例に関する問題を、個人、チーム内、チーム間で解決し、領域の専門家による解説により理解を深めることができます。
実際の診療と同じように、患者自身の言葉で語られる訴えをもとに、医師が必要な情報を集め問題を解決していく過程を、実際の患者を診察していくような順番で経験することにより、臨床的な思考を身につけていきます。同時に病態を考えるための解剖、生理の知識の確認と定着、診断を行うために必要な医療情報、検査法を考えさせ、治療法や症例の個人的背景から必要な社会的支援などについても考える訓練をします。症例に沿って教科書に書いてあることが実際にはどのように起こるかを考え、患者にあわせた問題解決を考え、患者・家族の心理・医療倫理を考えた問題解決を行い、限られた医療資源や医療経済についても考えさせ、優先順位を常に考える機会を与えています。
TBLは問題を解いて進めていく授業形式ですが、IRATの成績と、GRATの成績にチーム内メンバーによるチームへの貢献度の同僚評価を乗じたものとを合計して個人成績とします(個人成績=IRAT成績+GRATxチーム貢献度%)。学生はIRATを通じ自己学習の程度を評価されるため、能動的に学習してくることになります。GRATではチームでの成績になるため、限られた討論時間の中で能動的に問題解決しようとします。
通常の講義では、学生個々の反応や理解度を教員が確認するのは容易ではありません。このTBLでは学生に考えさせ、理解度を確認し、意見を出させ、教員が学生の理解や意見に対してその場でフィードバックしますが、学生の考え方や理解度を確認するのにレスポンスアナライザーを用いてリアルタイムに授業の進行に生かすことができます。
用いたレスポンスアナライザーは、内外で広く使用されているクリッカーとは異なり、ICタグの入った学生証により個人が着席した場所を示せること、同時に複数の問題を解答できること、五肢選択問題の正解肢は複数でも設定できることが特徴的です。これらの特徴により、複数の問題と正解肢で構成されるIRAT、GRATの結果がリアルタイムに教員に示され、学生の理解度の確認およびチーム間討論の際の異なる思考や意見の抽出、フィードバックに役立ちます(図3)。また学生にIRAT, GRATの結果を提示することで、学生は個人およびチーム間での思考の多様性を知り、自らの回答の正当性を主張するなどの活発な討論の機会を作ります。IRATおよびGRATの結果を提示すると、自分たちの回答が多数意見なのか少数意見なのか、なぜ他のグループと異なるのか、など各学生が結果に注目しながら自分で考えます。また、教員が個人とチームの意見を引き出すために、レスポンスアナライザーの結果を利用できます。個人の回答結果を供覧することで、一人の意見でチーム全体の回答が変わったことや、個人回答でまったく選ばれなかった回答肢をチームで選んだことなどが明らかになり、その理由を述べさせることで、クラス全体の討論、問題解決における問題点の共有が促進していると感じられます。レスポンスアナライザーの活用は、臨床的思考の多様性を知り、適切で迅速な専門家によるフィードバックにも極めて有効です。IRAT、GRATの得点化も瞬間的に行うことができます。
図3 教員側のディスプレイ
GRATで不正解であっても、その回答を選んだ理由を専門家が認めればポイントとするアピールの機会もあるため、学生は積極的にチーム間討論に参加し発言します。教員によりIRAT(他者)あるいはGRAT(他チーム)の回答が中央に提示されると、クラス全体の討論では自分あるいはチームの回答や考え方とを比較しながら発言者の話を聞き、またなぜ自分の答えや考え方が正しくないかを教員のフィードバックから聞くため、授業に集中します。TBLでレスポンスアナライザーを使用することで、学生全体が同時に同じ問題に取り組み、能動的に考えることができ、さらにチームとして競争心を持ちながら議論をする、学生参加度の高い授業を作ることができます。
TBLは個人による事前学習を前提とします。事前学習が十分な学生はIRATで好成績を取ります。チーム内討論の結果、チームでGRATの回答をしますが、グループダイナミックスによりチームメンバーのIRATの個人成績の全体平均と比しGRATは10%程度の成績の上昇を示します。チーム内討論でチームに貢献した程度を学生同士同僚評価しますが、IRATの成績とGRATの成績に貢献度を乗じたものを加算した個人成績は、IRATの成績と比し全体で約10〜20%上昇します。また臨床推論能力を測定する各種試験で、TBLを導入後は導入前に比し、成績が向上しました [3]。
TBL実施後に学生にアンケートを行いました。TBLの長所として、チーム間討論で他のチームの異なる意見を聞けたこと、専門家による迅速なフィードバックが特に好評でした。PBLテュートリアルでは同一の学習教材を使用していてもグループにより問題抽出や学習項目が異なる場合があり、グループ討論もグループにより多彩です。他のグループがどのような学習、討論をしているのかが分からず、学生は他のグループの学習内容に興味があります。その点TBLでは約110名の学生が一堂に会し、同一の問題に対して多様な意見が出され、専門家による解説が与えられます。学生は事前学習で得た知識が、臨床的な思考における優先順位決定にどう活用されているか、また自分と異なる意見を聞くことで考え方の多様性を知ることができます。実際の臨床の場においても判断に困ることは多く、また最善法の選択についても意見が食い違うことが少なくありません。専門家のフィードバックにより、答えは一つではないが、優先度は「この症例では」こうである、と解説されることで、より臨床に即し実践的な学修をすることができます。また専門家によっても意見が異なることから、多数の専門家からの回答結果から重みづけをした配点をするscript concordance test (SCT) [4]の導入も2010年度に行い、TBL実施の前後で臨床推論能力の学習効果を判定する材料としています。TBL実施後に学生に記憶に残る学習法を選ばせたところ、16%の学生がTBLを選択しました [3]。レスポンスアナライザーの使用に関しては、学生はクイズに回答しているような感覚で、数分の指導で全員が正しく使用しました。
一方、学生から悪評であったのは同僚評価であり、チーム内討論でのリーダーシップ育成や公平な個人成績の算出に必要であることを説明しても、なかなか学生には馴染んでもらえていません。
教員からの観察では、レスポンスアナライザーを使用したIRAT、GRATの回答やチーム内討論、チーム間討論、学生の理解度に応じた迅速なフィードバックが、105分間の大教室で行う授業における学生の学習意識を高く維持し、学生は興味を持って楽しく学習していると感じられます。一般の講義で見られる居眠りや私語は見受けられず、チームごとに回答の正当性を主張したり教員に活発に質問する様子は、明らかに通常の講義とは大きく異なります。
本学ではTBLの他にも臨床前教育(1学年〜4学年)の教室にレスポンスアナライザーを設置し、一般の講義においても教員がその場で問題を出して回答させるだけでなく、学生が講義を深く理解している場合に押す「納得(◎)」ボタンや、講義の内容が理解できていない場合に押す「分からん(?)」ボタンを併設した端末を用いています。教員は棒グラフで「◎ボタン」や「?ボタン」を押した学生の割合をリアルタイムで見ながら講義します。
レスポンスアナライザーを利用したTBLでの臨床的思考過程を学ばせる教育法は、制限された時間内で最適な判断を求められる医師を育成するのに適しています。これまで断片的であった知識や理解を統合し、目の前にあたかも患者が存在し、その問題を発見、解決するために自己、チームで判断していく過程は、臨床実習の直前に実施する教育法として有用であると考えます。
参考文献 | |
[1] | 東京女子医科大学医学部テュートリアル委員会, ed: 新版 テュートリアル教育−新たな創造と実践. 2010, 篠原出版新社: Tokyo. |
[2] | Michaelsen, L., A. Knight, and L. Fink, Team-based learning: a transformative use of small groups. Praeger, 2002. |
[3] | Okubo, Y., et al.,: Team-based learning, a learning strategy for clinical reasoning, in students with problem-based learning tutorial experiences. Tohoku J Exp Med, 227(1), pp.23-9, 2012. |
[4] | Charlin, B., et al., : The Script Concordance test: a tool to assess the reflective clinician. Teach Learn Med, 12(4), pp.189-95, 2000. |