特集 オープンな学びを提供するJMOOCの取り組み

JMOOC講座
「俳句―十七字の世界―」を担当して

川本 皓嗣(大手前大学名誉教授)

1.はじめに

 JMOOCの講座では、「俳句―十七字の世界―」を担当しています。まず、ネットに出ているこの講座の予告編(プロモーションビデオ)のナレーションは、以下のとおりです。
 「俳句は575。ご存じのように、たった17音です。でも、その17音が実はどれほど短いか、考えたことがありますか?たった17音で何かを言うことが、どれほど大変なことか、いや、どれほど変なことか、想像してみてください。
 例えば、『ぞうさん』という歌がありますね。歌ってみましょう。『ぞうさん、ぞうさん、おはなが長いのね』これだけで、もう17字、俳句ならもうおしまい。『上野発の夜行列車、降りたときから』、ここまでで18字、もう長すぎです。早い話が、いま短い短いと言われるコミュニケーションツール、ツイッターでさえ、140字もあります。俳句ならたっぷり8つも入りますね。
 『閑(しずか)さや岩に浸(し)み入る蓉(せみ)の声』ほとんど意味不明の片言に近いこのようなテクストが、どのようにして『詩』であり得るのか、なぜ複雑微妙な意味をはらんで、読者に深い感動を与えるのか。この日本独特の『小さな』詩については、まだまだ知るべきこと、学ぶべきことがたくさんありそうです。
 芭蝉の数々の名句、現代の高校生の俳句、アメリカのハイクなどをじっくり読み味わいながら、そうした俳句の不思議なしくみと働きを、ご一緒に考えて見ましょう。
 このコースでは、反転学習を行います。会場は西宮市夙川(しゅくがわ)の大手前大学です。海あり、山あり、川あり、四季とりどりに美しい表情を見せるこのキャンパスに、どうぞ一度、脚をお運びください。みなさんの受講をお待ちしております。」
 このプロモーションビデオは、兵庫県西宮市夙川にある大手前大学のキャンパスと、花盛りの夙川べりで4月に撮影しました。

2.JMOOCプレッシャー!

 JMOOC講座は日本初の無料でのオンライン授業で、今年の4月に東京大学の本郷和人教授による中世史の授業を皮切りに、慶應義塾大学や早稲田大学と他の大学が後に続きました。筆者が2012年まで学長を務めた大手前大学でも、この壮大な企画に挑戦することになり、さっそくお声がかかりました。筆者が担当する「俳句―十七字の世界―」は、今年の8月25日から4回分の授業が開始されました。配信のプラットフォームはgaccoが提供されました。
 去年の暮れにこの授業のお話をいただいたとき、筆者はもちろん未経験ながら、直感的に大変なことを引き受けたという予感がありました。授業の用語は日本語ですが、なにしろ無料で世界中にネット配信されるわけだから、原理的には誰でも見ることができます。大学の教室なら、学生は多くてもせいぜい300人程度ですが、講座を見る人はその何倍いるか、想像もつきません。
 その準備には、ふだんの授業とはまったく別種のプレッシャーがかかりました。実は、大手前大学では何年も前からeラーニングに大変力を注いでおり、こうした教材の制作に精通した優秀なスタッフがそろっています。筆者自身、同大学の通信教育課程で開講されている「俳句と川柳」講座を担当していますので、eラーニングの勝手はわかっていたつもりですが、JMOOC講座はあまりにもオープンで規模が大きいため、かなり緊張しました。
 そのため教材の制作にあたっては、内容や表現の分かりやすさと簡潔さを目指して、シナリオ作りに細心の注意を払い、スライドの構成や用語のチェックにも念を入れました。草稿ができ上がるごとに様々な方々に見てもらい、呑み込みにくいところ、詳しすぎて退屈になりそうなところを片端から修正しました(図1)。
 結果として、何度原稿を書き換えたか分かりませんが、スタッフの皆さんが様々なアイデアを出しながら、根気よく付き合ってくれました。

図1 修正中のスライド・シナリオ原稿

3.なぜJMOOCで俳句を選んだのか

 筆者は比較文学が専門です。東西の詩と詩学――主としてフランス、イギリス、アメリカの詩、漢詩、そして日本の古典詩(和歌、連句、俳句)と近・現代の詩を勉強しています。そもそもこの授業で、誰でも知っている(あるいはそのはずの)俳句を取り上げたのには、理由があります。俳句については、これまで数百年ものあいだ、膨大な研究や評論が積み上げられてきましたが、それにもかかわらず、そもそも俳句とはいったいどのような詩なのかという問題を、真正面から取り上げ、論じたものはめったにないからです。
 俳句について、例えば「わび」や「しおり」、「かるみ」を語ったとしても、それは俳句の内容、あるいは俳句で尊ばれることもある伝統的な美学、美的な理念を指しているだけで、俳句という言葉の遊び、ないし芸、ないし芸術の正体を説明したことにはなりません。比較文学の視点から見ると、そうした議論では、俳句がどれほどふしぎなものか、世界的に見て、どれほど風変わりで面白い詩の形式であるかについては、ほとんど触れられていないようです。筆者がこのようなことを考えるようになったのも、一つには、海外の学会で(しかも英語で)連句や俳句を論じるたびに、いったいどう説明すればわかってもらえるかと、つくづく考え込まされることが多かったからです。
 プロモーションビデオでご紹介した通り、俳句はとんでもなく短い詩です。あらゆる俳句論はまず、その点に驚嘆することから始めなければいけないでしょう。これほど短い言葉の切れ端が、人に何かを訴えかけ、我々がそれを面白いと思い、そこに深い意味を読み取るのは、誠に不思議なことです。それはいったいなぜなのか。詩としての俳句のしくみや働きは、どのようなものなのか。
 筆者の考えでは、芭蝉の俳句は歴史的に見て、和歌と連歌、そして俳諧連歌という三つの古典詩の特徴を受け継ぎ、そのエッセンスを内蔵しています。また芭蝉と芭蝉以後、現代までの俳句は、文体と意味の上で基底部と干渉部という二つの部分に分かれ、誇張と矛盾という二つの基本的レトリックの原理に支えられています。俳句が極度に短く、しかも懐が深いのは、そのためです。
 「俳句―十七字の世界―」で述べた筆者の俳句論は、これまで行われてきた議論の枠からいったん外に出て、ひろく「詩」一般という見地から、改めて俳句のめざましい特徴を明らかにしようと試みたものです。詳しくは、拙著『日本詩歌の伝統―七と五の詩学』(岩波書店、1991年)と、その英語版The Poetics of Japanese Verse:Imagery,Structure,Meter,trans.by Gustav Heldt,Kevin Collins and Stephen Collington (The University of Tokyo Press,2000) や、中国語版『日本詩歌的伝統―七与五的詩学』王暁平・雋雪艶・趙怡訳(南京・訳林出版社、2004)などをご参照いただければ幸いです。
 そうした議論の主な拠りどころとしては、東西の様々な詩と詩論、芭蝉とその一門が残した俳句と連句の作品、芭蝉が弟子たちと句作について交わし合った様々な議論、そして芭蝉以後、現代までに作られた主要な俳句の数々を挙げることができます。
 このように、詩の構造面から俳句にアプローチするやり方が、受講者に受け入れられるどうか、また最後まで授業についてきてもらえるかどうか、開講まで大いに心配しました。また、履修者の皆さんが、想像以上の熱意と好感をもって授業を受け入れ、何度も繰り返して講義動画を視聴して下さったようです(図2)。

図2 講義の1シーン

4.「ディスカッション」と「反転授業」

 gaccoには講座と並行して、「ディスカッション」という共同の掲示板が設けられています(図3)。授業が進むにつれて、どんどん書き込みが増えていきました。それを見たり質問に答えしたりしているうちに、受講生の学びに対する熱意をひしひしと感じました。はっとさせられる議論や意見とともに、嬉しく心強い感想もたくさんありました。ディスカッションで参考書を紹介すると、すぐに「図書館で借りてきた」「購入した」という積極的な反応が返ってきました。

図3 「ディスカッション」のページ

 またこの講座では、「反転授業」を実施しました。「反転授業」とは、講師側から一方的に情報を吹き込むふだんの授業とは逆に、学生側からの発言や議論に重みを置く授業のことで、講師と受講者が初めて(そして、場合によっては一度だけ)じかに出会う場でもあります。この対面授業は、9月20日に西宮の大手前大学で行いました。こちらも初めての経験なので、夙川のキャンパスまで受講者に来てもらえるか、またどうすれば活発な発言や意見交換をしてもらえるかといった心配があり、ティーチングアシスタントやスタッフと何度も相談を重ねて、企画を練りました。
 当日は福島、岐阜、東京、岡山など全国から履修者が来られ、高校生特別募集枠から宮城県小牛田(おごた)農林高等学校の文芸部の5名も参加してくれました。
 反転授業は、一組4〜5人ずつの10グループに分かれて実施しました(写真1)。受講生は15歳〜79歳と幅広い年齢層で、これまで俳句に親しんできた方、そうでない方など、様々な人々が集まりました。受講生は、はじめ堅くなった様子でしたが、授業前に設けた自己紹介の時間がうまくいって、受講生の緊張が一挙に解けたようです。自己紹介は、一人1分の自己紹介と残り1分で他のメンバーが思い思いにインタビュー(質問)する方法としました。
 授業では、二つのグループワークを行いました。前半の部では、事前に提示しておいた芭蝉の2句をめぐって、グループ内で意見を交換し合い、代表者一人がその結果を発表しました。また後半の部では、受講生が自分で作ってきた俳句をグループ内で読み合い、それぞれに一句ずつを選んで、代表者がその選考理由を発表しました。そうして選び出されたすべての句をスクリーン上に映し出し、各句の具体的な評価・添削を、ゲストにお招きした大野鵠士氏にお願いしました。氏は知る人ぞ知る岐阜・美濃派の俳人(俳誌『獅子吼(ししく)』主宰)で、筆者の俳句論に大いに共鳴して、句作の指導に取り入れて下さっている先生です。大野氏の分かりやすく実践的なコメントは、受講者の創作意欲を大いに掻き立てたようです。
 全員が初対面同士のグループワークが果たして盛り上がるかどうか、不安もありました。しかし、そこは4週間のハードなコースをともに踏破した同志といった感じで、時間が足りないほど熱い議論が交わされていました。

写真1 大手前大学で行われた反転授業

5.レポートと相互採点

 課題としては、各週のクイズ(10問)の他に、最後の週にはレポートを課しました。最終レポートの課題は、芭蝉の俳句のうち、講義で扱っていないものを1句選んで、論評せよというものです。長く学窓を離れていた履修者にとっては、レポートを書くこと自体、不慣れな作業だったかもしれません。その上、相互採点制を採用したので、それぞれ他の5名の受講生のレポートも採点しなくてはならず、大変なご苦労だったかと思います。しかし結果として、1,400名の方々からレポートの提出がありました。またその内容を見ると、課題文には「基底部・干渉部」にかかわる特定の指示がなかったにもかかわらず、きちんと二つのキーワードを入れて書かれたレポートが多かったようです。これは講義をしっかりと視聴された証拠でしょう。10月1日に課題の締切りがあり、受講生に修了証を送付しました。

6.おわりに

 この科目には6,992人が登録し、合格者(68点以上)は1,719名、修了パーセンテージは25%だとうかがっています。海外のMOOCの修了率が約5%だということなので、この修了率は、学びに対する日本人の強い意欲を感じさせる、誠に頼もしい数字ではないでしょうか。研究者(教育者)の一人として、この経験は大きな刺激になりました。


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