人材育成のための授業紹介・物理学

多様な学習履歴を持つ学生に対する物理学教育

寺田 貢(福岡大学理学部教授)

1.はじめに

 理系学部における物理学は、その学部の専門教育の基盤となる科目として位置づけられます。そのため、専門科目が開講される前の、低学年次に配当されることが多くなります。一方で、高等学校での理科の選択の自由度が高くなり、入学者が履修してくる理科の科目が多様化しています。その結果、たとえば工学部の入学者であっても、大学で初めて物理を学ぶ者も含まれるような場合も生じ、このような学生に対し、リメディアル教育を実施する大学もあります。
 本稿では、高等学校および受験の過程で理科の学習履歴の多様化が著しく、物理の初学者と入試科目として学習した者が、同じクラスで受講する薬学部の1年次の物理学の講義の報告です。そこでのICTを活用した授業改善の実践例について、この科目を筆者が担当してきた2005年度から、2012年度の後期と2013年度の前期を除き、これまで10年間の状況を報告します。

2.講義科目について

(1)科目の位置づけ

 本稿で紹介する講義科目は、薬学部の1年生を対象に開講している科目です。よく知られているように、薬学部におけるカリキュラムは、「薬学教育モデル・コアカリキュラム」[1]に沿って構成されます。物理学については、「薬学準備教育ガイドライン」の「薬学の基礎としての物理」に定義されています。一般目標は、「薬学を学ぶ上で必要な物理学の基礎を身につけるために、物質および物体間の相互作用などに関する基本的な知識を修得する。」とされています。「薬学の基礎としての物理」は基本概念、運動の法則、エネルギー、波動、レーザー、電荷と電流、電場と磁場、量子化学入門の8個の分野に分けられ、それぞれに到達目標が設定されています。
 講義は前期と後期に、毎週1コマ(90分)で15週間ずつ開講されています。上記の内容のうち、前期に基本概念、運動の法則、エネルギー、波動、後期にレーザー、電荷と電流、電場と磁場、量子化学入門を取り上げています。過去には、前期と後期ともに必修科目であった時期もありましたが、近年は、前期は必修科目で後期は選択科目となっています。今年度(2014年度)は、後期の履修登録者は前期の70%ほどでした。これは、後に示すこの科目の授業アンケートの「この授業に満足している」の問いに「あてはまる」と「ややあてはまる」と答えた学生の割合とほぼ等しい値となっています。

(2)受講生の特徴

 図1に、この科目の受講生の高等学校での理数系科目の履修状況を示します。この履修状況の調査は、2005年度から2011年度の7年間についての結果であり、積み上げグラフを採用しているため、縦軸の目盛の最高値が毎年100%の7年間の累積という意味で700%になっています。この期間の入学者は、当時の旧課程の理科IB・IIという課程であったものと、新課程の理科I・IIとなっていたものが含まれているため、横軸には「理科IBまたは理科I」という意味で「物理I(B)」などのような表記を用いています。この調査は、毎年の講義の初回に受講者の協力により、実施しています。

図1 受講生の高等学校での理数系科目の履修状況

 これらの結果から、高校で「理科IBまたはIと理科II」を履修した者は、薬学部という専門性も含め、化学が最も多く、生物が半分強、物理は半分弱となっています。7年間の結果を平均すると、この科目の受講生のうち、物理を46.1%、化学を91.7%、生物を52.5%、地学を0.7%学んだ者が含まれるということが分かります。これは、半数以上の受講生は高校で物理を学んでおらず、この科目で期待できる物理学に関する予備知識としては、中学校での理科の第一分野の知識までであることを示しています。
 図2には、この科目の受講生の入学試験の受験に際しての理数系科目の選択状況を示します。このデータから、それぞれの科目を受験科目として勉強した学生の状況が分かります。図1の履修状況と同時に取得したデータであるため、7年間のデータとなっています。

図2 受講生の入試での理数系科目の学習状況

 これらの結果から7年間の「理科IBまたはIと理科II」を受験科目として勉強した者の数は、前述の履修状況と同様に、化学、生物、物理の順となっています。7年間の結果を平均すると、この科目の受講生の中には、受験科目として、物理を27.6%、化学を73.9%、生物を33.3%、地学を0.2%の者が選択しているということが分かります。受講生の中には、国立大学や医学部と併願した者も含まれているものと考えられ、4分の1を超える学生は受験科目として物理を学んだ経験を持つことが分かります。
 上述の高等学校での理数系科目の履修状況や、受験に際する理数系科目の選択状況のアンケート調査に合わせて、物理に関する印象についても調査しています。物理学に関する印象について、「物理学や科学技術は興味深い」、「物理学や科学技術はつまらない」、「科学技術の話題に関心がある」、「物理は数式を変形することが多く、数学の問題を解いているような気がする」、「物理学は未来を作る夢の科学技術の原点である」、「科学の進歩により自然環境の破壊が進んだ」、「百数十年後にはドラえもんが誕生する」、「コンピュータや携帯電話を使うのが好きだ」、「物理は公式を暗記する科目である」、「試験や単位に関係なければ物理学など勉強したくない」の10項目について調査しています。「物理は数式を変形することが多く、数学の問題を解いているような気がする」、「物理は公式を暗記する科目である」、「試験や単位に関係なければ物理学など勉強したくない」の三つの項目は、物理学についての受講生のもつ先入観を調査するために設定しました。このうち、「試験や単位に関係なければ物理学など勉強したくない」の項目について、7年間の変化を図3に示します。

図3 項目「試験や単位に関係なければ物理学など勉強したくない」への回答

 7年間の平均として、項目「物理は数式を変形することが多く、数学の問題を解いているような気がする」については、「そう思う」と「どちらかといえばそう思う」の和は44.8%、「どちらかといえばそう思わない」と「全くそう思わない」の和は21.4%でした。項目「物理は公式を暗記する科目である」については、「そう思う」と「どちらかといえばそう思う」の和も、「どちらかといえばそう思わない」と「全くそう思わない」の和も31.4%でした。項目「試験や単位に関係なければ物理学など勉強したくない」については、「そう思う」と「どちらかといえばそう思う」の和は35.2%、「どちらかといえばそう思わない」と「全くそう思わない」の和は31.9%でした。
 物理学と数学との区別や公式の暗記に関して、受講者にある程度の先入観があるように考えられますが、3分の1以上受講者には「物理学を勉強したくない」という意識があることが分かります。これらの受講者には、高校で物理を学習していないことから、不安感を抱いている者も含まれていると考えられます。回収された調査用紙の自由記述欄には、その旨が記入されているものもありました。一方、受験科目として物理を学習した者には、既に受験物理を極めたと考えて、今後の薬学の学習との関連が少ないと考えられる物理学に興味を示さない者も含まれていると考えられます。
 以上のことから、この講義には、次のような問題点が考えられます。受講生のうち、半分以上は物理の初学者である一方、4分の1以上は受験科目として物理を学んでいるため、受講生の物理に関する基礎知識に差があり、講義のレベルの設定が困難です。さらに、薬学部に所属する受講生にとって、物理学を学ぶことの意味が認識されにくく、できれば物理学を学びたくないと考えている者が3分の1以上含まれています。

3.授業内容について

 例年の受講生は、約120名で、これは薬学部の1学年のほぼ半数に当たります。前述の通り、選択科目となる後期は、必修科目である前期よりも受講生は少なくなります。薬学部の学生の最終的な目的は、国家試験に合格して薬剤師として社会に巣立つことであり、それに対して物理学を学ぶことの意味が理解されにくいということも考えられます。
 このような受講者に対して、以下のように講義を実施しています。講義は、液晶プロジェクターとスクリーンの設置された教室において実施していています。持ち込んだパーソナルコンピューターを接続して、PowerPointのスライドと物理学の学習内容について解説したビデオを提示して講義を行っています。
 教科書としては、2005年度から2007年度までは「薬学系の基礎物理学」[2]、2008年度からは「薬学の基礎としての物理」[3]を採用しています。
 PowerPointのスライドは、解説内容を548枚製作し、講義の際に印刷したものを受講者に配布しています。さらに、物理学の内容について解説したビデオ教材としては、「リメディアル☆フィジックス」を用いています[4]
 2005年度の前期・後期および2006年度の前期は、教科書とPowerPointでの講義を行いました。2006年度の後期からビデオ教材を取り入れた講義に切り替えました。さらに、2008年度から講義終了15分前ほどから、演習問題を出題するようにしました。
 教科書の掲載順に従って、講義を行っています。講義を教科書通りに進めることにより、初学者の受講者に対しては安心感を与えることができると考えています。また、受験物理を極めたと考えている受講者は、入試問題を解くテクニックを熟知しているかもしれませんが、実験をすることや現象を見る機会は少なかったと考えられます。ビデオ教材では、実験や現象を映像化している部分が多いため、これらの受講生に対しても興味を喚起できると考えています。
 講義終了の15分前から、その日の講義内容に関する演習問題を出題し、授業内容を確認させています。その解答は、本学の総合情報処理センターのサーバ上に構築されたMoodleにアップし、講義終了後に学内・学外を問わず、受講者が閲覧可能とし、ファイルをダウンロードできるように、公開しています。さらに、このMoodleには、各巻100ライセンスずつ購入してあるビデオ教材もアップし、受講者が視聴可能としています。受講生はこれらを利用して、事前・事後の学習を行うことができます。
 以上のように、この講義では、ICT機材・環境として、ノート型パーソナルコンピューター、ビデオ教材、548枚のPowerPointスライド、Moodle、教室に設置されたプロジェクターとスクリーンを使っています。

4.教育効果について

 前述のような受講生に対して、講義を実施した結果について、授業アンケートの結果から評価します。授業アンケートは、15回の講義のうち、12回目または13回目の講義に実施されます。2008年度までは、前期開講科目のみの調査でしたが、2009年度から後期開講科目についても実施されるようになりました。受講生は「授業は興味や関心を引くものだった」、「授業は理解しやすかった」、「教師の熱意を感じた」、「教師の話し方や声は聞き取りやすかった」、「板書や視聴覚機器(プロジェクタなど)の使用は適切だった」、「教材(教科書・資料・実習教材など)は適切だった」、「教師の学生に対する態度は適切だった」、「授業の開始時間、終了時間が守られていた」、「学習する雰囲気を妨げる行動に対して、適切な対応が行われていた」、「この授業に満足している」の10項目について「あてはまる・ややあてはまる・どちらともいえない・ややあてはまらない・あてはまらない」の5段階で回答します。また、「シラバス通りにやってほしい」、「授業の目標をはっきりさせてほしい」、「授業内容をもっとやさしくしてほしい」、「授業の進行をゆっくりしてほしい」、「授業のレベルをもっと上げてほしい」、「板書を工夫してほしい」、「マイクを使ってほしい」、「受講人数が多すぎるので少なくしてほしい」の8項目について「Yes・No」で回答します。
 図4に、項目「この授業に満足している」に関するそれぞれの年度の前期のアンケート結果を示します。

図4 項目「この授業に満足している」への回答

 図4からわかるように、ビデオ教材を導入する前の2005〜2006年度と2007年度以降では、傾向が異なっています。この項目以外でも、2005〜2006年度は否定的な回答が多いのに対し、2007年度以降は肯定的な回答が増えています。項目「授業は興味や関心を引くものだった」では、肯定的な回答(「あてはまる」と「ややあてはまる」の和)は、2005〜2006年度の平均は13.9%で2007年度以降の平均は51.0%であり、否定的な回答(「あてはまらない」と「ややあてはまらない」の和)は、2005〜2006年度は42.8%で2007年度以降は14.2%でした。項目「授業は理解しやすかった」では、肯定的な回答は、2005〜2006年度の平均は16.5%で2007年度以降の平均は54.8%であり、否定的な回は、2005〜2006年度は48.4%で2007年度以降は11.8%でした。項目「この授業に満足している」では、肯定的な回答は、2005〜2006年度の平均は21.7%で2007年度以降の平均は58.2%であり、否定的な回答は、2005〜2006年度は40.2%で2007年度以降は8.6%でした。
 このように、物理学に関する予備知識に違いがあり、3分の1以上の受講者が物理学の学習に対して消極的な考え方をもつ学生に対して講義を行った結果、40%以上の受講者の興味・関心を引出し、半数以上の受講生が理解しやすいと感じた講義を実施し、60%に近い受講者に満足感を提供できています。

5.今後の課題について

 多くの受講生に対して、興味・関心を喚起し、理解しやすい講義により、受講生に満足感を与えることはできましたが、「授業内容をもっとやさしくしてほしい」、「授業の進行をゆっくりしてほしい」、「授業のレベルをもっと上げてほしい」の三つの項目については、図5のような結果が得られました。

図5 授業に関する感想

 項目「授業内容をもっとやさしくしてほしい」の結果から、物理の初学者にとっては、授業内容がまだ難しいと感じているものと考えられます。また、項目「授業の進行をゆっくりしてほしい」については、物理学の力学、熱、波動、電磁気、量子力学のすべての分野を30回の講義で取り扱うため、進度が速いと感じる受講生もいることが分かります。一方で、講義内容のレベルアップを望む受講生もいることが、項目「授業のレベルをもっと上げてほしい」の結果から見ることができます。
 今後、このような受講生の希望にどのように対応していくかということについて、検討する必要があるものと考えています。

6.おわりに

 本稿で紹介したビデオ教材の提示を組み込んだ講義により、受講生の興味・関心の喚起、理解度および満足感の向上を図れたことを、アンケート結果が示しています。薬学部における物理学の講義での結果ですが、同様な効果は他の分野の学部における異なる科目についても、適用可能な手法になるのではないかと考えています。

参考文献および関連URL
[1] (公社)日本薬学会:薬学教育モデル・コアカリキュラム
http://www.pharm.or.jp/kyoiku/
[2] 大林康二, 天野卓治, 廣岡秀明, 崔東学: 薬学系のための基礎物理学. 共立出版.
[3] 大林康二,廣岡秀明, 崔東学, 古川裕之, 吉村玲子: 薬学の基礎としての物理.学術図書出版.
[4] メディア教育開発センター: リメディアル☆フィジックス, Disk 1〜4, 丸善.

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