人材育成のための授業紹介・物理学
栗田 和好(立教大学理学部教授)
学力に広がりがある集団に講義で情報伝達を行おうとすると、どのレベルに調整したとしても、ちょうどよいレベルで受講している履修生の割合は過半数を大きく下回る結果になります。レベルのあった少数の学生にとっては幸運ですが、自分の理解度に対して授業のレベルが高すぎると感じる学生は、早い時期に理解することをあきらめる傾向があり、逆に自分の理解度に対して授業がやさしいと思うと、力を抜いて他の活動に時間を向けてしまう傾向があります。結果として、授業外でも熱心に学びに取り組む学生が大変少ない閉塞状態を経験し続けてきました。つまり、通常、教育者側が最初に目指す「わかりやすい」授業改善は、実は現代の学生達に学ぶきっかけを与える手段としては適切ではないことが見えてきたと言えます。
そこで、その問題解決のために教育界の実践を探ってみますと、その効果が明らかになってきたアクティブ・ラーニングの手法[1-3]が複数あります。これまで情報伝達に使われていた授業時間を学生が授業に参加し、彼らの各自の理解を中心に据えた授業を展開しているのです。
筆者の担当する「物理学入門」では、授業にそのような取り組みを複数組み合わせて、教員−学生間および、学生−学生間の相互討論の中で学ぶ環境の実現を目指しました。
「物理学入門」(2単位)は立教大学の全学共通カリキュラム(以下、全カリと略称)のうち、総合教育科目の領域別A科目に分類される科目です。立教大学の全カリは、多様な分野の学びを学生が自分で計画して学年を問わずに選択可能にする、新たな教養教育を強力に進めていくための母体です。言語教育科目と総合教育科目からなる全カリ科目群のうち、総合教育科目を分類したものを表1に示します。領域別Aは2012年度から導入されたいわゆるディシプリン科目で専門領域の枠を超えて、人間としての深い認識や価値観、総合的な判断力を養っていくために用意された科目群として位置づけられています。したがって、専門分野以外の科目履修が目的のため、専任教員の所属学部の学生が履修できないシステムになっています。理系学部を理学部しか持たない立教大学においては、文系学生のみが履修する物理の科目になりました。
受講生は1年生から4年生まですべての学年が含まれますが、1年生が半数程で学年が上がるにしたがって履修者数が減少していく分布です。それは、卒業に必要な全カリ科目を早めに取っておきたいという学生の履修特性が影響しているためだと思います。講義科目である「物理学入門」の定員は200名なのですが、文系学生に理系科目履修を強制しないシステムのため、実際の履修者数は初年度が8名、2年目が25名、3年目が40名と、思いの他低調な履修者数です。しかし、文系学生への物理教育の可能性を探る授業としてはほぼ理想に近い学生数で、10年に一度あるかないかの好機に出会ったと思っています。また、理系の学生がいないことで誰もが平等であると思える環境ができたことも幸運だったと思います。
表1 全学共通カリキュラム総合教育科目群の分類
(1)予習
ICTが最も活躍するのは予習の段階です。中学理科の基礎知識で読み進められる教科書[4]の予習ページを毎回指定して読ませて、LMS上の小テストに解答させて理解を試すという宿題です。問題は毎回3問あり、2問が教科書の範囲を読んで理解すると答えられる簡単な概念問題と計算問題で、最後の問は疑問に思ったところを書き出すという記述式問題です。
図1にその解答例を示します。Web宿題の締切を授業前日の昼に設定することにより、教員が学生の疑問点を事前に知ることができ、授業中に重点を置くべきところを直前で変えられるなど、より学生のニーズに合った授業にできる点が大変有用です。全体の15%の点数が宿題で加点されるので、単位取得を目指す学生はほぼ欠かさず予習を行っています。
図1 LMS上の小テスト(記述式問題)解答例 予習確認テストで想像を超える学生の困難に出会った例
(2)授業
授業内では極力学生実験、演示実験を行ったり映像を見せることにより、経験不足のためにイメージしにくい部分を体験させることを心掛けています。それに関連して議論を巻き起こす問いかけを行い、4人のグループでお互いに議論をし合うとともに、意味の共有を図るように促しました[5-8]。
グループ分けは、まず前回の出席者リストをエクセルの乱数(関数)を利用してランダムに並べ替えて、毎回ランダムな組を作っています。この方式は知り合い同士の慣れ合いを防止する意味と、クラス全体がいつでもチームメートになる可能性があることを示唆して、クラス全体を学びの仲間として意識させる工夫です。また、この方式では欠席をすると、次回のチーム分けの際にクラスで浮いた状態を一時的に経験するため、それを避けようとする学生には継続的な出席を促す効果もあると考えています。最初に4名の間で「司会」、「書記」、「発表」、「盛上げ」の役割を決めることで、話し合いがスムーズに始まるようにしています。役割分担を確認するために、書記に渡すチームメモシートの上部に役割リストをつけ、その横に参加者氏名を書いてもらうようにしています。
議論の進め方は例えば、予習で多くの学生が疑問に思った点を授業中の教員からの問いかけとして紹介し、各グループで自分の理解を他者に伝える形で議論を促します。その中で、物理の素養がある学生は説明する側に回り、苦手意識の強い学生は教えてもらう側になります。どちらの学生も理解の意味づけを再評価する機会を得て、より深い理解に達することができるのです。まさに、各自が各自のハードルを設定して、そのハードルを越える作業が同じ場で行われているのが感じられます。
議論の後には各チームの発表役に、問いに対する答えとその理由についてクラス全体に報告してもらいます。教員側は黒板に答えと理由を書き出して、意見の分布を学生全員と共有します。最後に問いの正解を学生全員に向かって教員が解説しますが、その際に、たとえ答えが間違っていても途中の議論の優れた点を指摘して、議論の内容が重要であることを意識してもらうようにしています。なお、発表者が言い残したことも、授業後にチームメモ(書記作成)を回収してすくい取ることが可能です。
(3)評価
評価の配点は、上記のように予習が15%、積極的授業参加(平常点)が20%、復習小テストが15%、そして期末試験が50%です。予習得点はLMS上の事前テストの点数を使いますが、積極的参加度と復習問題はリアクションペーパーとして、授業の最後15分に同時に回答してもらいます。
学生は授業が進むにしたがって、LMSに表示される宿題とリアクションペーパーの点数をにらみつつ履修を続けます。点数がよい学生は継続意欲を維持できますが、既に点数が低迷してしまっている学生の意欲は落ちていくことが懸念材料です。そのため、答案に詳細な記述をする学生の頑張りを認め、ボーナス点を与えることにしています。よくできている学生にもボーナス点を与えると満点を超える可能性がありますが、その場合は点数が満点で頭打ちになることを説明しておくと、混乱はありません。
最後に期末試験は、主として授業で扱った実験、映像、トピックをもとに、概念理解を問う問題を出題します。一部計算問題も含みますが、理由付けがしっかりできているかという点に重点を置いて採点しており、考え方が合っていれば、最終的数値が正解でなくても8割程度点数をあげることにしています。ほとんどが記述式の問のため全体的には7割を超える平均点ですが、定量問題では正答率はおおよそ20〜30%程度です。
立教大学では日立公共システムのIT’s class.(立教での愛称:CHORUS)とBlackboardの二つのLMS(Learning Management System)が運用されています。CHORUSは2004年度からの運用で、使い方もシンプルなため教員の間でも利用率が高く(2013年度60.0%の普及率)、文系学生もおそらく以前利用したことがあると考えられるシステムです。一方、Blackboardは2009年度導入で多くの機能を備えていますが、操作が複雑で扱いにくいという印象を持つ人が多く、教員への普及率は2013年時点で32.6%にとどまっています。個人的には一斉メールや紙媒体の小テストの点数をWebテストと同列に手入力できる機能などを持つBlackboardに魅力を感じています。
「物理学入門」では文系学生との親和性から、予習問題をCHORUS上で行っています。配点は15%ですが、成績に関わるテストに不慣れなシステムを使うのは、学生に精神的プレッシャーを与えやすいという配慮からです。なお、授業内で行うリアクションペーパーの点数は、Blackboardの手入力機能を利用して、中間成績ファイルをPC上に作成することなく記録しています。このような方法にすれば、成績入力をしばしば行ったとしても、最終集計以外はPCに成績情報をコピーすることなく作業が進められるため、誤って成績情報が混入したノートPCやUSBメモリーを置き忘れるなどの問題を避けることができます。
学生は予習確認テストの点数とリアクションペーパーの点数を総合するには、二つのシステムにログインしなければならず、負担を強いているのが現状です。その点は今後の学生へのBlackboardの普及率の向上に合わせてBlackboardに統一できればと考えています。
毎回行うLMS上の予習問題と授業内で行うリアクションペーパーには、疑問や感想を書く欄があり、そこにはさまざまなコメントが記されました。また、大学の公式の授業評価アンケートにもいくつかのコメントが寄せられたので、それをもとに授業の効果を確認することにします。
最も多かったコメントは、過去にあれだけ苦手意識をもっていた物理学が身近に感じられ、興味を抱くことができたという驚きが混じった感想でした。高校で文系選択を済ませた生徒の興味は一般に物理から遠のいてしまいますが、物理現象そのものに興味を失っているのではないことが読み取れます。高校または中学の物理分野では、数式を使って定量的な答えを出すことを強調するあまり、物理の本質が見えにくくなっているのではないかと危惧します。
また授業終了後のアンケートにおいて、この授業から何が得られたかとの問いに対して、一部の学生は他の学生に自分の理解を伝えることができたことが自信につながったと述べています。一方、他の学生は周りの学生に説明を受けることによって、これまで理解できなかったことが理解できるようになり、楽しく感じたという感想でした。理解のレベルに差がある学生たちがグループディスカッションを行うことによって、各自の学習目標をそれぞれに追求し得るということが窺えます。
全般的に文系学生に不人気の物理学に対し、多くの学生が予想外に一生懸命取り組んでくれたと感じています。実験や映像を通して、さまざまなレベルの学生が各レベルにおいて、物理的意味を共有する場になっていたと言えると思います。何れにしても多くの学生に楽しんでもらえた点は、最初の一歩としては成功していると評価できるのではないでしょうか。
物理学は基礎的な共通法則の上に、より細かな条件で成り立つ法則が存在しているピラミッド型の体系を有しています。通常の物理教育においては、その体系性を理解させることが目的になることが多いのですが、この授業において重要視したことは、その体系の中の一部を切り取ってきたものでもよいので、それを物理の問題解決の考え方や学び方を学ぶ例として取り上げました。今後学習成果の評価精度を上げていく試みの中で、物理学の全体系をカバーしないことが目標とする学びの大きな妨げになっていないことを確認していく必要があります。
学生たちのグループワークの様子から、お互いに話し合うことで互いに活性化しているのが感じられます。講義による情報注入が主体である大学授業の中で、他者の意見を聞いたり、自分の言葉で説明を試みたりする際、自分の頭だけで考えていたときには気づかなかった知識の構造や不足している部分に気づき、頭の中が整理された気持ちになるのではないかと考えています。相互の議論の効果の客観的評価を確立することが今後の大切な課題です。
参考文献 | |
[1] | Eric Mazur: Peer Instruction: A User’s Manual. Benjamin Cummings, 1996. |
[2] | Eric Mazur et al.,: Interactive Teaching DVD. Derek Bok Center ed., Addison-Wesley, 2006. |
[3] | G.Novak, A.Gavrin, W.Christian, E. Patterson: Just-In-Time Teaching: Blending Active Learning with Web Technology. Benjamin Cummings, 1999. |
[4] | 山本明利, 左巻健男: 新しい高校物理の教科書. 講談社, 2006. |
[5] | D.W.ジョンソン, R.T.ジョンソン, K.A.スミス(著), 関田一彦(監訳): 学生参加型の大学授業:共同学習への実践ガイド. 玉川大学, 2001. |
[6] | N. エントウィルス(著), 山口栄一(訳): 学生の理解を重視する大学授業, 玉川大学, 2010. |
[7] | 米国学術研究推進会議(著), 森敏昭, 秋田喜代美, 21世紀の認知心理学を創る会訳(訳): 授業を変える−認知心理学のさらなる挑戦, 北大路書房, 2002. |
[8] | David Bohm: On Dialogue. Routledge 2nd ed, 2004. |