大学の組織的な取り組みの工夫
山本 知仁(金沢工業大学 工学部情報工学科 教授)
これまで金沢工業大学(以下、本学)は、「自ら考え行動する技術者の育成」を一つの教育目標とし、学生がチームとなって問題の発見から解決法の実装まで行うプロジェクトデザイン科目を中心として、様々な科目においてアクティブラーニングを実施してきています[1][2]。また、学生の成果物をポートフォリオの形で保存しながら、就職活動時にそれらを活かすことで、適切な自己実現をサポートする体制をこれまで築いてきています[3]。このような教育の実践の中で各科目のシラバス(本学では「学習支援計画書」という名称)は、学生が学習内容を端的に理解する資料であるとともに、大学にとっては教育内容を保証する契約書のような役割を果たしています。このシラバスは通常、一方向的な文章として学生に提示されます。しかし、これが単なる文章の集合ではなく、科目と科目、教員と学生を繋ぐ双方向的な資料となれば、それは大学で学ぶ知識を総合した知のネットワークとなる可能性があります。また、教員が様々なアクティブラーニングを実践していく中で、全教員が利用できる情報システムがあれば、アクティブラーニングの実施に伴う様々な作業の負担を軽減することが可能となります。このような観点から、本学では2016年度より従来のシラバスの仕組みを発展させた「e-シラバス」を導入しました。また、これまで個々の授業に関連させて構築してきたポートフォリオシステムを統合し、学生がより直感的に自己の成長を確認できる「自己成長シート」についても新たに構築しました。これらのシステムを教職員が共に利用することで、大学における教学のマネジメントをより強固にすることが可能であると考えられます。以下、導入したシステムの内容とその反転授業での利用例について説明します。
これまで本学では、学生のポータルサイト、シラバス、教材配信システム、ポートフォリオシステムなど教務系システムは、それぞれ個別のシステムとして運用されていました。今回これらのシステムを統合するとともに、先の背景からシラバスを双方的なシステムとして実現する「e-シラバス」を全学に導入しました。図1に、システムの概要を示します。まず、本学の学生にはポータルサイト(図1左上)が用意されており、学生はこのサイトにログインすることで、履修の登録や個別の連絡を受け取ることなどが可能となっています。このポータルサイトの上側のタブに、e-シラバスの入り口となっている「KITナビ」が用意されています。このKITナビ(図1右上)では、学生が履修中、もしくは履修した科目を時系列で確認することができ、学びの流れを確認することができます。画面には各科目がタイル状のアイコンで示され、履修中の科目は緑色、単位を修得した科目は青色、単位を修得できなかった科目が赤色で提示されます。加えて、単位を修得した科目にマウスのカーソルをあてると成績と出席率が提示されるようになっています。また、科目を分野ごとに表示することもでき、語学系、基礎教育系、専門科目系と分けて表示することで、それぞれの分野においてどのような成績で単位を取得したか視覚的に把握できるようになっています。
図1 e-シラバスシステムの概要(イメージ)
このKITナビから、各科目のe-シラバスを閲覧する際には、科目のアイコンをクリックすればよいようになっています。本学のシラバスには、科目の概要に加え、科目の評価方法、達成度の目安の他に、毎週の学習内容が記載されています。これらの内容は、科目が開講される学期が始まる前に担当教員によって登録され、e-シラバス上でも変更は行えないようになっています。一方、e-シラバス上では、毎週の学習内容が提示されている下に編集領域をもっており、この領域上で教員が以下のような操作が行えるようになっています。
以上のような機能を用いて、例えば、反転授業のようなアクティブラーニングを行う場合には、次のようにe-シラバスを利用します。まず教員は、e-シラバス上に動画や予習用ワークシートなどをアップロードします。この資料を用いて学生は予習を行い、資料を準備して授業に参加します。授業の際に、教員が予習の度合いを確認するような場合には、授業冒頭に小テストなどを行い、その場で点数を把握します。授業中は、グループワーク用の資料をe-シラバスを通じて配信し、授業終了後にレポートを受理するシステムで、それらを回収します。必要があれば、教員がそれぞれのレポートにe-シラバスを通じてフィードバックを返します。このようにe-シラバスを用いることで、現代的なアクティブラーニングを容易に実現することが可能となっています。
また、e-シラバスは、自身が担当している科目だけでなく、全ての教員の科目を閲覧できるようにしています。このことにより、教員同士が互いの授業の内容や運営について、その詳細を知ることが可能になり、よりよい取り組みが広がっていくというFDの役割も果たしています。
加えてe-シラバスでは、正課の学習内容と課外の活動を関連付けることで、学びの広がりと深化を進めることも目指しています。このことを実現するために、本学が作成している「物語の始まりへ」と呼ばれる様々な分野で活躍している学生を紹介する動画へのリンクや、大学内の様々な課外活動を紹介するWebサイトへのリンクを、初年次の科目に積極的に付与することを担当教員にお願いしています。
このような機能はオープンなLMS(Learning Management System)、例えば「Moodle」といったシステム[4]でも実現可能ではありますが、e-シラバスは、大学で開講されている全ての科目において利用可能であり、また全ての学生の教務データと関連付けされています。そのため、Webシステムのメンテナンスや履修学生とデータの関連付けといった教員側の負荷を大きく軽減することが可能となり、教員がアクティブラーニングを実現していくことを強くサポートできます。また、学生側にとっては、提出物などが全てシステム上に保管されるため、e-シラバス自体がポートフォリオになり、また、これまで構築されてきている個別授業のポートフォリオシステムもKITナビに統合されているため、学生はこれまで学んできたことを容易に振り返ることができるようになっています。このように、e-シラバスは本学における学びを支援する中心的なシステムであり、必要に応じて今後も様々な機能をこのシステム上に実現していくことを予定しています。
本学では、e-シラバスと合わせて、学生の単位取得状況や出席の状況など学生の学びの経緯を視覚的に確認できる「自己成長シート」についても導入を行いました。図2に自己成長シートの概要を示します。この自己成長シートは学生ポータルにおいてKITナビの横にあるタブをクリックすることで、閲覧できるようになっています。このシートにおいて学生は、卒業のための単位数、現在の取得単位数、理想的な取得単位数を視覚的に確認でき(図2(a))、表中にあるGPA(本学ではQPAと呼ぶ)をクリックすることで自身と学科の平均値の推移(図2(c))、各科目の出席状況を確認できます。加えて、これまでの課外活動の内容や、学長褒章(成績優秀者や課外活動等において顕著な活躍があった学生に送られる賞)の取得状況、また記入をしている場合には毎週の行動履歴(学生の活動を記録する日記のようなもの)についても表示されるようになっています(図2(b))。このシートを通じて、学生は自身の学びがどのように変化しているかを視覚的に確認することができます。また、教員にとっては、学生本人や保護者の方と面談を行うときに、学生を理解するための最も重要な情報となります。特にこれまで行われたIR(Institutional Research)の結果から、出席率の変化が成績の推移や休学・退学率、また就職活動時の内定を得る時期に関係することがわかっており、このような情報をもとに、個々の学生に対して適切なアドバイスを行えるようにしています。
(a)取得単位数と出席率・GPAのデータ (b)各科目の成績と課外活動等のデータ (c)GPAの推移 図2 自己成長シートの概要(イメージ)
運用開始年である2016年度に、本学では2,491科目が開講されていますが、これらの科目のうち1,106科目においてe-シラバスが利用されています。また、2016年度の学生のe-シラバスの利用回数は1日平均4,000回程度で、これは履修科目が少ない4年生を除いた3年生までの学生がおおよそ1日1回はアクセスしている状況です。e-シラバスの利用形態としては、事前事後学習を目的とした教材の配信(授業資料や動画の配信)が最も多く、次にレポートの提出機能など学生からのデータを受理することなどが主となっています。
その中で、e-シラバスを活用した代表的な科目として反転授業を導入している「工学のための数理工」があります[5]。この科目では、三角関数やその逆関数、また指数関数などを物理的な現象と関連付けながら学びつつ、微分法や回帰分析、相関係数などについても学びます。この科目のe-シラバスでは、まず予習のための各学習内容の動画、予習のシートが提供されます。加えて、予習内容の確認を行う小テストやレポートの提出、授業に関するアンケートについてもe-シラバスで行われます(図3)。
図3 数理科目におけるe-シラバスの活用例
学生は、授業前に各動画を閲覧し、必要があれば予習のシートなどを作成します。授業の際には、予習の度合いを確認するために小テストが行われ、その場で点数が確認されます。講義では、例えば前回の授業で出題した宿題を採点して返却をし、この際にわからない箇所がある学生は、教員からだけではなく、学習内容を十分に理解している学生も教えることで学び合いの連鎖が生じ、「使える数学」の理解を深めていくことを行っています。この授業アンケートでは、約8割の学生が「反転授業は役に立った」と回答し、その有効性も確かめられています。
本稿では、2016年度から本学に導入したe-シラバスの概要とその運用、および評価について説明しました。今回導入したe-シラバスのようなLMSは、ある単一の授業や、学科単位で導入されているケースはありますが、全ての教務データと関連付けされる形で全科目に導入され、開講されている科目のうち半分程度で利用されているというケースは少ないと思われます。その中で、事前事後学習や反転授業などにおいて、積極的に利用されている科目においては、その効果が現れ始めていると言えます。また学生にとっても、基本的には便利なシステムとなっており、これからもe-シラバスの利用率は高くなっていくことが予想されます。
一方で、学生に自身の学びの経歴や、正課と課外の活動との連携を十分に意識させられているかということについては、十分に行えていないのが実情です。これは、まだe-シラバスが運用1年目であり、システム上に存在するデータが十分でないことや、教員の利用の度合いが浅いことが原因であると言えます。この問題に対しては、時間が経つにつれ学生にとって有益なデータが蓄積され、また教員のシステムに対する理解が深まることで、徐々に解決されると考えています。
今後、e-シラバス、また自己成長シートのデータは年々増えていきますが、そのデータが莫大となると、解析を人手で行っていくのには限界があります。現在、本学ではIBM社が提供しているAIサービスであるWatson[6]を導入し、学生の自己成長支援に利用することを試みていますが、今後、蓄積されるデータをWatsonに代表されるようなAI的アプローチで解析していくことを考えています。具体的には、学生が入力したテキスト情報、各種レポートの内容を自然言語処理するとともに、成績、出席率データ、課外活動の内容などを基礎データとして、修学の履歴、就職先などと関連付けを行うことを考えています。このことで、どのような修学パスが成績の向上に関係しているのか、また、それがどのような就職先につながるかを明らかにできると考えています。このような分析を継続していくことで、本学における教学のマネジメントをさらに強化していくことを今後も継続していく予定です。
本学の西誠教授には、授業に関する内容やアンケート結果の内容等について提供を頂きました。ここに感謝の意を表します。
参考文献・関連URL | |
[1] | 石川 憲一:金沢工業大学における人材育成の実践 〜金沢工大学園の沿革と展開〜、KIT progress : 工学教育研究 Vol.13, pp.1-11 (2007) |
[2] | 佐藤 恵一:工学・技術者教育におけるアクティブラーニングに関する一考察 : 金沢工業大学の「総合力」ラーニングにおいて、工学教育研究講演会講演論文集 vol.61、pp.510-511 (2013) |
[3] | 藤本元啓:KITポートフォリオシステムとキャリア教育、大学教育と情報 Vol.19、No.2、pp.7-9 (2010) |
[4] | Moodle: https://moodle.org/ |
[5] | http://www.kanazawa-it.ac.jp/kit-ap/jirei/e_syllabus.html |
[6] | IBM Watson: https://www.ibm.com/Watson/jp-ja/ |