特集 データサイエンスと教育
野村 典文(伊藤忠テクノソリューションズ株式会社 技監(兼)広域・社会インフラ事業グループ ビジネス開発事業部事業部長)
デジタル社会について、人によって捉え方は異なるものの、大まかに言えば、リアルな「もの」や「サービス」を「デジタル化(非物質化)」することで新しい事業価値が生み出され、文化、産業、人間のライフスタイルを一変させていく社会と定義することができます。
その出現の原動力は近年のテクノロジーです。センサーやデバイスの技術進化はリアルな社会の状態をデジタル化させ、高速通信、メモリやディスクの大容量化によって、それらのデジタル情報をビッグデータとして収集することが可能となりました。さらに、コンピュータ性能の向上により膨大なビッグデータの解析が可能となり、Deep LearningなどのAI技術を発展してきました。このように、データを活用した産業革命が進行しつつあります。
デジタル社会では、今まで伝統的に持続してきたビジネスを破壊してしまうようなことが起きます。例えば、「BORDERS」(書店)、「BLOCKBUSTER」(レコードチェーン店)、「YELLOW CAB」(サンフランシスコ最大のタクシー会社)は、すでに経営破綻しています。これらは「AMAZON」、「NETFLIX」、「UBER」にとって代わられています。このような現象はデジタル・ディスラプションと呼ばれ、デジタルを活用した産業界の破壊と言われています。
デジタル社会では、今までのビジネス上の通例や常識は通用しません。伝統的な企業でさえ消え去る可能性があります。では、デジタル社会で勝ち抜くためには何が必要なのでしょう。
実は、デジタル・ディスラプションを起こす企業のビジネスの仕組み(ビジネスプロセス)は、それほど複雑なものではありません。言い換えれば、伝統的な大企業でも十分に実現できるシステムです。では、何がキーファクターとなるのか。それは「新たなビジネスモデル」と「顧客体験(UX)」です。加えて圧倒的なスピードでビジネスを実現し、バリューそのものを直接顧客に感じ取らせることでスピーディにビジネスを展開することが必要となります。伝統的な大企業がビジネスを変化させることに手間取っていると、企業存続の危機に陥ることになります。
デジタル社会は、多様な集団がつながることで新たな価値が創出されていく社会です。ここで必要となる仕掛けが「オープンイノベーション」になります。オープンイノベーションは大きく以下の4つの要素から成ります。
①ビジネスモデル
テクノロジーイノベーションだけではなく、テクノロジーを活用して顧客提供価値を上げ、収益モデルを変革することで新たなビジネスが生まれます。
②エコシステム
大学、公的機関、企業がつながり資金やモティベーションが循環する仕組みが重要となります。この循環の中で、また新たなテクノロジーが生み出されるという成長のサイクルがデジタル社会を支えます。
③開発プラットフォーム
デジタル社会はスピーディに変化し、価値を生み出すためのテクノロジーもどんどん進化していきます。より俊敏に立ち上げる環境と顧客体験をスピーディに獲得する仕組みが必要になります。
④データプラットフォーム
デジタル化の本質はデータです。データを活用する仕組み(収集、分析、活用)が根底にあり、特に膨大なビッグデータを解析するデータサイエンスが最も重要と言えます。
デジタルビジネスは、既存のビジネス形態と異なる部分が多く、従来の組織から新たな組織への変化が求められます(表1)。
表1 従来の組織とデジタル社会に求められる組織の特徴 従来の組織 デジタル社会に求められる組織 責任とKPI[注]による縦割り組織 フラットでオープンな集合体 綿密な計画/ウォーターフォール 柔軟な対応/アジャイル マスマニュファクチャリング マスカスタマイゼーション 効率性重視 創造性重視 モノ思考 体験思考 コントロール 自律 専門知識、画一性 ソフトスキル、多様性 [注]KPI:Key Performance Indicators(主要業績評価指標)
①デジタルビジネスデザイナ
デジタルビジネスを企画し推進していく人材。ビジネスデザイン力に加えて顧客体験のデザイン力が求められるため、日頃から、観察力や洞察力を養う訓練が必要になります。さらに、エコシステムを作り上げるための社内外の有識者とのコラボレーション力やファシリテーション力も身に着ける必要があります。
②デジタルエンジニア
デジタル情報を活用した仕組みやシステム構造(アーキテクチャ)を設計し、実装していく人材。技術力に加えて、要求を把握するための顧客体験の理解力や人間中心のデザイン力が必要となります。
③データサイエンティスト
デジタルデータから社会課題の原因やビジネス高度化の要素などを導き出すために、データ分析力に加えてビジネス分野で物事を捉える力が必要となります。
このような人材はどのように育成すればよいでしょうか。ここでポイントとなるのが産学連携です。デジタルエンジニアは、従来の育成の枠組みを多少変更すれば対応できると思われるので、その他の2つの側面から考えます。
(1)デジタルビジネスデザイナ
今までデザインスクールなどのデザイン専門の教育機関を除いて、顧客体験を洞察する能力やイノベーションを起こす能力を意識的に教育する場所は極めて少なかったと思われます。大学は専門知識を学ぶ画一的な教育が中心で、企業はOJTと称した先輩社員によるビジネス経験教育が中心で、思考訓練を培う場もプログラムも極めて少なかったと言えます。
最近では、企業内教育においてデザイン思考や創造性向上のためのワークショップなどのイノベーション教育が多く実施されるようになってきました。また、学校でもアクティブラーニングと称した個々を活かす教育が試行されています。しかし、体系だった教育プログラムによって実施されているわけではなく、部分的かつ試行的に実施されているのが実情です。イノベーティブな人材を育成するには、「思考訓練を行う場」と「体系だったプログラム」が必要です。しかし、体系化された理論を研究できる大学と実際にイノベーションを起こそうとしている企業が協力しないと実現できません。特にイノベーティブな思考を活性化させるためには、人間の発想を広げることができる空間(場)と考えるための道具(考具)が重要になります。
図1に「思考訓練を行う場」と「プログラム(デザイン思考)」のイメージを示します。今までのような「集合教育型の教室」や「情報共有型の会議室」ではなく、お互いの脳を刺激し、五感をフルに活用しながら議論できる空間が必要なのです。
図1 「思考訓練を行う場」×プログラム
(2)データサイエンティスト
前述したように、日本はデータドリブンの考え方が薄く、データを中心に経営判断を行うことに慣れていません。どちらかというと経験とナレッジを伝承することによって経営が引き継がれてきました。よって、企業に入ってから科学や工学を専門に扱う研究者以外は、数学や統計学を学ぶ機会がほとんどなかったと言えます。
また、ソフトウエアエンジニアもデータベースを扱うことができるエンジニアは多数存在しますが、データそのものを高度な数学や統計学で分析するエンジニアは極めて少ないです。つまり、日本の社会には数理的な思考やデータ分析・活用を持つデータサイエンティストが極めて少ないと言えます。
現在、大学でもデータサイエンティスト育成が喫緊の課題になっており、データサイエンス領域を学部に格上げして取り組む大学が出てきています。その中で、最も重要な課題は、大学では実際のビジネス界で使うビッグデータを入手しにくいという点です。これでは、教育用の小規模データでの学修しかできず、社会に出てから即戦力になるデータサイエンティストは育成できません。
一方、企業では、数理的なモデルや、数学、統計学を教育できる人材がほとんどいません。ビッグデータは持っているが分析ができないという課題に直面しています。
このようなお互いの課題を解決するのが産学連携の肝になります。そのために、企業が、自社のビジネスで活用する実務データを準備(匿名加工)し、セキュアなクラウド環境(図2)を通して大学へ提供できる教育データクラウドを準備する必要があります。この教育データクラウドを使うことで、大学側では企業のビジネスに役立つ研究が促進され、即戦力の人材を育てることができるようになります。また、企業側も大学院大学を積極的に活用することで数学、統計学がわかる人材を教育することができます。
図2 教育データクラウドを活用した産学連携
また、ミドル・シニア世代の再教育プログラム(リカレント教育)も重要となります。いくら若い世代が育っても経営幹部がデータサイエンス分野を理解できないと的確な意思決定ができません。
今後の超高齢化社会では、シニア層の再教育プログラムや学べる環境を整備することも重要になってくるでしょう。