特集 イノベーションの担い手を育成する 起業教育−1
あらゆるモノがネットにつながるIoTの普及に伴い、膨大なデータが世界各地で毎日生み出されている。企業や組織の活動はもとより、一人ひとりの生活や行動に至るまでビッグデータとして記録・分析され、使い方次第では生きとし生けるものの幸せに大きく貢献する。有限な資源の「石油」に対して、無限に近い資源の「データ」は正にデジタル世紀が創り出す「新たな資源」である。そのような背景から、データから社会やビジネスのニーズに対応した課題を発見し、問題解決や価値創造に関与できる人材の育成が喫緊の課題となっている。世界からは遅れているが、日本の大学でもデータサイエンス教育への取組みが始まった。産学連携による教育イノベーションが課題と言われているが、どのような教育プログラムでチャレンジしていくのか、たずねてみた。
井上 達彦(早稲田大学 商学学術院教授)
「一年生全員に起業体験をさせている!?」
米国バブソンカレッジといえば、起業の研究と教育で名高い大学です。そこでは、一年生全員に必修科目として「起業体験」を課しています。
半期の授業でアイデア発想と事業計画を練り上げてチームを結成し、次の半期でそれを実践して売上と利益を確保する。同大学の山川泰宏准教授からお話を伺ったときは衝撃を受けました。
「事業資金はどうするのか?」と尋ねると、大学が貸しつけてくださるとのお返事。トータルに赤字になることはなく、黒字化したチームは寄付してくれる場合がほとんどだそうです。
筆者なりに理解したポイントは3つです。
① 事業の創造プロセスに沿って、適切な知識を適切なタイミングで、適切な量だけ提供する。
② 法律の問題など、その時に必要な専門知識についてはオンデマンドに支援する。
③ 期間を1年と区切り、教育目的に徹することで大学の授業への関心を高める。
筆者はちょうど文部科学省の教育助成EDGE(グローバル起業家養成)プログラムの実行委員だったので、本学で企画を起こしました。
ところが、一筋縄にはいきません。大学上層部も「企画は面白い」と認めてもらえたのですが、大学が資金を貸し付けるというところがボトルネックとなりました。寄付金の準備もしましたが、今度は「学生が債務者になる」ことの是非が問われたのです。
そこで思いついたのが、インターンシップの枠組みです。学生たちがアイデア発想と事業計画を練り、それをインターン受入れ企業に委ねて実践(起業という職業訓練)させてもらえないだろうかと。本学にはインターンシップに単位をつける制度があるので正規の授業として運営できます。
起業家の育成に協力的なスタートアップ数社に問い合わせ、株式会社ビジネスバンク・グループ(以下BBG)に受け入れていただくことになりました。代表の浜口隆則さんは「日本の起業率を10%に引き上げる」ことをミッションに掲げる社会起業家です。学生たちの掲げたテーマと計画を最大限に尊重して、メンター(指導者)をつけて支援すると言ってくれたのです。
こうして生まれたのが、「実践・起業インターン」(Real Entrepreneurship by Active Learning、以下REAL)です。[1]
このプログラムは、起業に関心のある学生(2年生以上)に、インターンとして起業経験をしてもらうもので、学生は「自らのビジネスアイデア」をBBGに持ち込み、社内カンパニーを立ち上げ、1年間で黒字化できるように努めます。
インターン学生が、カンパニーの経営をしますが、収益事業を行う最終責任はBBGにあるので、インターン学生は事業の損失を負うことはありません。ただしインセンティブを与えるために、インターンとして黒字化することができた学生チームにはその成果に応じて還元給付をすることにしました。
本学はBBGに業務委託し、起業の体験指導に必要な経費を支払います。事業資金はそこから捻出されるので、インターン学生たちは、いかなる機関とも資金の貸し借りを行いません。
インターンシップの期間は最大1年ですが、学生によって立ち上げられた事業が引き継がれ、発展的に経営されることも推奨する計画です。当該継続事業によって継続的に収益が得られれば、それを本プログラム継続・発展の資金に充てることができると考えました。
科目の主管は商学部とグローバルエデュケーションセンターですが、全学部・全研究科にオープンにされています(各半期2単位科目)。
2017年に企画、2018年秋学期から実践科目としてスタートしました。学生たちの関心は高く、前提科目(後述)を履修したチームのなかで11チームがREALに進むことを希望しました。その中からベンチャーキャピタリストや経営コンサルタントを交えて3チームを選抜しました。
学部や研究科をまたがるチームが編成されました。商学部、理工学部、理工学研究科、人間科学部、社会科学部などに所属する男性15人女性3人です。必要な人材をメンバーに組み入れることができるので、このプログラムに関与した学生総数は18人となりました。
初年度の目標は、すべてのチームが実際に製品・サービスを販売して売上をあげるというものです。紆余曲折がありましたが、学生たちの熱意とメンターの野田拓志さんたちの支援により3チームとも売上をあげ、黒字化してくれました。
その中で最も売上が高かったのは、駆け出しのプログラマーとシステム開発案件をマッチングさせるプラットフォーム事業です。売掛け金も含めると149万円を計上してくれました。3チームのトータルでも59万円の黒字という結果です。
事業創造に向けた仮説検証には様々なステージがあります。アイデアレベルでの仮説検証、プロトタイピングを伴った仮説検証、実際の製品やサービスを市場に投入してからの仮説検証です。
REALに進む前に、少なくともアイデアレベルの仮説検証をして、そのスジの良さを確かめる必要があります。それゆえ、筆者らは「ビジネスアイデア・デザイン」(BID:入札を意味する)と「起業の技術」という科目を新設しました(図1参照)。
図1 実践企業インターンの全体像
BIDはアイデアを売買する仮想の市場をつくり、入札ゲームを繰り返してアイデア発想法を身につけるという授業です(四半期2単位科目)。
一方、起業の技術は、起業に必要な基礎知識を講義とミニワークによって習得する授業です。BIDで生み出したアイデアを膨らませて事業計画に落とし込んでいきます(四半期2単位科目)。
REALに進んだ学生たちは、他では変えられない経験をしたようです。「ピボット(軸足を定めつつ方向転換すること)は授業で何度も聞いていたが、実際に行ってみて本当に大切さがわかった」「最初にミッションを皆で共有できたので、筆者のピボットにもついてきてくれたし、メンバーの方からピボットの提案が出されました」という声が印象的でした。
よく「起業経験は若い時に積んだ方がいい」と言われます。その方が、「生涯における成功確率が高まる」と考えられているからです。学生起業家を増やそうという発想は、この経験則から生まれています。
しかし、学生起業家については反対意見も多く、「大学では学問を学んだ方がいい」というご指摘や「起業の成功確率は低いので学生を煽るべきではない」というご注意を頂きます。学生の本分は学業にあるという正当な考え方です。
私自身は「起業経験は早い方がいいが、実際に勝負をするのは専門知識や実務経験を備えてからの方がいい」と考えています。
アプリのヒット作を生み出して数百万円稼げた学生起業家で、その後ヒット作を出せずに苦しんでいる学生がいます。その他にも、実績が出なくても学業そっちのけでアプリの制作に没入してしまう学生もいます。先輩の起業家の話に触発されて、何の計画もないまま退学を願い出た学生もいました。
筆者らが純粋な教育目的のREALを立ち上げたのは、失敗経験も含めて、できるだけ若い時期に一通りの起業経験をさせたいからです。
起業するにしても自分たちが十分な知識や経験がなければ社会で通用しないことがわかります。チームに貢献しようにも、自分に専門性が備わっていなければ話にならないとも感じます。参加者の多くは、大学で学ぶ知識がいかに役立つのかを実感するようです。
REALは学生起業家を増やすための取組みではありません。大学でますます専門性を磨いてもらい、将来、起業家としても大企業内のイノベータとしても活躍できるようにするための起業体験授業なのです。
REALはスタートしたばかりの授業で規模も小さく、まだ多くの学生に受けてもらうことができません。本学がバブソン大学のように「起業体験」を大切にするのであれば、貸付に取組むか、インターンシップを拡大する必要があります。REALはプロトタイピング的な意味合いが強く、私としてもリスクをコントロールできることを検証し、大学の上層部に認めてもらう必要があると考えています。しかし、一つの実験としては、今後の起業家教育を真剣に考える起爆剤になると考えられます。
参考文献および関連URL | |
[1] | 東洋経済オンライン「早稲田大学が『起業インターン』を始めたワケ」 https://toyokeizai.net/articles/-/252731 |