巻頭言
安酸 敏眞(北海学園大学 学長)
コロナ感染症の拡大に歯止めがかからない現段階では、アフターコロナではなくウィズコロナの大学について語るべきかもしれない。しかしあえて感染が収束したあとの大学のあり方を問うのは、緊急避難的な対処療法的方策とは異なる、新しい授業のあり方を見つめ直したいからである。
今般の新型コロナ感染症の世界的拡大は、西欧中世以来続いてきた大学のあり方を根本的に問い質す機会を与えている。なぜなら、大学がクラスターの発生源となるリスクを避けるために、世界中のほぼすべての大学において、これまでのような校舎や施設に固定された対面授業を、全面的あるいは部分的に中止して、オンラインの遠隔授業に切り替えざるをえなくなっているからである。わが国でも現今のコロナ禍のなかで、オンライン授業はさしあたり緊急避難的措置として認可されている。しかしこれを一時的な措置と見なすだけでよいであろうか。
本学は、学校法人そのものは135年の、そして4年制大学としては70年の歴史を有する、北海道の最古・最大の私立総合大学である。経済、経営、法、人文、工の5学部を擁し、その上には6つの大学院研究科(修士・博士課程)が開設されていて、現在、一部・二部併せて約8,300名の学生が学んでいる。令和2年度の1学期は、感染リスクを避けるために、4月からオンライン授業に限ってスタートし、6月中旬以降、ソーシャルディスタンスを確保できる人数に制限して、対面授業も実施した。2学期はほぼ7割強を対面授業にし、残り3割弱をオンライン授業にしている。幸い、サークル活動やアルバイト先での感染者(2月11日現在で54名の陽性者)を除けば、教室内での感染者は1名も出ていない。それだけ徹底したリスク管理をしているからでもあるが、しかし少しでも管理の手を緩めれば、感染状況が全国でも有数の北海道・札幌にあっては、学内での感染が一気に広まり、大学閉鎖に追い込まれかねない。そのような危険性と隣り合わせの日々が続いている。
ところで、コロナ禍でやむなく実施されたオンライン授業は、教師の側にも学生の側にも新たな気づきをもたらしている。従来わが国の大学では、語学の授業や演習を除いて、学生は何の予習もせずに授業に出席して、教壇で語られる内容をただ受け身的にノートに書きとる、というスタイルが一般的であった。しかしオンライン授業では、学生は画面上とはいえ近距離で語りかけてくる教師と正面から向き合い、毎回求められる課題をこまめにこなさなければならない。教師も遠隔地にいる学生に、あたかも目の前にいるかのごとくに語りかけ、学生の関心を惹きつける授業に腐心しなければならない。要するに、オンライン授業は教師と学生の双方に真剣なインタラクションを要求するのである。
教師が学生に「読んで聞かす」(vorlesen)という形式のドイツ流の「講義」(Vorlesung)を除けば、欧米の大学には専ら受身的な授業はほとんど存在しない。欧米の大学の授業は、いわゆるアクティブ・ラーニングが支配的である。すなわち、「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習」に重きが置かれ、レクチャーに加えて、グループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワークなどが適切に組み合わされている。学生はシラバスに明記されたリーディング・アサインメントを事前にこなし、一定の予備知識と意見をもって授業に臨む必要がある。
コロナ禍でのオンライン授業を経験したわが国の大学も、大学が第一義的に「『教える』ないし『学ぶ』というコミュニケーション行為の場」(吉見俊哉)であることを再認識して、予習を大前提としたコミュニカティブな授業に切り替えるべきである。最新のICTを活用したハイブリッドなインタラクティブな授業をどう構築するかが、アフターコロナの大学の成否を決する、といっても過言ではなかろう。