大学の組織的な取組み
木村 修平(立命館大学生命科学部准教授 教学部副部長(言語教育改革・全学DX担当))
本学は16学部、22研究科を擁し、京都・滋賀・大阪に4つのキャンパスで学部生・大学院生あわせて約3万7,000人が学ぶ関西の大規模私立大学の1つです。このうち4学部で正課の必修英語授業として実施されているのがプロジェクト発信型英語プログラム(Project-based English Program。以下、PEP)です。筆者はこのうち生命科学部に所属する英語教員であり、PEPの運営に携わっています。学生中心のプロジェクト型学習を基礎とするPEPは、授業満足度や外部試験のスコア伸長、ICT活用など、数々の実績を上げています。また、探究型学習が高校の学習指導要領に組み込まれる2022年度を目前に控えた今、大学の英語教育の新たな可能性をPEPは示唆していると考えます。本稿では私どものこれまでの取組みと成果について紹介いたします。
2008年度、本学に生命科学部と薬学部が開設され、両学部の正課必修英語プログラムとしてPEPはスタートしました[1]。
PEPは週2コマの授業で構成されており、1つは読む・聞く・話す・書く・文法などの基本的な英語スキルを磨くSkill Workshopsで、こちらは外部教育機関との連携で行われます。もう1つがProjectで、こちらはSkill Workshopsで培ったスキルを活かす場であり、筆者を含む本学教員が担当します。
Projectでは、学生が自分自身の興味・関心に基づいて自由にプロジェクトを立ち上げ、その進捗や成果を英語で発表することを基本とします。回数の進行とともに求められる発表形態やクオリティは上昇します。個人プロジェクトからグループプロジェクトへ、エッセイからペーパーへ、カジュアルな口頭発表から学会のようなフォーマルなプレゼンテーションへ、のように発展します。
Skill WorkshopsとProjectは車の両輪であり、外部教育機関のコーディネータと本学教員は定期的な報告会を実施するなど緊密に連携を取り合っています。また、毎学期末には学部執行部に対してPEPの成果報告を行います。これは、英語教育を語学の教員に一任するのではなく、学部が英語教育に主体的に関与するという体制につながっています。
2010年度に開設されたスポーツ健康科学部、2016年度に開設された総合心理学部にもPEPが導入されました。学部によって多少のバリエーションはありつつも、基本的な体制は同じです。また、各学部に所属するProjectの英語教員は互いにシラバスや教材などを共有し、緩やかに連帯しています。
Projectの授業では、学生に購入を求める教科書というものが存在しません。というのも、学生が立ち上げるプロジェクトには原則として制限がないため、教科書で統率することができないのです。
プロジェクトの内容は、違法でなければ、あるいは公序良俗に反していなければ、どんなものでも構いません。この結果、多種多様なアイデアが生まれます。筆者が今学期担当している1クラスを例にとっても、「街灯の蛍光灯とLEDの違い」「浴室カビに効く洗剤比較」「おいしそうなフード写真を撮るコツ」「滋賀県の交通マナーは悪いのか?」「人工肉の食感を実物に近づけるには?」など様々です。
どんなトピックであっても、それについて信頼性の高い情報に基づいて調査し、スライドやペーパー、ポスターなどにまとめ、教員やクラスメイトからフィードバックや意見を交換し、成果をわかりやすく発表する、という基本的な姿勢が求められます。
教科書はありませんが、プロジェクトを進める参考になる情報はPEPの共通教材サイトにまとめられており、オープンに公開されています[2]。
前述したとおり、Projectにおける学生のアクティビティは、調査・まとめ・意見交換・発表という4つの要素に整理できます。PEPでは、これらをそれぞれ「リサーチ」「オーサリング」「コラボレーション」「アウトプット」と名付け、新たな4技能として定義しました(図1)。
図1 PEPが定義する新たな4技能
これらは、学部や専攻に関わらず、科学と呼ばれる分野に携わる人間であれば誰もが例外なく求められる技能であると言えます。Projectの授業は、この点において、アカデミシャンとしての基礎的なリテラシーを修練する場という側面を持っていると言えると思います[3]。そして、現代ではこれら4つの技能の涵養にはICTの活用が欠かせません。
PEPは、2008年度のスタート当初よりICTを積極的に活用してきました。これは、PEPの前身となるプログラムが慶應義塾大学SFCで生まれたという歴史的経緯があります[4]。学習者が自らのノートPCやスマートフォンを授業内で活用する、いわゆるBYOD(Bring Your Own Device)もPEPではデファクトで10年以上にわたり実践されています。
ICTを活用した英語教育と言えば、これまではCALL(Computer-Assisted Language Learning)という領域で論じられることが普通でした。本学を含む多くの大学に語学用端末を集約したCALL教室が設置されてきました。しかし、情報端末が低廉化し、また、前述のようにアカデミックスキルの多くがICTと緊密に結びついている今日、少なくとも大学における正課の英語授業の形態として、CALLはほぼその役割を終えたのではないでしょうか。
端末を特定の教室に「偏在」させるCALLではなく、BYOD環境で多様なICTリソースをどこにでも「遍在」させ、統合的に活用する新たな教授法、筆者はこれをComputer-Integrated Language Learning(CILL)と呼んでいますが、PEPはその一事例であると申せましょう(図2)。
図2 BYODで行われるPEPの
授業風景
CILLの特徴は、ICTが反復学習やクイズというCALL的な学習とその管理のための「教具」ではなく、調べ、作り、交流し、発表するという知的生産・知的創造のための「文具」に位置づけられる点にあります(表1)。
表1 PEPの定義する4技能とICT活用例の対応
以上のように、PEPのProject授業は既存の大学英語教育においてかなり異色なものです。このような授業で教員はどのような役割を果たすのでしょうか?それは「英語とICTを駆使して研究を行い、その成果を発信しているリサーチャーの先輩」としてのファシリテーターです。ファシリテーターとは、簡単に言えば裏方です。表舞台に立つのはプロジェクトの主体である学生であり、教員は裏方に徹します。プロジェクトの方向性、ストーリーの組み立て、英語表現の相談に乗り、行き詰まったらアドバイスを与え、おすすめのアプリやツールを教え、時には叱り、励ます。それがProjectの教員の役割です。
筆者は生命科学部に属していますが、専門分野は英語教育におけるICTの導入と利活用であり、バイオサイエンスのことはわかりません。専門的な知識は学生の足元にも及ばないでしょう。しかし、関心の対象を多角的に考察し、そのことに関する信頼性の高い情報を集め、アカデミックな書式に基づいてまとめ、他者にわかりやすく論理的に伝えるという一連の活動は、ほぼすべての科学分野に通底する基本的なリテラシーであるはずです。教員であると同時に研究者でもある大学の英語教員だからこそ、その手ほどきを任せられると言えるでしょう。主に低学年時に配置される英語授業で、英語と同時にこうしたアカデミックスキルを具体的に育成できるという点にも、PEPは合理性を見出しています。
現在、生命科学部・薬学部のPEPでは3回生春学期まで必修授業と位置づけています。ゼミ配属を控えたこの学年では、授業に専門科目の教員も参加します。学生たちの関心もかなり専門的になるため、プロジェクトの内容は専門教員がアドバイスを行い、英語教員は英語表現の適切さやプレゼンテーション表現の指導を受け持ちます。
前述のように、こうした体制は学部が教学方針に英語教育を明確かつ積極的に位置づけているからこそ実現できていると言えるでしょう。
PEPでは英語能力の伸長を測定する1つの指標として、外部英語試験を実施しています。生命科学部・薬学部では夏と冬にTOEIC Program IPテストを利用しており、13年間その変化を記録してきました。
表2は、最近2年と過去2年の初回受験時(1回生時)と最終受験時(3回生時または2回生時)の平均スコアの変化をまとめたものです[5]。
*は2回生時のスコア 表2 TOEIC IPスコアの変化
TOEIC Program IPテストはリーディングとリスニングという受動スキルに関わる問題のみで構成されていること、受験する母集団が年度ごとに異なること、各実施回の問題難易度の違いなど留意すべき点が多いため、このデータはあくまでも参考程度にお示しすることをおことわりしておきます。
しかしながら、現場で教えている一教員の実感として、次の2点をお伝えしたいと思います。
1つは、PEPのような授業を続けていると、回生進行とともに英語で何かを書くことや発表することへの抵抗感が目に見えて下がっていくということです。そのため3回生ともなると、プロジェクト内容の充実により比重が置かれるようになり、英語やICT活用を知的生産のためのインフラ的技能として捉える学生が目につくようになります。近年では生命科学部・薬学部で卒業論文の要旨を英語で執筆する学生数が増えていることもその傍証と言えるかもしれません。
2つは、新入生の英語能力の初期値が年々上がってきているという実感です。特に口頭発表で顕著に感じることとして、スピーキング能力やスライド作りのレベルは2000年代と比べると明らかに上がっています。中等教育での英語授業がコミュニケーション中心に移行してきたという文教政策の効果かもしれません。特にSELHi(Super English Language High School)やSSH(Super Science High School)といった重点校、プロジェクト実証校や先進的な取組みを行っている高校、インターナショナルスクールの卒業生にはこの傾向が顕著に見られます。
こうした高校ではすでに英語とICTをアウトプットに活用する探究型やプロジェクト型の授業、すなわちPEPの高校版のような授業が実施されているところが少なくありません。学習指導要領の改訂以降、こうした探究型の学習体験を積んだ層が入学してきたとき、大学英語教育が教えるのは教養か実用かという従来のアジェンダは無意味化するのかもしれません。英語をICTのような「汎用」のツールとして捉え、さらに高く飛ぶための翼を授ける役割が大学英語教育に期待される時代がすぐそこに迫っているのかもしれないという予感を、日々の授業で強めています。
2020〜2021年度にかけて多くの大学がコロナ禍によりオンライン授業への移行を余儀なくされました。PEPも例外ではありませんでしたが、その移行は比較的スムーズだったと思います。これには2つの理由があります。
1つには、これまでに述べてきたように、ICT活用がPEPを受講している学生にすでに定着していたことです。事実上のBYOD環境で学生のほぼ全員が自分のノートPCを所有しており、日々の授業でインターネット上のリソースを多用していたため、Zoomなどの新しいアプリやサービスの導入への抵抗が低かったものと考えられます。
次に、より重要なこととして、教員が日々の業務にICTをフル活用していたことでした。PEPではコロナ禍以前より独自にGoogle Workspaceを導入していたほか、チャット型グループウェアのSlackなどを日常的に用いていたため、テレワークの素地をすでに獲得していたのだと思います。
一般的に人文系の教員はICTが苦手と考えられており、PEPでも全員が得意というわけではありません。しかし、同じシラバスや教材を共有しているように、PEPでは、わからないことや相談事があれば教員同士が気軽にシェアし、尋ね合い教え合う、簡単に言えばチームワークがオンライン上で醸成されていると感じています。筆者自身、オンラインで実施するProjectの授業にそこまで大きな不便さを感じたことはありません。今年度は、口頭発表を行う回は対面で実施し、それ以外はオンラインで実施していますが、学生からも歓迎の声が聞かれます。
本学ではコロナ禍による授業の満足度変化についてこれまで複数回にわたり全学規模の調査を実施してきました。多くの外国語授業が低下傾向を示す中、PEP導入学部、なかでも生命科学部・薬学部の英語授業については今日に至るまでネガティブな影響がほぼ見られません。これは筆者自身の実感と一致するところであります。
本稿では、本学4学部で実施されているPEPという英語プログラムについて報告しました。自慢話のような内容になり大変恐縮ですが、筆者等は現状を完成形とは全く考えていません。
繰り返し述べたように、探究型学習を経験してきた学生層を今後受け入れていくにあたり、現在のPEPでやっていること、特に1〜2回生授業で行っている内容は、将来的には不要になるのではと考えています。コンピュータのOSやスマートフォンのアプリのようにPEPというプログラムを1つのソフトウェアと考えると、学生たちの知的好奇心を満足し続けられる存在であるためには、現場に立つ英語教員たちが力を合わせ、専門科目の教員や学部職員、関連部課と連携しながら、文字どおり一丸となって更新を続けていく必要があります。
次世代研究大学を目標に掲げる本学にとって、英語教育が貢献できるポイントは決して小さくない、むしろ基盤的役割を果たしうるのではないか。PEPの担当教員の1人として、筆者はそう考えています。
参考文献および関連URL | |
[1] | PEPの詳細は公式サイトを参照。: http://pep-rg.jp/ |
[2] | PEP教材サイト「PEP Navi」。:https://navi.pep-rg.jp/ |
[3] | PEPの実践理論について詳しくは『プロジェクト発信型英語プログラム:自分軸を鍛える「教えない」教育』(山中司・木村修平・山下美朋・近藤雪絵, 2021, 北大路書房)を参照。 |
[4] | 木村修平(2021)「CALLからCILLへ:SFC英語から生まれたプロジェクト発信型英語プログラムを例に」『KEIO SFC JOURNAL』19(2), 208-226. |
[5] | すべての年度の詳細なスコアはPEP公式サイト内の「プログラムの成果」を参照。: http://pep-rg.jp/about-pep/achievements/ |