特集 授業改善とラーニングアナリティクス
森本 康彦(東京学芸大学 ICTセンター教授 )
大学の教学マネジメントにおいて、「教育の質保証」の学修成果の可視化のためのツールとしてeポートフォリオの活用が始まったきっかけは、2008年の「学士課程教育の構築に向けて(答申)」で、学修ポートフォリオの導入が提言されたことだと思います(学修ポートフォリオを電子的に扱ったものがeポートフォリオです)。
しかし、この学修成果の可視化は誰のための可視化なのでしょうか。濱名は「可視化の利点は…学んでいる学生の学習レベルを自らが把握できること。何ができていて何ができていないのか。…可視化された学修成果は、学習者本人が、“学修成果の地図”を与えられることを意味する。…つねに現在地(どれだけできているか)を把握でき、次の学びのモチベーションを得ることができるのだ」[1]、大森は「学修成果の可視化は、学生自身のために行うべきである、ということです。予測困難な時代を生きる学生たちは、生涯学び続けなければなりません。…『自律的な学修者』としての力を身につける必要があります」[2]と指摘しています。そうなのです。今、“学習者中心の教育”が求められています。学生が主体的・自律的に自ら学び続けるという「学び」が大前提なのです。教員や機関は、学習者としての学生を支え、足場をかけることが仕事です。これは、大学教育だけではありません。初等中等教育でも主体性を育成する教育が行われています。ことわざで「馬を水辺に連れて行くことができても、水を飲ませることはできない」とありますが、これが今の教育改革の争点であると言っても過言ではありません。
一方、コロナ禍を受け、大学等の高等教育機関では、当たり前にオンライン授業が行われ、そのための情報基盤環境も整いました。学内のLMSや学習クラウド等の学習支援システムも充実したのではないでしょうか。本学(東京学芸大学)においても、コロナ禍前と比べ、LMS(WebClassを利用)へのアクセス数、登録コンテンツ数、データ使用量は10倍ほどの増加となっています。つまり、このコロナ禍の間に、皮肉にも学内システム上に、多くのeポートフォリオが蓄積されるようになったのです。
この蓄積された学習者のeポートフォリオを用いて分析・可視化する「ラーニングアナリティクス(LA)」によって、学生の主体的・自律的な学びをさらに支援し、多面的・多角的に評価していくことが可能になります。本稿では、現場寄りの立場から、今求められる学びから見たeポートフォリオとLAについて説明し、LAシステムを導入することが難しい機関(先生方)でも、既存のLMS等で同様の学びをどこまで実現できるかについて議論します。
「eポートフォリオ」とは、学習者の継続的な学びを記録したデジタルデータの集合体であり、「学習履歴」と「学習記録」から構成されます(表1)。教育の視点から見たeポートフォリオも、システム側から見れば無機質な「学習データ」となります。しかし、これらは学習者の学びの営みのなかで生成される大切な学びの記録です。
表1 eポートフォリオの構成要素
学習履歴とは、システムや情報端末等のICT機器を使うと自動的に取得できるログデータ、または、行動歴・経歴等の記録です。また、テストやアンケート等の結果を含めることがあり、これをスタディ・ログと呼んでいます。例えば、学習者が、タブレット端末を操作すれば、いつ、どこをタップして何を参照したかなどの情報を自動取得し、それらを取り出して活用・分析することが可能になります。また、システムへのログイン回数、テストへのアクセスの有無や得点を自動取得することで、学習者の行動とその結果を把握し、支援を必要とする対象者を絞り込むことができるようになります。
学習記録とは、学習者の入力を伴う意図的な活動によって収集されるデータであり、学習者が制作した学習成果物、学習者の考えなどを外化した思考プロセスの記録、学びの振り返りの記述などがあげられます。例えば、レポートや作品などの学習成果物、学習の一場面や教材等を撮影した画像や動画、授業の過程で生成されるワークシートやノート、議論や対話の記録などが学習記録です。また、学習記録は、自己評価による振り返りや、相互評価による仲間からのアドバイス、教員等からのフィードバックなどの記述データと紐づいて同時に記録されることが望まれます。具体的には、学習者が考えたことや議論したことなどをワークシートに書き込みながら授業を行い、その終わりに自己評価して学びを振り返ることにより、学習者の思考・判断の流れや変容を見取ることができるようになります。
これら学習履歴と学習記録の二つは、学習者の学習状況を把握するためのデータとして、切っても切れない相思相愛の関係です。
学習履歴は、いわゆるログで、その人の行動・活動歴を知ることはできますが、何を考え質的にどう変容したのか、具体的にどのように成長したのかを判断することは困難です。そのため、多人数の学習者をブラックボックス化して見取ることに適しています。一方、学習記録は、思いや考えを外化したデータを含むため、頭や心の内をホワイトボックス化できます。さらに、具体的な学習成果をエビデンスとして含むため、学習者の質的な変容を密に見取ることが可能になります。そのため、収集した学習記録を組み合わせることで、その学習者が何を考え、どう行動し、どのような成果を得たかといった「学びの軌跡」を把握できるのです。つまり、学習履歴と学習記録をあわせて利活用することで、学習者を、より多面的・多角的に見える化し、学習指導や評価に繋げることが可能になるのです(図1)。
図1 eポートフォリオの活用イメージ
近年、LAが注目されています。LAとは、学習に関するデータ(eポートフォリオ/学習データ)を収集・分析し、その結果をダッシュボード上に可視化する学習データ分析のことで、学習効果の向上や学習促進のための方法として研究が進められています。しかし、LAはデータをただ闇雲に分析して、学習者にその結果を提示すればよいというものではなく、それ自体が学習者の主体的・自律的な学びの何らかの支援のために使われることが求められます。つまり、それはただの分析結果の通知ではなく、学習者が自身の学びを振り返り、自己調整しながら学び続けるための支援そのものでなくてはならないのです。そこで、学習者の学習活動の過程において、収集したデータを分析し、ダッシュボード上に可視化し提示することで、学習者に気づき(メタ認知)を与え、理解や問題解決のための学習支援(足場かけ)を行っていくことが有効です(図2)。大切なのは、主役は学習者である学生であり、学生自身が学習の責任者であること。教員は、学生を支える脇役(影の主役)であり、学習状況の可視化は、学習者のために行われるべきものであるということです。これにより、学習者自身の学びが促進され成長が促されると共に、教員が自身の授業等を改善することで、教育自体の質向上にもつながっていきます。
図2 LAによる学びのイメージ
新たなLAシステムを独自に開発するのは難しい、どこから手をつけていいかわからないなど、様々な理由から、LAの導入をあきらめざるを得ない機関は多くあるのではないでしょうか。しかし、LAを導入することは目的ではなく、学生中心の教育そのものを促進させる手段だとするならば、学内の既存のLMS等の可視化機能を活かして、教育のやり方を工夫することで、論理的にLAシステムと同様の教育(学び)を実現することは可能です。
LAシステムの導入・実現は、次の3つのタイプに分けられます。それぞれにメリットとデメリットがあります(表2)。
タイプⅠ:既存のLMS等の可視化の機能を利用
タイプⅡ:学内の既存システムの可視化を集約したダッシュボードを開発
タイプⅢ:新規に独自のLAシステムを開発
表2 LAシステム導入・実現の典型(タイプ)
(A:容易・高い>B>C:難しい・低い)
(1)タイプⅠ このタイプは、学内にある既存のLMS等のシステムに搭載された可視化機能を利用するため、新規の開発はないので、直ぐに取組みを始めることが可能です。しかし、学生が主体的・自律的に学ぶことが大前提で、教員も支援者として学生に寄り添うことが大切です。また、既存の可視化機能に依存するためLAの効果は未知数な所があります。
例1:LMS(WebClassのデフォルト機能)による講義での学び(教員による学習支援)
教員は、学生の学習履歴から取組状況を把握し、小テストの結果や傾向、レポートの内容の出来具合、修正の状況をみて、講義内容の理解や取組みが十分でない学生に足場かけ(学習支援)を行う。
図3 タイプⅠ:例1の学びのイメージ
例2:LMS(WebClassのeポートフォリオ・コンテナ機能)による講義での学び(学生による主体的・自律的な学び)
学生は、自己評価と相互評価のレーダーチャートからレポートの観点毎の出来を自身で確認し、改善する。また、自己評価と相互評価の折れ線グラフからレポートを改善する過程で良くなってきている所や悪い所はどこかを認識し、さらなる改善に取り組んでいく。
図4 タイプⅠ:例2の学びのイメージ
例3:LMS(WebClassの修学カルテ機能)による実習での学び
学生は実習中、日々記録を取りながら学ぶが、その度に可視化される自己評価の一覧やレーダーチャートを見て、実習にどう取り組めているか、成長しているところはどこか、課題は何かを把握して、今後はどう取り組んでいくかを常に考え、自己調整していく。
図5 タイプⅠ:例3の学びのイメージ
(2)タイプⅡ このタイプは、学内の複数のシステムの可視化を集約したダッシュボードを活用します。この開発は既存システムの可視化を集約するだけなので、比較的容易にできますが、どのようなダッシュボードになるか、どう教育に活用したらいいのかは所有するシステムに依存します。
例4:「TGUポートフォリオ」による学び
「TGUポートフォリオ」は、東京学芸大学が文科省の「デジタルを活用した大学・高専教育高度化プラン」で採択された取組みとして開発したシステムである[3]。既存の6つの学内システムの可視化を2つのダッシュボードに集約しており、学生は、自身の学習状況を把握して、短期的・中長期的な見通しを持って、既存システムと往来しながら学んでいくことを想定している。
図6 タイプⅡ:TGUポートフォリオのイメージ
図7 「TGUポートフォリオ」のダッシュボードのイメージ
(3)タイプⅢ このタイプは、新規に独自のLAシステムを開発するため、規模も大きく、取組みを始めることの壁はありますが、先端のAI技術を搭載したLAを用い、各機関が目指す教育を実現できるため、LAの有効性は非常に高いと言えます。例えば、九州大学のM2B(みつば)学習支援システムがあります。
筆者は、eポートフォリオや教育AI活用の研究者ですが、本学の情報基盤整備を行うセンターの専任教員であり、教員養成を行う大学教員でもあります。本稿では、筆者と同様に現場に立つ方々に、LAの良さを知ってもらい、どう導入したらいいかのイメージを持ってもらうための議論をしました。
LAは、学習者の主体的・自律的な学びを促進させるためのツールですので、教学マネジメントシステムの根幹となる“学習者中心の教育”の実現のための一つの大切な手段であると考えて欲しいです。独自開発したLAシステムは、目指す教育を意図的に実現することができますが、手が届きにくい高嶺の花でもあります。一方、既存のLMS等のシステムに搭載された可視化機能を用いることで、論理的なLAシステムとしての活用が可能です。ぜひ、貴学に合ったLAのカタチを見つけてください。
参考文献および関連URL | |
[1] | 濱名篤, “学修成果への挑戦”, 東信堂, p.62, 2018. |
[2] | 大森昭生, “「自律的な学修者」を育てる学生による学生のための成果可視化”, 先端教育, 2019年12月号. |
[3] | 東京学芸大学, “eポートフォリオ構築によるデジタル技術を活用した教育実習DX”, Plus-DX, https://www.mext.go.jp/content/20210630-mxt_senmon01-000016115_1.pdf.pdf |