事業活動報告 No.1
松尾 由美(情報教育研究委員会データサイエンス教育分科会 江戸川大学 メディアコミュニケーション学部講師)
仮想空間と現実空間が融合し、経済発展と社会的問題をどちらも解決することを目指すSociety5.0の実現に向けて、高度AI人材の育成が喫緊の課題となっている。日本政府は、「数理・データサイエンス・AI」の基礎などの必要な力を全ての国民が育み、あらゆる分野で人材が活躍する環境を構築することを目指し、「AI戦略2019」の中で「文理を問わず,全ての大学・高専生(約50万人卒/年)が課程にて初級レベルの数理・データサイエンス・AIを習得」ことを具体目標として設定した。それに伴い、文部科学省は「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」を制定し、様々な大学において文理専門に関わらず、AI・データサイエンス教育が導入され始めている。
本報告は、コンピュータサイエンスの分野で高い評価を得ているシンガポールの大学の学部で行われている「データサイエンス」に関連する学位プログラムや教育プログラムについて、ホームページを中心に調査した概要を報告し、日本の大学においてプログラム構築の際、参考にできうる特徴を整理する。なお、本報告は私情協の「大学における数理・データサイエンス・AI教育支援プラットフォーム[1]」内で示した「シンガポールの大学等でのデータサイエンス教育関連について、主な取組み状況のレビュー[2]」を再編集したものであり、調査は2022年4月に実施している。現在では状況が異なる可能性があることに注意されたい。
シンガポールでは、首相府に設置されたシンガポール国立研究財団(National Research Foundation of Singapore: NRF)によって2017年にAI Singapore (AISG)というプログラムが設置された。AI Singaporeのホームページ[3]によると、本プログラムは6つのプログラム(AI Research, AI Governance, AI Technology, AI Innovation, AI Products, Learn AI)から構成されており、Learn AIでAI AwareとAI Readyを持つ人材を育成するための年代別AI能力プログラムを開発することを目標としている。サイト内には、小学生、中学生以上、大学生・社会人、それぞれを対象にした自己学習教材も提供されている。また、AI Researchでは、地域の科学人材の育成・確保も目標としており、大学・研究機関等は最先端の研究を進めながら人材を育成することが求められている。
さらに、NRFは、学術関係については図1のメンバーから構成される「シンガポールデータサイエンスコンソーシアム(Singapore Data Science Consortium, SDSC)」を立ち上げた。
図1 SDSCの学術分野における関係団体
このコンソーシアムのホームページ[4]によると、主なメンバーは、シンガポール国立大学(National University of Singapore(NUS))、南洋工科大学(the Nanyang Technological University(NTU))、シンガポール経営大学(the Singapore Management University(SMU))、科学技術庁(the Agency for Science, Technology and Research(A*STAR))であり、加えて企業もメンバーとなっている。本コンソーシアムは、シンガポールがデータサイエンスとテクノロジーの力を十分に活用することを目標に、公的研究機関と産業界との間にシームレスな関係を構築し、データサイエンスの専門家を育成し、現実世界の課題に対応する革新的なソリューションを創出することを使命としている。産業界と大学・公的研究機関が連携し、複数のプロジェクトが進行している。
以下、シンガポールデータサイエンスコンソーシアム(SDSC)に参加している大学・学部のホームページに掲載されている情報を基に、各大学・学部の学位プログラムや教育カリキュラムを紹介する。
(1)シンガポール国立大学
NUS Department of Statistics and Data Scienceのホームページ[5]によると、シンガポール国立大学でデータサイエンス教育を担う学部として、1998年4月1日にThe Department of Statistics and Applied Probability (DSAP)が設立され、その後、2021年7月1日にDepartment of Statistics and Data Science (DSDS)に改称され、統計とデータサイエンスの研究・教育を推進することを目標としている。DSDSでは、下記の3つの学位プログラムを提供している。
① Major in Data Science & Analytics(DSA)
本専攻のホームページ[6]によると、本専攻では、データサイエンス・データ分析を専攻し、特にデータ取得、データマネジメント、データ探究について学び、Bachelor of Science(Honours)with a major in Data Science and Analytics の取得を目指している。また、到達すべき学修目標として、以下の内容があげられている。
また、カリキュラムの特徴として、3つ(学際的なカリキュラム、深い専門知識、体験学習)があげられている。具体的には、数学、統計学、コンピュータサイエンスのモジュールを選択し、データサイエンスの実践でこれらの3つの主要な領域間の相互作用を経験する学際的なカリキュラムとなっている。さらに、第2専攻(副専攻)として、人工知能、計算と最適化、コンピュータアルゴリズム、データベースとデータ処理、データマイニングと機械学習、高次の統計学に深く触れることで深い専門知識の修得を目指している。加えて、学生は、産業界主導によるcapstone moduleに取り組み、現実世界のデータや職場で起こる課題に関連する実践的な問題に取り組む機会を得る。
さらに、体験学習を促進するために、Data Analytics and Consulting Centreが併設されており、学生は、センターのコンサルティングサービスによる支援を得ることができる。センターでは、産業界のプロジェクトを調達し、学科の教員と協力してプロジェクトに関わる学生を指導する役割を担っている。
② Major in Statistics
本専攻のホームページ[7]によると、本専攻では、データの収集、分析、プレゼンテーションの方法、プログラミング、問題解決、データの可視化スキルについて学び、調査、データベース、注意深く計画された実験から情報を抽出する方法を修得し、Bachelor of Science(Honours)with Major in Statisticsの取得を目指している。
カリキュラムの特徴として、データサイエンスや金融・ビジネス統計の専門を深める機会があることがあげられている。「データサイエンス」では、大量のデータの収集、保存、分析を管理するためのコンピューティングに関する概念とスキルに焦点を当てて学び、「金融・ビジネス統計」では、投資と金融に関する分析、保険、マーケティング調査とマネジメントの分野に統計学を適用することに焦点を当てて学ぶ。Major in Statistics(統計学専攻)に加え、所定のリストから5つの選択モジュールを履修することで、specialisationの要件を満たしている。
Statistics Major と Data Science & Analytics Majorの違いとして、数学とコンピューティングのモジュールの数があげられている。Data Science & Analytics Majorは、シンガポール国立大学の統計学部(Statistics department)と数学部(Mathematics department)が共同で提供しており、School of Computingの支援を受けているため、数学とコンピューティングの必修科目が統計学専攻より多くある。一方、Statistics Majorは、Data Science & Analytics Majorよりも、必修の数学とコンピューティングのモジュールが少なく、選択科目としてこれらの数学とコンピューティングのモジュールを選択できる。また、特定の統計アプリケーションに必要な数学とコンピューティングについては、統計モジュールの中で扱われている。
③ Major in Data Science & Economics
本専攻のホームページ[8]によると、本専攻では、個人、組織、社会とグローバルな経済生態系におけるデータのローカルおよびグローバルな影響を分析・解釈するために、データ科学と経済学だけでなく、経済データの実証分析の経験で強い基礎知識を持つ学生を育成することを目的とし、Bachelor of Science(Honours)with Major in Data Science and Economicsの取得を目指している。本専攻のカリキュラムは、コンピュータサイエンス、数学、統計学を基礎とし、データサイエンスと経済学の学際的な学修を取り入れており、金融市場、労働市場、および教育、健康、住宅、産業組織における他の応用経済問題へのデータサイエンスと分析の適用に関連するモジュールから構成されている。
また、到達すべき学修目標として、以下の目標を設定している。
加えて、産業界との連携も力を入れており、産業界と連携した統合モジュール(デジタル通貨、FinTechとデジタル経済について産業界からの参加を得て、教室で実施)やキャップストーンプロジェクト(特定のパートナー機関や企業でプロジェクトに参加する)をカリキュラムの中に取り入れている。学生が、これらの活動を通してデータサイエンスの専門家と交流することで、正しい問いを立て問題を定式化する能力や、問題解決と洞察を得るためのデータ収集と分析の能力、コミュニケーション能力を高めることが、データサイエンスチームで働くことを通じて、建設的で責任ある社会の一員としての価値観を身につけることが期待されている。
④ Bachelor of Science in Business Analytics (with Honours)
本専攻は、上記の3つの学位プログラムと異なり(3つはDSDSによるプログラム)、School of Computingによって提供されている。
本専攻のホームページ[9]によると、本専攻は、ビジネススクール、工学部、理学部、芸術と社会科学部が連携し、School of Computingが提供する学際的な学位プログラムである。すべての学生が最初の2年間に、数学、統計学、経済学、会計、マーケティング、意思決定科学、産業とシステム工学、コンピュータサイエンスと情報システムのモジュールを履修し、3年次と4年次の学生は、機能的または方法論的に関する選択モジュール(functional or methodological elective modules)から科目を選択できる。機能別選択モジュールは、マーケティング、小売、ロジスティクス、ヘルスケアなどのビジネスに関するものであり、方法論的選択モジュールは、ビッグデータ技術、統計学、テキストマイニング、データマイニング、ソーシャルネットワーク分析、計量経済学、予測、オペレーションズリサーチなどに関連するものである。
(2)南洋工科大学
① Bachelor of Science in Economics and Data Science(Single Degree)
当該専攻のホームページ[10]によると、3つのSchool(School of Social Sciences (SSS), School of Computer Science and Engineering (SCSE), and School of Physical and Mathematical Sciences (SPMS))が合同で、経済学、数学、データサイエンスの3分野を学ぶ4年間の学位プログラムを開始している。本学位プログラムのカリキュラムは、経済学の強力な基盤を身に着けることに加え、データサイエンスを通じてビッグデータを処理し、対処するだけでなく、現代の大規模なデータ分析を適用することで、経済的な意味を持たせるための能力を育てることを目標としている。
② Double Degree in Accountancy & Data Science and Artificial Intelligence(Double Degree)
本学位プログラムのホームページ[11]によると、本学位プログラムは、Nanyang Business Schoolとthe School of Computer Science and Engineeringが連携して提供しており、4年半で、Bachelor of AccountancyとBachelor of Science in Data Science and Artificial Intelligenceの2つの学位の取得を目指している。具体的には、データの管理、 プログラムによるビジネスアナリティクスの実施、ビジネスプロセスを自動化するためのAIモデルの作成、収益性やリターンを高めるための予測モデルの作成を学び、データ解析のための統計ライブラリの統合や会計・財務プロセスを自動化するAIモデルの作成ができるようになることを目指している。
③ Bachelor of Science in Data Science and Artificial Intelligence(Single Degree / Single Degree with 2nd Major)
当該専攻のホームページ[12]によると、本学位プログラムは、School of Computer Science and Engineering と the School of Physical and Mathematical Sciencesの合同で運営され、統計学とコンピュータサイエンスの相乗的な領域における厳格なトレーニングに基づくカリキュラムが用意されている。具体的には、カリキュラムの中で、科学技術、ヘルスケア、ビジネスと金融、環境の持続可能性など、様々な応用領域における現実世界の問題を解決する機会を提供されている。
④ Bachelor of Science(Maritime Studies)with Second Major in Data Analytics(Single Degree with 2nd Major)
当該専攻のホームページ[13]によると、本学位プログラムは、the College of Science(CoS)とCollege of Engineering(CoE)が共同で運営しており、4年間のdirect honours programmeである。また、シンガポールで唯一の海運ビジネス(maritime business)の学位プログラムであり、海外交流プログラムがカリキュラムの要件に含まれている。
⑤ Bachelor of Science in Biological Sciences with Second Major in Data Analytics(Single Degree with 2nd Major)
当該専攻のホームページ[14]によると、本学位プログラムは、the College of Engineeringと提携し、NTU's College of Scienceが提供する学際的なプログラムである。以下3つのコアコースから構成されている。
(3)シンガポール経営大学
シンガポール経営大学のホームページ[15]によると、2019年8月よりすべての学部の学生を対象に第二専攻として、Data Science and Analytics majorが取得可能である。カリキュラムの特徴として、統計学と計算科学の両方の実用的なアプリケーションを体験する機会が提供することがあげられている。
本節では、シンガポールデータサイエンスコンソーシアム(SDSC)に参加していない大学におけるデータサイエンス教育に関する学位プログラムやカリキュラムを紹介する。
(1)ジェームズ・クック大学シンガポール(James Cook University Singapore)
Bachelor of Science のMajoring in Data Scienceのホームページ[16]によると、カリキュラムの特徴として以下の学修目標を達成することをあげている。
(2)シンガポール工科大学(Singapore Institute of Technology)
① The Bachelor of Science with Honours in Applied Artificial Intelligence
本学位プログラムの概要のホームページ[17]によると、本プログラムは、AIソリューションの開発、適用、展開する能力を持つICTの専門家育成のために設立された3年間のdirect honours programmeであり、The Bachelor of Science with Honours in Applied Artificial Intelligenceの取得を目指し、ソフトウェアシステム内のAIの実装に焦点を当て、以下の3つの領域について学ぶ。
② The Bachelor of Science with Honours in Applied Computing with a specialisation in Fintech
本学位プログラムの概要のホームページ[18]によると、本プログラムは金融セクターのための金融技術(フィンテック)に精通した情報通信技術(ICT)スキルを高めることを目的とするInfocomm Media Development Authority(IMDA)とMonetary Authority of Singapore(MAS)の提携で、シンガポール工科大学が提供する3年間のdirect honours programmeであり、The Bachelor of Science with Honours in Applied Computing with a specialisation in Fintechの取得を目指す。プログラムの大きな特徴として、企業で働きながら学ぶIntegrated Work Study Programmeがあり、Term-In-Term-Out(TITO)を採用した教育プログラムが行われている。
③ The Bachelor of Engineering with Honours in Electronics and Data Engineering
Electronics and Data Engineeringの学位プログラムの概要のホームページ[19]によると、本プログラムは、シンガポール工科大学とミュンヘン工科大学(TUM)が共同で提供する4年間のdirect honours programmeであり、The Bachelor of Engineering with Honours in Electronics and Data Engineeringの取得を目指す。本プログラムのカリキュラムの特徴として、エレクトロニクスとデータエンジニアリングの両方を学ぶことがあげられている。半導体技術、センサーと関連する電子機器だけでなく、データ収集と分析の側面を含むデータサイエンスの実用的なアプリケーションで必須の知識を中心に学ぶカリキュラムが用意されており、エレクトロニクス業界に必要な基本原理だけでなく、データエンジニアリングの基礎を学ぶことが本プログラムの特色である。
シンガポールの大学でのデータサイエンス教育について、以下、2点の特徴が見いだされた。
(1)産学連携の取組み
シンガポール国立大学(NUS)の学位プログラムのように、産業界との連携をカリキュラムに取り入れているプログラムが多数存在し、学部学生でも、学外での経験を単位化できる。また、NUSでは産業Data Analytics and Consulting Centreが設立されており、産業界と教員を結び付け、教員と協力しながら学生の支援を行っている。
日本においても、「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」の審査項目として、『実データ・実課題を用いた演習』(リテラシーレベル)[20]や、『実践の場を通じた学習体験を行う学修』(応用基礎レベル)[21]が設定されており、これらの学修が期待されている。したがって、日本の大学においても、産業界等と連携を図りながら教育プログラムを開発する必要性があるだろう。産業界とどのように連携を図って教育プログラムを実施すればよいのかについて、シンガポールの大学の取組みが参考となると考えられる。
(2)データサイエンス副専攻の設置
様々な大学において、既存の複数の学部・学科が連携・共同で、学生の専攻に関わらず副専攻としてデータサイエンスを学ぶカリキュラムを提供している。また、南洋工科大学のように主専攻と関連の深い内容を扱うデータサイエンス副専攻を設置するケースも見られた。日本においても、既に行われているデータサイエンスに関する科目の必修化や副専攻化に加えて、既存の複数の学部・学科が共同・連携して教育プログラムを開発することで、さらに専攻に問わずデータサイエンスを学修する環境を構築できる可能性が示唆された。
本稿の執筆にあたり、多摩大学今泉忠先生に有益なご助言を頂きました。深く感謝申し上げます。