特集 学びの質向上に向けたICT活用の取組み(その1)
世界63か国の経済における人材の競争力では、日本は30年前の1位から34位と下降してきており、成長力、競争力、デジタル化など多くの分野で地盤沈下を起こし、危機的な状況にあるとも言われています。その原因の多くは人材の育成にあるといっても過言ではありません。これを打開していくには、生涯に亘って未知の時代を切り拓いていく能力と気概を備えた人材の育成が求められています。学生一人ひとりが自分の考えをもって主体的に関わり、新しい価値の創造に立ち向かっていけるよう、大学はもとより、日本社会全体で学びを支援する仕組みが必要です。
与えられた課題を処理するだけでは、新たな価値の創出を目指すことはできません。国・社会・世界が直面している問題の解決に向け、分野を横断して解決策を構想・検証する訓練が求められています。それには、学生一人ひとりに配慮した学びの指導と助言、大学間、大学と企業・地域社会等と連携したアウトプット型の学びの体験などが望まれ、教育現場での教員の意識変容が大きく要請されています。
そのような観点から、時間・場所の制約から高い自由度で学びの環境を改善し、質の向上が期待できるICTを活用した私立大学での多様な分野における授業改善の取組みをアーカイブスし、その1、その2などとして今後紹介していくことにしました。
髙嶌 英弘(京都産業大学 法学部教授)
本稿で紹介する「インターカレッジ民法討論会」は、過去30年にわたって多くの大学の民法教員が共同で実施してきた全国規模の法律討論会です。従来は対面形式の実施でしたが、2019年末からの新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、2020年度、2021年度にはオンラインでの開催となりました(2021年度は、早稲田大学、慶應大学、法政大学、龍谷大学、本学、九州大学、沖縄大学が参加)。全国規模の法律討論会をオンラインで開催した事例は筆者の知る限り存在せず、ICTを利用した授業改善の試みとして今後の参考になると思われるため、以下に、開催の目的と特徴、授業改善の成果、オンライン開催のノウハウ、今後の課題を紹介します。
他大学との法律討論会をオンラインで開催する目的は、次の4点にあります。
第1に、オンライン会議システムに習熟する機会を学生に与えることです。今後の社会において、オンライン会議は不可欠になると思われることから、このシステムを使いこなせるようになっておく意義は大きいと思われます。
第2に、学生の主体性を高めることです。教員は討論会の1ヶ月前に事例問題を出題し、各ゼミの学生は、その解決に向けた法律論を立てて報告を行うことが求められます。さらにこの検討に当たっては、学生の主体性を尊重し、教員は一切助言や指導を行ってはならないとのルールが設けられているため、立論とレジュメの作成及びプレゼンテーションの全てを学生自らが主体的に行わなければなりません。
第3に、法律問題の討論を通して、他大学の学生や教員から、自己の報告内容とその論理を批判的に検討される機会を学生に与えることです。とりわけ、他大学の学生との質疑応答の機会、および他大学教員への質問の機会は、通常の演習では実現が困難であり、学生の資質・能力の向上に大きく役立つと思われます。なお、学生の報告(図2)後に実施される「教員討論会」(写真1)は、これによって教員間でも意見や評価が異なりうることを示し、多角的な視点からの評価の重要性を認識する機会となります。
従来、対面開催していた際には移動時間と交通費のコストがこの種の機会を設ける妨げとなっていましたが、オンラインで開催することにより、最小限の負担でこれを実現することができます。さらに、各ゼミの報告、質疑応答、教員討論会などはビデオ収録し、各ゼミの授業で再検討を行えるよう配慮しています。
第4に、参加学生に他大学の学生と共同して学びの場を自ら作っていく機会を与え、学生の企画運営能力を高めることです。本討論会においては、全体の運営を学生に委ねることにより、より実践的な形でこの能力を涵養できるように配慮しています。
本討論会で用いられたZoomはオンライン会議システムとして標準的な機能を有しており、広くビジネスや研究に利用されています。本システムに標準装備されている画面共有、ブレイクアウトルーム、チャット、ファイル送付、録画機能等を活用した今回の討論会は、その後の学生の学習活動や就職活動に際して非常に役立っているとの報告が、各ゼミの教員を通して寄せられています。
本オンライン討論会においては、法律問題の討論を通してインターカレッジな相互交流が学生相互間及び学生と教員間で行われたことにより、学生の論理的思考力、文章作成能力、プレゼンテーション能力が格段に上がったとの報告が寄せられています。とりわけ教員討論会は、将来法律関係の職に就くことを希望する多くの学生から、通常の授業では実現できない深いレベルの議論を生で聴くことができる貴重な機会だった、教員間の研究会に出席できたように感じた、との報告が寄せられています。さらに、実行委員会に参加した学生からは、他大学の学生と協力して運営を企画立案する経験を通して、多様な意見のとりまとめや会議のやり方についての実践力を身につけることができたとの報告がありました。
2021年度は学生に設問(図1)を提示し、実施しました。開催の様子は、図2(学生の報告)、図3(出題教員の解説)、図4(オンライン投票)、写真1(教員討論会)です。
図1 2021年度の設問
図2 学生の報告イメージ 図3 出題教員の解説イメージ 図4 オンライン投票イメージ 写真1 教員討論会
なお、多数の大学から200名を超える学生が参加するため、Zoomの利用方法に工夫が必要であり、効率的な運営を行う上で、以下の①〜④の指示が効果的でした。
① 開催時における全体に対する注意事項
- 報告者以外は、ウェブカメラをオフ、マイクをミュートに設定。
- 氏名の画面の表示を、「名前と大学名」に変更。
- ゼミごとにブレイクアウトルームを設定し、報告前・報告後の相談や質問事項の検討等に使う。
② 教員による各ゼミの報告に関する注意事項の周知徹底
- 各ゼミの報告時間10分、報告後のブレイクアウトルーム検討時間5分、質疑応答時間12分。ゼミごとの担当時間30分。報告者5名以内、レジュメA4版4枚以内、動画等は使用不可。
- 報告の態度や姿勢も評価対象とする。
- 報告時間の超過は、減点の対象。報告超過した場合、司会教員がその旨を伝えたうえ、教員が協議し、5点以内で減点。
- 進行管理は、各ゼミで選出した共同ホスト担当の学生が行い、共同ホスト設定と解除は、全体ホストが行う。
③ 教員による質疑応答の方法に関する注意事項の周知徹底
- 質問時の画面操作についての具体的な説明。
- 司会教員による質問者の指名ルール。
- 学生は質問終了後、チャット機能で名前、所属大学、ゼミ名を書き込む。
④ 採点についての注意事項の周知徹底
- すべてのゼミの報告と質疑応答を聞いた者のみが採点できる。学生、一般参加者は、Googleフォームに移動し、報告、レジュメ、質疑応答をそれぞれ5点満点で採点する。各自でメモを残しておくことを推奨する。
本討論会の成果は、従来、法学セミナーにおいて公表してきました。しかし、オンライン討論会としてのノウハウは、法学関係の教育に必ずしも限定されず、大学教育全体において汎用性を有していることが判明しました。
今後は、私情協のように大学教育関係者全体にオンライン開催のノウハウおよび利点を公開できるような場を積極的に利用し、情報発信していくことが必要だと思われます。