数理・データサイエンス・AI教育の紹介
江藤 宏(九州工業大学大学院 情報工学研究院助教)
藤本 晶子(九州工業大学大学院 情報工学研究院准教授)
宮野 英次(九州工業大学大学院 情報工学研究院教授)
齊藤 剛史(九州工業大学大学院 情報工学研究院教授)
本学は、1909年に開学した私立明治専門学校を前身とする歴史を持つ大学で、3つのキャンパスを持っています[1]。福岡県北九州市の戸畑キャンパスには工学部、福岡県飯塚市の飯塚キャンパスには情報工学部、また、北九州市の若松キャンパスには大学院生命体工学研究科があり、学生数が約5,600人の工学系大学です。本学における数理・データサイエンス・AI教育プログラム(以下ではMDASHプログラム)は、数理・データサイエンス・AIの知識を専門分野へ応用・活用できる高度な技術者を目指す教育プログラムです[2]。低年次から高年次まで用意されている基礎科目および専門科目、さらに演習・実験科目の履修を通して、数理・データサイエンス・AIの知識を様々な専門分野へ利活用する能力を身に付けることができることを目指しています。リテラシーレベル教育プログラムでは、数理・データサイエンス・AIへの関心を高め、かつ、数理・データサイエンス・AIを適切に理解し、それを活用する基礎的な能力を育成することを目的とします。応用基礎レベル教育プログラムでは、数理・データサイエンス・AIを活用して課題を解決するための実践的な能力を育成することを目的とします。
本学のMDASHプログラムは、文部科学省「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度(MDASH認定制度)」において、2021年度にリテラシーレベルの認定を受け、2023年度に応用基礎レベルおよび応用基礎レベルプラスを全学の教育プログラムとして認定されました。本稿では、次節においてMDASHプログラムを始めるまでの準備の説明を行い、第3節において応用基礎レベルカリキュラムの概要、さらには、本学における独自の工夫や特色を紹介します。
MDASH認定制度は、数理・データサイエンス・AIに関する大学・短期大学や高等専門学校の正規の課程の教育プログラムを対象とした認定制度ですが、本学では正規課程プログラムとして導入するまでの準備を、次のように実施してきました。まず、2016年度から、情報工学部において、文部科学省の「成長分野を支える情報技術人材の育成拠点の形成(第2期enPiT)」に連携大学として参画し、ビッグデータ・AI分野の教育カリキュラム(Kyutech ABC)を独自に推進してきました[3]。Kyutech ABCは、機械学習を題材として、連携企業から提供を受けたリアルなビッグデータを処理する独自の教育プログラムとなっており、2020年度までに150人を超える修了生を輩出し、2021年度以降はKyutech ABCは情報工学部の正規のカリキュラムの一部として継続されています。Kyutech ABCは、本学の数理・データサイエンス・AIの基礎知識を応用する場として活用されています。
2018年4月には、リテラシー教育の充実とエキスパート人材育成を目指して、情報工学部知能情報工学科内にデータ科学コース、人工知能コース、メディア情報学コースを設置しました。データ科学コースは、様々なデータから規則や知識を抽出するための情報処理、アルゴリズム、人工知能、数理統計などに基づいた手法を開発し、それらを効率化、高精度化、汎用化する能力を身に付けることで、データ学に総合的に取り組むことができる技術者を養成することを目標とした教育プログラムです。人工知能コースは、人工知能の基礎となる問題解決・探索・知識表現・プランニング・推論・自然言語処理などの知識を身に付け、学習や論理プログラムなどの技術も利活用して、人の意図を理解し、人と対話できる知的情報処理システムを開発できる技術者を養成することを目標とした教育プログラムです。メディア情報学コースは、音声・画像・動画など様々なメディアを処理する知識や技術を身に付け、メディアの認識・理解、VRやARを用いた高度なユーザインタフェース、コンピュータグラフィックスやコンピュータビジョンの応用技術を含む情報処理システムを開発できる技術者の養成を目標とした教育プログラムです。
さらに、2018年度より、高度データサイエンティスト育成事業「九州コンソーシアムによる副専攻型高度データサイエンス教育プログラム」の取組みを開始しました。2019年4月には、データ解析手法の普遍的な原理の理解、境界条件と限界の理解、あらゆる分野のデータに適切に対応できる柔軟性の習得、最先端の理論の理解、データ解析技術の進化への継続的対応力の習得を目標とする「データサイエンスコース」を大学院情報工学府に設置し、本格的に始動し始めました。「データサイエンスコース」は、「データサイエンス基礎モジュール」と「データサイエンス実践モジュール」からなり、データサイエンス基礎モジュールでは、機械学習、データマイニング、コンピュータビジョン、最適化理論、アルゴリズム論等の基礎数理、データ解析の基礎手法の習得を目指し、また、データサイエンス実践モジュールでは、データサイエンス演習ⅠおよびⅡを新設して、様々な実データに対して、基礎科目で学んだデータ解析手法を適用してデータ解析の演習を行うことを目標としておりました。大学院生向けのグローバルエキスパート教育、および社会人教育を目指したものが高度データサイエンティスト育成事業の大きな目標となっていました。この事業は、2022年4月の大学院情報工学府情報創成専攻のカリキュラム改正へと繋がっております。情報創成専攻は副専攻型のプログラム構成になっており、基礎科目となる「情報工学プログラム」、主専攻を意識した「専門深化プログラム」、副専攻を意識した「社会駆動プログラム」からなっています。それぞれのプログラムにおいて、数理・データサイエンス・AI教育を実施しています。
本節で説明した様々な準備的な取組みによりMDASHカリキュラムが設計され、2022年4月に設置した数理・DS・AI教育推進室を中心に整備してきました。次節以降では、具体的な応用基礎レベルMDASHカリキュラムについて紹介します。
(1)応用基礎レベル
本学は、2023年度にMDASH応用基礎レベルに認定されました(認定の有効期限は2028年3月31日まで)。工学部のプログラムは全学科必修の4科目「情報PBL」「情報処理基礎」「情報処理応用」「情報リテラシー」(8単位)を取得することが修了要件となっています。また、情報工学部のプログラムは全学科必修の8科目「情報工学概論」「情報工学基礎実験」「解析Ⅰ・同演習」「線形代数Ⅰ」「離散数学Ⅰ」「データ構造とアルゴリズム」「計算機システムⅠ」「プログラミング」(15単位)を取得することが修了要件となっています。なお、応用基礎レベルは3、4年次の学習を想定していますが、本学では高年次での専門科目の準備となるように1、2年次開講科目で習得できるように設計しています。本学の応用基礎レベルの概要は図1を参照してください。
図1 応用基礎レベルの概要
(2)本学における独自の工夫・特色
MDASH認定を受けた教育プログラムの中から、特に優れたプログラムについては「プラス」として選定されます。審査される項目は①授業内容、②学生への学習支援内容、③その他様々な取組み(地域との連携、産業界との連携、海外の大学との連携等)、④学習効果、⑤先進性・独創性、⑥波及可能性などとなっています。
本学の応用基礎レベルについては、独自の工夫・特色を有するプログラムとして応用基礎レベルプラスにも全学認定されています(認定の有効期限:2028年3月31日まで)。ここでは、上記の審査の観点に関する本学の活動の一部を紹介します。
① 授業内容
全学生に修学させることを念頭に、本学の学部の卒業要件を満たすことで、リテラシーレベルおよび応用基礎レベルの両教育プログラムの修了要件を満たすように設計してあります。工学部は、建設社会工学、機械知能工学、宇宙システム工学、電気電子工学、応用化学、マテリアル工学の6学科、情報工学部は、知能情報工学、情報・通信工学、知的システム工学、物理情報工学、生命化学情報工学の5学科から構成されています。様々な専門分野がありますが、MDASHプログラムの対象科目の多くは低年次開講科目であり、数理・データサイエンス・AIに関するスキルを低年次で習得した後に、高年次に開講される専門科目を学ぶことになります。数理・データサイエンス・AIを自らの専門分野へ応用する機会を提供できる環境が整備されていることが特徴となっています。さらに、学部生が大学院科目を受講できる制度が整備されており、学生は自らの習熟度をもとに高度な専門的な内容について学習することができます。
② 学習支援
2019年度入学生からBYODによるノートPCを必携とし、学内でWi-Fiも整備し、個人所有のノートパソコンを大学や自宅で自主的に学習する環境が整っています。最近ではBYODを導入している大学も数多くありますが、5年以上の実績をもつ本学はノウハウを蓄積しており、数理・データサイエンス・AIに関するスキルをわかりやすく学ぶ授業内容を設計しています。特に、1年次前期開講の「情報リテラシー」および「プログラミング」でプログラミングの基礎を学ぶため、学生は入学直後から自分でプログラムを作ることができ、必携PCを用いたデータサイエンス・AIの演習が円滑に進むように、大学院生がTAとして演習をサポートしています。さらに、工学部には「工学部学習支援室」を、情報工学部には「学習コンシェルジェ」をそれぞれ設置し、授業についていけない学生や課題に悩んでいる学生に対して、OB教員などが、一人ひとりの疑問に丁寧に対応しています。
学習支援システムも構築しており、学習管理システム(Moodle)を利用して、各授業科目のコースを設けています。講義動画や教材ファイルもMoodleから入手でき、学生はいつでも授業動画を視聴し、予習・復習が行え、これについては学生に対する授業アンケートでも好評です。
より高度な内容を自ら学びたい学生に対しては、補完的な教育の場も提供しています。2022年度にAI工房を開設し、大学院の授業で使っているGPUサーバを授業以外で学生、教職員がAI学習や研究活動で自由に使用できるように環境を提供し、GPU勉強会やディープラーニング等AIの学習教育を支援しています。本プログラム科目で学んだAIの学習の継続、研究や業務等で利用することを目的としており、本プログラムの特にAIに関して、学生自らが積極的に取り組める環境が整っています。また、データサイエンスやAIを業務とするエンジニアを企業より講師として招き、特別講義を開講することで、学生に実社会の現場の状況を学ぶ機会を与えています。
③ その他様々な取組み(地域との連携、産業界との連携、海外の大学との連携等)
ここでは、地域との連携、産業界との連携、海外の大学との連携について紹介します。まずは地域連携として、立命館アジア太平洋大学(APU)と飯塚市と本学が連携し、グローバル教育や数理・データサイエンス・AI教育といったそれぞれの大学の特性を活かして地域貢献も含めた教育に取組もうとしております。また、カーロボAI連携大学院では、北九州市立大学、早稲田大学と連携して自動車・ロボット・AIを基盤とした教育を実施しており、高専や他大学学部からのインターンシップ生を毎年10〜20名受け入れています。さらに、自動車・ロボット関連企業を中心とした産業界からの幅広い協力を得た実践的な教育プログラムの実施、オフサイトミーティングの実施による就職支援も実施しています。
2007年度より開始した「情報教育支援士養成講座」も地域の教育活性化において大きな役割を果たしています。2007年度〜2009年度の文部科学省「社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム『初等中等教育および生涯学習のための情報教育支援士養成プログラム』」により始めた講座を、2010年度以降も本学の講座として継続実施しています。2007年度〜2022年度の間に、239人の講座修了生に対して「九州工業大学情報教育支援士」の称号を授与し、毎年延べ50回程度、地域の初等中等教育及び生涯学習の現場で情報教育や教育でのICT活用に関する支援活動を行っています。
産業界との連携に関しては、2014年度から産学連携教育審議会を学内に設置し、民間企業の人事部門の要職の方、また、企業経営者の方と本学が取り組む教育改革等に対して意見交換を行い、産業界からの意見収集を年に一度行っています。会議の参加企業は、北部九州の自動車メーカー、産業ロボットメーカー、鉄鋼業、さらには東海地区の自動車関連企業などです。この会議において、数理・データサイエンス・AI教育について説明し、教育改善のための意見をいただき、併せて教材に使えるデータの提供を依頼しています。また、飯塚商工会議所・情報化推進関係機関懇談会で、社会で求められる数理・データサイエンス・AI教育について産業界からの意見を収集し、産業界からの声を教育に反映する仕組みを学内に作っています。
海外の大学との連携については、本学教員がタイ、マレーシア、フランスなどの大学を訪問し、本学の研究および教育を紹介することで留学生の獲得に努めています。特に、2022年度は、本学における数理・データサイエンス・AIに関する教育・研究を中心に説明し、実際に、留学生増加につながっています。また、本学およびマレーシアの公立大学であるマレーシアプトラ大学(UPM)との国際合同シンポジウム(International Symposium on Applied Engineering and Science, SAES)を2013年より開催しており、多くの学生の研究発表の場になっています。
④ 学習効果
学生自身の学習効果の見える化・可視化は、学生が自ら進んで学習を行っていく際にはとても重要だと思います。本学においては、学生の就学状況の継続的な点検・評価や教育の内部質保証に向けて、学修自己評価システムを運用しています。学生は本システムを用いて、授業毎の成績情報の確認と達成目標に対する振り返りを行うことによって、学生自身の学びの改善が可能となっています。一方、本システムに蓄積された学生個々の学習成果の実態を授業科目ごとに集約して可視化し、授業担当者や担当教員グループに情報提供する仕組みとして、コースポートフォリオシステムも運用しており、授業科目ごとの達成目標に対する全履修学生の達成状況や傾向といった実態を把握し、教育効果の分析・評価が行えるため、継続的に授業改善が行える体制が整っています。
⑤ 先進性・独創性
本学では、国際社会で活躍するエンジニア(グローバルエンジニア)を育成するために、日本人学生の海外派遣支援を積極的に進めています。このことは、国立大学法人及び大学共同利用機関法人の第3期中期目標期間の業務の実績に関する評価結果において、中期目標「グローバル化等」の達成状況において最高評価を獲得しています。この海外派遣支援により、多くの学生にグローバルに活躍するために学習する機会を設けています。
その他の独自的な取組みとしては、世の中の課題をITで解決できるエンジニアの育成を目的とした産学連携プロジェクトと題して、KCL(Kyutech Code LAB)があげられます。OB/OGを中心としたエンジニアやパートナー企業と連携してカリキュラム・学習環境をつくり、本学学生を対象とした講座を開講しています。コードを学ぶだけでなく、実際にプロダクトを創り、世の中の課題を解決するところまで、実践的に学習できる講座となっています。このKCLはコワーキングスペースで実施されており、本学戸畑キャンパスでは、イノベーションハブ化を目指し、旧体育館をコワーキングスペースとして改修し、学内に産学連携・アントレプレナーの拠点として形成しています。飯塚キャンパスにおいても、ムアリングの場として、ポルト棟を開設しました。これらのコワーキングスペースは、学生のみならず、地場企業や起業家を目指す人々がオープンに情報交換やディスカッションが行える場となっています。
前述の、学習成果の可視化については、コンソーシアム設立へと発展しています。10以上の大学や民間機関等が参画するコンソーシアムを立ち上げ、産学連携による教育の質保証のためのフレームワーク形成に向けた取組みを主導しています。具体的には、本学の強みである「学修自己評価システム」を題材に、学生の達成度や学習成果を可視化して、教育の質の向上のためのPDCAサイクルを確立することを目指しています。
⑥ 波及可能性
2022年度より、MDASH認定制度を普及展開することを目的とした数理・データサイエンス・AI教育強化拠点コンソーシアムの会員となり、さらに特定分野校(理工農)として、応用基礎レベルの理工系モデルシラバスの作成や他大学および産業界への情報発信や意見交換を積極的に進めております。2023年2月には鹿児島大学・本学共同開催により「数理・DS・AIコンソーシアム ミニシンポジウム」をオンラインで実施しました。コンソーシアム特定分野校として、モデルシラバスの紹介、MDASH認定制度、特に応用基礎レベル教育に対する意見交換を行い、大学における数理・データサイエンス・AI教育の普及・展開に努めております。また、2023年度からは、数理・DS・AI教育推進室を中心に、高等学校における数理・データサイエンス・AIに関する出前講義を始めており、高等学校における「情報」科目から大学における数理・データサイエンス・AI教育への接続をスムーズに行えるためのお手伝いをしおります。また、北部九州地区を主な対象としてSTEAM教育を推進するための部署を設置しており、小中学・高校における教育支援も積極的に行っています。
2025年度の大学入試より「情報」科目が導入され、学部における授業科目の見直しも必要になってきます。また、工学部および情報工学部の改組に伴うカリキュラム変更が予定されており、今後も、数理・DS・AI教育推進室が中心となって、数理・データサイエンス・AIに関するカリキュラムの修正・更新などの整備を続けていく予定です。
関連URL | |
[1] | 九州工業大学ホームページ https://www.kyutech.ac.jp/ |
[2] | 九州工業大学MDASHプログラムおよび数理・DS・AI教育推進室 https://www.kyutech.ac.jp/mdash |
[3] | Kyutech ABC http://www.pluto.ai.kyutech.ac.jp/enpit/ |