数理・データサイエンス・AI教育の紹介
栗本 猛(富山大学 データサイエンス推進センター長)
データサイエンス教育を行うと聞いて、どのような内容を思い浮かべるでしょうか。プログラミング技術や高度な統計学を想定するかもしれません。それらは分野によっては重要ですが、文系理系を問わない一般を対象とするならば必須とは言えません。一方で、どの分野においても何らかの資料を基に仕事を行うのは当たり前のことです。例えば、インスピレーションが重要な芸術的仕事を行うとしても、先人の作品から学ぶことや表現のための技術を身に付けることは大切です。作品や技術も一種の参考資料と考えるならば、それらを有効に活かすことが求められます。データサイエンスの定義を広くとらえて、情報や資料を有効活用するためのノウハウと考えれば、皆がデータサイエンスを学んでくださいと言われても納得しやすいでしょう。本学でのリテラシーレベルのデータサイエンス教育はこの観点を持って計画しました。
政府のAI戦略2019[1]で、文理を問わず全ての大学・高専生が初級レベルの数理・データサイエンス・AIを習得することが目標とされました。これにしたがって本学でもデータサイエンス教育を振興することになりましたが、誰が何をどのようにすればいいのかの手探りから始まりました。新たなデータサイエンス科目を立ち上げるにも人材と時間が不足しています。全学生必修の「情報処理」という教養科目があり、そこで基礎的な内容を学修した上で、あとは個々の学生の志向と専門にしたがってデータサイエンス関連の内容を学んでいくプログラムを立ち上げました。ここで先ほどの「情報や資料を有効活用するためのノウハウを学ぶ」という観点が有効になります。データや文献,資料を利用することは大学での学習において当然のことであり、多くの科目での授業内容にデータサイエンス関連の内容が含まれています。既存の授業を十分に活用し、データサイエンスに関わる内容をこれまで以上に意識することでリテラシーレベルの教育は可能となります。
AI戦略[1]では大学生への教育だけでなく、社会人を対象としたデータサイエンス教育の普及や初等・中等教育での情報教育の充実が求められています。本学は総合大学であり地方大であることの特色を活かして、社会人向けのデータサイエンス教育の普及ならびに小中高での情報教育の推進にも協力してきました。以下、これらについて説明していきます。
本学では独自の「数理・データサイエンス・AI教育プログラム」[2]を立ち上げ、そこに示された課程を修了した学生には修了証を授与しています。全学で実施されている授業科目の中から、数理・データサイエンス・AI関連の内容を含むものを対象科目とし、それらの科目での単位取得状況によって以下のレベルを認定します。
表1 本学数理・データサイエンス・AIプログラム各レベルの修了要件
修了要件のうち、教養科目「情報処理」(2単位)は全学生必修の卒業要件になっています。この科目は単なるコンピュータ実習ではなく、大学生の学修に必要なアカデミックリテラシーを修得するために履修生は以下の内容を行うことが求められます:
1)準備された複数のテーマから1つを選び、そのテーマに関連するデータや資料を文献やWebから収集する。その際には収集資料の信頼性を確認すること(可能なかぎり公的機関の資料を用いる)及び一次資料を用いること(ネットニュースやまとめサイトを引用するのではなく元データにあたる)に注意する。
2)収集したデータを整理し、他者が分かりやすい形で表やグラフにまとめて分析する。
3)分析結果を基に自分なりの考察を加えてレポートにまとめる。この際に感想文ではなく大学生らしいレポートの形になるようにする。
4)レポートの内容をプレゼン資料にまとめ、数名で作ったグループ内で各自が発表を行う。
これらの作業に必要なITCの技術や、電子メールでの作法、データの取り扱い方、統計学の基本知識、ネットワーク利用上のマナーや倫理も学修内容に含まれます[3]。ここでデータサイエンスに関する必要最小限の知識と技術を身に付けます。
「情報処理」以外はそれぞれの学生の専門や志向に応じて科目を履修していきます。本プログラムは2020年度から開始されており、2022年度終了時(プログラム開始時に1年生だった学生が3年次を終了)では、全学生の60%がレベル1を、11%がレベル2を修了しました[4]。今後は年度の経過とともに、ほぼすべての学生がレベル1を、理工系ではレベル2を卒業時には修了できる見込みです。 既存の科目以外にもデータサイエンス関連の教養科目として「データサイエンスの世界」(1単位)と「データサイエンスの実践」(1単位)を新設しました。前者では、各学部から代表を出してもらって、自分の研究分野においてデータがどのように活用されているかの実例をオムニバス形式で講義しています。後者では、表計算ソフト、R、Pythonを用いてのデータ解析実習を基礎レベルで行っています。8コマの授業なのでプログラムを学生自ら作成できるようになるまで指導することは困難なので、こちらで作成したプログラムをツールとして用いる形での実習としています。また、最近注目されている生成系AIに関して、現状を紹介して基本的な使い方を試してみることも行っています。2026年度からは教養科目にも基本的な統計学の授業が新設される予定です。 後で述べる社会との連携に関わる教育として、経済学部におかれたデータサイエンス寄附講座[5]が主体となって行われている実践的な授業があります。本学と日本電気株式会社とで連携協力する寄附講座を設け、データサイエンスの基礎から実際の事例を扱う実践的な演習までの様々な授業を実施しています。実践演習では、企業や行政から寄せられた課題につき、経済学部のみならず多くの学部の教員と学生がともに、データサイエンスを活用して課題を分析して解決方法を探求することで富山の地方創生を促進する商品やサービスを創出することを目指します。2021年度には4企業、2022年度には7企業、2023年度には4企業1行政団体の案件を取り扱いました。年度末には案件毎に状況報告と課題解決に向けた提案の発表会が実施されます。以下は、2023年度の発表会で報告された提供課題です。
図1 データサイエンス寄附講座の概要
■魚津市役所(1)
魚津地域通貨「MiraPay』+「オープンデータ」を利用した地域活性化
■魚津市役所(2)
都市OSを利用した防災対応のために基礎的データ解析
■大高建設
「ICT×無人化施工」による建設DXへの実証研究
■NiX JAPAN
道路異状箇所リアルタイム検知技術の実証研究
■北陸銀行
店舗利用状況改善に関する研究
■アルビス
地域コミュニティの中核機能を目指す戦略策定−2024年度の本研究に向けての課題検討−
寄附講座での活動以外にも、本学データサイエンス連携推進事業では、富山県と富山市の協力の下でデータサイエンス分野における人材育成や関連事業を推進しています。この事業の対象は一般社会人です。その一つとして「データサイエンス特別講座」が開かれています。これはWebで申し込めば富山県内在住の方ならば誰もが無料でオンデマンド配信の形で教材を視聴できるシステムです[6]。これらの教材は本学の教員を講師として作成されました。2024年度の講座内容は、以下のようになっています。
A)現代社会とデータサイエンス
B)今、なぜビッグデータの利活用が注目されているのか
C)社会におけるデータの活用
D)デジタル社会におけるセキュリティ対策
E)データに基づく論理的な考え方
F)データと法・倫理
G)データから情報を得る手法−統計学入門
H)表計算ソフトによるデータサイエンス
I)DX実践ワークショップ
J)統計ソフトRによるデータサイエンス
K)プログラミング言語Pythonによるデータサイエンス
L)機械学習の活用−分類−
M)機械学習の活用−回帰−
いずれも60〜90分の動画であり、自ら選択したものだけを自由に視聴できます。
オンデマンドの特別講座以外にも、富山県、富山市からの補助金で運営している「データサイエンス連携推進事業」では下記にある様々な学習機会が提供されています[7]。
1)ITパスポート試験支援講座(オンデマンド)
2)データサイエンス特別講座(対面・オンライン)
3)データサイエンスセミナー(対面・オンライン)
4)データサイエンス特別実習(対面)
5)DX学修セミナー(オンライン)
6)DX実践ワークショップ(対面・オンライン)
学習指導要領改訂により情報活用能力の育成が強化されました[8]。2025年度には大学入学共通テストの科目に「情報」が加わります。小中高の各学校ではこれへの対応が必要となりましたが、多くの学校で情報関連教育を担当する人員が不足しています。また、どのような授業をすればよいのかという点についても困っている学校が少なくありません。この問題に対し、本学は「富山ICT・DS教育支援事業」[9]として大学院教職実践研究科の方々を中心に県内の学校に向けて情報提供や支援を行っています。県並びに市町村の教育委員会と情報共有し、ニーズにしたがって教員向けの研修、情報関連授業の支援、保護者への情報周知を行います。具体的な活動内容は、以下の通りです。
Ⅰ.ホームページなどによる情報の提供・相談
Ⅱ.教員向け研修等の支援
Ⅲ.児童・生徒向け授業、大学生・大学院生による児童・生徒支援
Ⅳ.保護者向け研修会
新学習指導要領の下、小中高で行われている「問題解決的な学習」や「探究的な学び」の内容がデータサイエンスにどう結び付いていくかを提示する「データサイエンスにつながる学び」というガイドブック[10]を作成し、県内の学校に配布しています。このガイドブックは、2022年度には主に小学校の授業を中心にまとめたもの、2023年度には中学校や特別支援学校に重点を置いてまとめたものの2種類が発行されています。
現在、注目を集めている生成系AIにつき学校教育の場でどのように取り扱い、活用をはかるべきかという点についても冊子「生成AIの学校教育における活用の在り方」[11]を作成し、Webで公開しています。
図2 富山大学の学校教育推進事業概要
本学の数理・データサイエンス・AI教育プログラム」は、2021年に文部科学省の「数理・データサイ エンス・AI教育プログラム認定制度(リテラシーレベル)」に認定され、2023年には先導的で独自の工夫・特色を有するものとしてリテラシーレベルプラスに認定されました。また、工学部並びに都市デザイン学部で実施されているカリキュラムが「認定教育プログラム(応用基礎レベル)」に認定されています。限りある人的資源と教育資産を活かし、できる範囲で数多くの学生がデータ活用の重要性を認識する機会とデータサイエンスの基礎を学べる環境を整えたこと、及び、学内だけでなく社会人や小中高も対象としてデータサイエンス教育の振興に努めていることがリテラシーレベルプラスに認定してもらえた理由と考えています。今後はさらに多くの学部が応用基礎レベルに認定されることが期待されています。(2024年度に経済学部と理学部が改組しました。2〜3年後の応用基礎レベル認定を目指しています。)
情報関連分野は進歩が速く、これまで学んだことがすぐに時代遅れになり、新しい技術が続々と導入されてきます。データサイエンス教育の内容も時代の進歩に合わせて適宜改訂していく努力を続けていかねばなりません。今、注意を向けていかねばならないのは生成系AIの活用についてです。ここ数年の間に生成系AIの本格的な利用が拡がりつつあります。2023年7月に文部科学省から「初等中等教育に段階における生成系AIの利用に関する暫定的ガイドライン」[12]が出されました。大学においても、これを参考にして学生の教育にあたっていかねばなりません。ここで問題となるのは、やはり人材不足です。実用レベルでAIについて教育できる教員はまだまだ数少なく、授業を行うにしても適切な教材や教育方法は手探り状態である学校がほとんどではないでしょうか。本学でも同様の状況であり、現状としては生成系AIに関する利用上の注意を学生に周知することと、現在利用可能な生成系AIのいくつかを紹介することは教養教育の「情報処理」で行っていますが、それ以上のことは一部の学部の専門科目で教えるか学生自身の独学に委ねています。生成系AIに関する教職員向けの研修会が企画され、一部の有志による検討会は行われており、それらの成果を今後に活かしていくことが期待されています。個々の大学だけでの努力には限界があるので、数理・データサイエンス・AI教育強化拠点コンソーシアム[13]が開示しているモデルカリキュラムや教材を活用することが一つの対応策となります。生成系AIに関する教材はまだ少ないので、今後の充実が望まれるとともに、各大学で作成した教材がより多くの学校で共有しやすくなれば状況は改善されるでしょう。