巻頭言

情報教育と21世紀の日本


小川 守正(甲南大学理事長)



 10年ほど前から情報通信関係の技術は革命的な飛躍発展を続けており、21世紀の人類は新しい情報化社会の住人になろうとしている。それについて日本は残念ながらだいぶ遅れをとっているように思われる。
 ところが、ここ100年あまりの歴史を振り返ってみると、日本は何回も色々な面での立ち遅れを急速に克服し成功を収めてきた。これまでの大きな成功はいずれも工業化社会での成果であり、その基盤となったのは初等教育、高等教育の普及の成果だったと思う。
 この成功をもたらした教育の中味は、創造性や個性を伸ばすよりも国全体の平均水準を上げる画一的な知育に重点が置かれたと思うが、それが思いがけなくも技術や制度面でのキャッチアップと工業製品の大量生産経済に大きな威力を発揮したと思う。

 ところが、これからの情報化時代にはそのような教育では対応できそうにない。例えば、少数の英才によって開発されたソフト技術は工業製品のみならず農産物や医療や書籍などの文化財から、果ては行政に至るまでのコストに大きな影響を及ぼしつつある。早急に創造的な仕事をする才を伸ばすように教育の根底を改めないと、21世紀の日本は次第に俯き加減にならざるを得ない。
 こんなことを予想したわけでないが、甲南大学でもここ数年前から情報教育に力を入れてきた。大型汎用機をUNIX系のシステムに変え、情報教育研究センターを設け、文系学生の情報教育も強化した。いま、80%の学生が受講中であるが、そのうちに必修科目にしたいと考えている。

 ところで、情報というものは自然界の産物ではなく、常に変化し躍動する人間社会が生み出すものであるから画一教育では駄目で、明確な目的意識をもち、収集しデータベース化し、加工編集し発信する個性的なものを身につけないと、情報化社会の中にあってその外にいるということになりかねないと思う。そうならないためには時間・空間・距離の制約にとらわれず、様々な情報を一体的に扱えるマルチメディアの活用、特に情報処理に関して自主的な問題設定と創造的なアイデアを生み出せるような教育がもっとも大切なことだと思う。
 こういった努力が大学で、またその基礎となる教育が高校で、独自の工夫を伴ってなされてこそ21世紀の日本を俯く姿勢から頭を上げて前に進むものに形を変えるものだと思う。それが現在の教育の使命であり、その使命を果たすことにより21世紀の日本が輝いたものになることを念じている。


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