生物学の情報教育

生命科学と情報教育


玉岡 迅(東洋大学生命科学部助教授)



1.はじめに

 生命科学(バイオサイエンス)は、微生物から人にいたる生命現象を分子レベルで解明する科学であり、現在では生物学・生理学・生化学・農芸化学・合成化学にとどまらず化学・物理学などとの統合による最先端学術分野として位置づけられる。
 東洋大学では平成9年度から生命科学部を開設し、この分野に意欲を燃やす学生の教育に当っている。入学時のアンケートからは卒業後の進路として進学志向、研究職志向が強く、生命科学の専門家を目指していることが読みとれる。そこで、情報教育でもまずはパソコンの使用法を中心に講義し、ついでこの分野に特徴的な利用法を教授するというカリキュラムを組んでいる。
 新入生にはまずコンピュータに慣れてもらうために、60人収容のPC教室で「情報処理基礎」「情報処理演習」を履修してもらう。これらの講義・演習によりオペレーティングシステムの仕組やワープロ、表計算ソフト、メールソフト、ナビゲーターソフトの利用などの基本的な知識を学生が得られるようにしている。そして、これらの講義とは別に実験実習で得られるデータの解析やグラフ化などで表計算ソフトを使うように指導しており、パソコンの基本的な使用法はみんな最初の1年でほぼ会得してしまうようだ。ここまでは出来合いのソフトを使えるというところまでだが、一般的な意味ではいわゆる情報教育はこれで十分であり、後は学生が個々に経験を積んで覚えていけるであろう。しかし生命科学の専門の勉強がはじまり、必修である卒業研究を行うようになると、どうしても避けて通れないのがインターネットの利用である。


2.生命科学とインターネット

 生命科学という分野の際だった特徴の一つとして、最新のデータがインターネット上で公開されて利用できるようになっているということがあげられる。インターネット以外では必要な情報にアクセスできないか、古いデータしか手に入らない。例えばここ数年、生物の遺伝子情報を解明するために生物の染色体DNAの全塩基配列を決定するというゲノムプロジェクトが盛んに行われており、すでに細菌や酵母などではすべての塩基配列の決定が終了したものがある。この塩基配列にはその細菌や酵母の遺伝子の情報がすべて載っているのだが、データとしては4種の塩基であるA、G、C、Tの文字が延々と何百万も続いているものにすぎず(ちなみに人の場合は約30億になるといわれている)、コンピュータでしか解析できないので配列を印刷し、出版することはほとんど無意味である。これらのデータはコンピュータファイルのままインターネット上で誰でもアクセスできるようになっており、データを直接自分のコンピュータにコピーすることもできるし、そのサイトに用意されて解析ソフトで遺伝子データのさまざまな解析もできるようになっている。誰でもアクセスできるということは、必要なときはいつでも調べておく必要があり、「知らなかった」ではすまないということである。それだけ「情報」ということに関して生命科学という分野は厳しい面があることを学生にじょうずに伝えていかなくてはいけない。
 また専門分野での最新の研究結果は専門雑誌上に発表される。今までは船便でも航空便でも到着するまでは読めなかったものが、いくつかの学術雑誌ではインターネット上で要旨だけではなく、全文を見られるようにしてきている。今のところは数誌が対応しているだけだがインターネット上で発表できるとなれば、発行がどうしても遅れがちになり、配達のタイムラグが必ずある印刷媒体よりもそちらに発表したい研究者が増え、オンライン出版に対応しない雑誌には重要な研究成果が載らなくなるおそれがある。ここでもキーワードはインターネットである。
 現時点では学生のうち希望者のみにアカウントを発行している。すでに約半数の学生がアカウントを持っており、講義時間以外は学生に開放しているPC教室からインターネットを利用してる。ただし、講義などで一斉に使用すると接続速度が極端に悪化することが多い。もちろん相手サイトの方に問題がある場合もあろうが、この辺は主要サイト間の回線の増強などで何とか改善できないであろうか。道路と車、交通渋滞と同じで便利になり、必要になればなるほど利用者が増えて不便になるというのはある意味では必然であろうが、通信回線の整備・増強にはまだまだ不十分である。
 インターネット上でのデータへのアクセスという観点からは生体情報学(Bioinformatics)という講義を組んでおり、ここでゲノムデータベースの構造や設計・運営・保守などについて学ばせる。また多くのデータベースがUNIX上で構築されており、解析ソフトもUNIXのプログラムであることがほとんどであるため、このOSについても入門編が必要になってきた。生命科学では、いくらコンピュータを使うといってもあくまでユーザーとして利用するのであるから、プログラムを組むというところまでの教育はどうしても必要というわけではない。しかし、データの解析のためにはパソコンの表計算ソフトだけでは済まなくなる。そして、ワークステーションを使うときはUNIXなどのOSの知識も必要になる。ネットワークの基礎知識を得るためにもUNIXは良い教材であり、情報教育の一環としてUNIX入門編は不可欠のものではないだろうか。
 学生は卒業研究が必修なので4年生全員が研究室に所属して各自のテーマで研究を行うが、その際に必要に迫られてインターネットを使い始めることになる。講義では基礎知識だけであったものが実践を通じて身に付く良い機会となるはずだ。


3.終りに

 生物学の中で、特に最先端の分野である生命科学と情報教育について学部のカリキュラムやインターネットとの関連を述べてみた。学生の専門家志向が強いこともあり、情報教育の中心にインターネットをおいたものになったが、ここでコンピュータの利用法より大切なことは英語の読解力である。文学的なものではなく実用的なもので、これに必要なものは文法の知識よりも単語力である。カリキュラムの上でも科学英語、生命科学英語があり、これらをあわせたコマ数は情報処理基礎・演習よりも多い。もちろん別に会話英語の講義もある。国際人を目指す・目指さないに関わらず英語を読めなくてはインターネット上の最新データにアクセスできず、専門家にはなり得ない。そういう意味で、生命科学では科学英語の講義も含めて、はじめて真の情報教育になると言えよう。


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