附録
The Virtual University
By Carol A. Twigg and Diana G. Oblinger
A Report from a Joint Educom/IBM Roundtable, Washington, D.C.
November 5-6, 1996
http://www.educom.edu/nlii/VU.html
The document is copyrighted by Educom and reprinted with permission.
翻訳は、米国のEDUCAUSEの許可を受けて広報委員会翻訳資料分科会が行ったもので、今号より3号にわたって掲載します。
他の学生、特に働く成人学生は、彼らの必要とする教育と柔軟性を提供するオンライン学習を選ぶ。オンライン学習によって単科大学および総合大学はその物理的な立地条件を遥かに越えて自らの存在意義をはっきりと伝えることができる。既に何百かの教育機関はオンラインで課程を提供している。これらの経験は時間や場所などに制約された何百万の学習者に教育的機会を与えている。オンラインの経験は、伝統的な手段での教育形式へアクセスできない、またはそれを望まない学習者に適している。オンライン形式は継続的教育プログラムの有用性や遊学的学習者への講義課目をも著しく拡大している。
これはテクノロジーに立脚した教育が対面的教育を完全に駆逐してしまうことを意味するものではない。この二つは二者択一の問題ではないからである。コンピュータに支援された、自己決定的な、電子的に媒介された学習は幾つかの教育機関では有効に働くものの、別の機関ではそれほどでもなく、多くの専門分野の多くの学生にとって有用ではあっても、全ての専門分野の全ての学生にとって有用であるとは限らない。教育機関が未来の大学の創造へと取り組むにつれ、ネットワーク学習が伝統的な地域学習の代替物になる、あるいはそれを補完する最も適切な学習方法となる時期、そしてそれが最も適切に導入される方法を認識する必要が生じてくる。(Oblinger and Rush,1997)
これらの可能性と論点とに対する関心の高まりに刺激され、EducomのNLIIとIBMは、仮想大学についての議論を目的とした45名の見識ある高等教育指導者による円卓会議を開催した。この会議で我々が意図したのは、新しいアイディアと可能性に関する現存の諸構造と諸層から議論を始めることではなく、むしろ未来の高等教育、特に仮想大学の影響を受けた高等教育は如何なるものなのかについての未来像から始めて、その未来において我々自身をどう位置づけるかを決定することであった。ここで我々は、未来においては仮想大学なるものは存在せず、仮想学習の機会やそのための教育機関といった教育環境(Web)が存在するだろう、という前提を立てたことである。1996年11月5、6両日のワシントンでの円卓会議はこれらの論点に関する最初のまとめを検討するのに役立ち、何が可能で何が不可能かについての見解の整理に寄与した。この論文はそれらの討議の結果を反映している。教育機関、企業、政策立案者その他の人々が、この急速に変化しつつある環境内で、彼らにとって望ましい未来を如何に他から区別するかを決定する一助としてこの論文が有効であるかということを我々は期待している。
この論文の構成は次の通りである。
更に、現在の技術関連の学位の有効期間は5年以下であると推定されている。科学、工学、財政、法学などのハイパフォーマンスな職種で必要不可欠な技能は変化してはいないものの、知識の増加のペースが速いために常に知識を更新しなければならない(Verville,1995)。既に学位を一つ持つ学生も、仕事またはキャリアのための技能を改善する学習機会を探している。
これらの職場における潮流は、学位習得プログラムの重視から、修得された能力やモジュール化された学習パッケージ等への重視へと移行しつつ、結果として高等教育のカリキュラム構造の分散化に至るのであろうか。
新しい能力:現在、テクノロジー使用能力は職場において全ての実践的な目的のために必要とされる能力である。それは、むしろ基本的な能力になりつつある。全ての人員の65%は何らかの種類の情報テクノロジーを自分の業務に取り入れている。2000年までには、この割合は95%までに増加するだろう。
自分の業務において単独でも共同でもテクノロジーを用いる能力の必要性は増大している。今日のハイパフォーマンスな職場で必要とされる全ての能力を備えた人間は存在しないため、協働体制が不可欠である。高等教育はこれらの新しい能力の必要性を反映させているだろうか。
これらまたは他の新しい必要性は、我々が高等教育を提供する方法やそのカリキュラムの内容へ如何なる影響を与えるのだろうか。
テレコミューティング:1994年には3,900万人の被雇用者が在宅勤務していた。The National Home Business Associationによれば、その中の2,900万人が自宅を拠点にしたビジネスに就いていたという。2000年までには合衆国の就労人口の50%は在宅で勤務するだろう。テレコムは生活の手段になりつつある。
我々はますます社会全般へのネットワークの浸透を体験している。新入生は構内でネットワークに精通した学生に出合い、卒業生はネットワーク化されたコミュニケーションに更に頼りつつある世界へと移っていく。多くの伝統的な教育機関においても、ほとんどの学生は校舎の外に住み、その一部は自分の学校にネットワークを通じてアクセスする。
この潮流は、立地に基礎を置く教育(大学の校舎)から、より柔軟に学習者の選択(家あるいは職場)へと高等教育活動の主要な立地条件が変化することを示唆するものであろうか。
1994年から2000年までの間に、インターネットの利用者は複利的な成長率(62%)で増加すると予測されている。控えめな推計では今日のインターネット利用者は5,000万人に上るとしている。今後10年間の終わりまでに利用者は10億人以上になり、ネットワーク通信網は電話通信網を凌駕すると予想されている。
今後10年で最も革命的な変化を見せるのは周波数の帯域幅であろう。1990年から2000年までにコンピュータの能力は100倍増加すると推計されているが、帯域幅は800から1,000倍拡大すると予測されている。帯域幅の拡大によって、例えばマルチメディアが家庭へ直接提供されるだろう。
仮想大学のためのテクノロジーの選択に対してこれらの潮流は如何なるインパクトを与えるだろうか
成熟化:テクノロジーが成熟するにつれ、その利用における進化が始まる。新しいテクノロジーが導入されると、その初期の利用に対しては隙間(niche)領域にその価値が見出される。テクノロジー利用の第二段階は、汎用目的のための利用への転換として特徴づけられる。例えば文字処理、電子コミュニケーション、スプレッドシート、グラフィック、そしてマルチメディア等である。この数年間に、パソコンは進化の第三段階、つまり特定の作業のための道具として存在するに至る(Tuller, 1997)。
仮想大学の発達の基礎をテレビよりもパソコンに置いた場合、相対的にどのような利点があるだろうか。
非媒介化:情報テクノロジーは中間的な人々にプレッシャーを与える。コンピュータネットワークは消費者が直接サービスや情報にアクセスする機会を与える。自動預金引出機、旅行情報サービス、または株売買などの間接的な段階を経る必要が無くなる。高等教育においては、財政的援助や期限切れの駐車場利用券などの情報の問い合わせの60%は情報システムによって処理されることが明らかになりつつある。対人的な問い合わせは限られた数になる。
教授の役割と新しい学習環境のデザインの非媒介化へのインパクトは如何なるものだろうか。学生へのサービスへのインパクトはどうだろうか。