新しい統計教育への取り組み
実践性を重視した新しい統計教育
片 岡 正 昭(慶應義塾大学総合政策学部助教授)
1.はじめに
慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスでは、1997年度から新しい統計入門科目「データ分析」を開始した。この科目では、数量データ分析手法の実践的習得を重視してノート型パソコンを授業中に積極的に活用している。加えて、主体的かつ能動的な研究活動に欠かせない、研究の構想からデータ収集と分析、結果の発表に至る研究活動の一連の基本動作を身につけることを重視している。本稿では、この授業の概要と運営の実際、成果および今後の課題について、紹介することとする。
2.新しい授業の概要
「データ分析」の授業は、新入生に数量データ分析のリテラシーを身につけさせ、その有用性を理解させて、より高次な統計学の知識習得意欲を高めることを目標としている。授業では、数量データを利用した研究とはどのような手順で行われるのか、数量データ分析の主な手法にはどんなものがあり、それで何がわかるのかを、パソコンを用いて体験的かつ実践的に理解する。本キャンパスでは9割を超える学生が大学推奨のノート型パソコンを所有しているので、これを教室に毎週持参させて授業を行う。統計ソフトとして安価で操作性がよく、データの視覚的表現に優れたSAS Institute社のJMP INを使用している。
教育内容は、数量データを用いた研究の手順や問題意識の整理のしかた、データ収集の実際、社会調査や実験を実施するときの考慮点といった研究計画の立案や研究の実施に関するものと、さまざまな記述統計手法やグラフ、散布図と相関係数、クロス集計表、平均値の差の検定、主成分分析などの分析手法である。時間配分は前者に4週を充て、5週目からJMP INを利用した教育が開始される。記述統計的手法を教えながら約3週かけてパソコンとソフトの操作に習熟させた後、毎週一つの分析手法を取り上げ、サンプルデータを分析させながら分析の実際を実践的に教えてゆく。
これと並行して、自分の問題意識に沿った数量データによる研究を構想し、研究計画を立て、データを収集し、パソコンを用いて分析して結論を出す期末リポートが出題される。ここでは、学生が習得した知識を活用して主体的に課題に取り組み、数量データを使った研究の一連のプロセスを実際に体験することが重視される。
3.授業の展開
授業ではまず、取り上げる分析手法が何を明らかにするための手法かを、課題例を示しながら説明する。ここで手法自体の解説も行うが、深入りは避けて結果が解釈できる最低限にとどめる。解説はすべて数式を使用せず直感的に理解できるよう、教科書の記述と授業を工夫している。これは、文科系学生が多く、学生の数学アレルギーが強い環境に配慮したものである。続いてJMP INソフトを各自起動させ、プロジェクターに画面を投影しながら操作を指導し、サンプルデータを分析させる。教員は出力の見方を説明し、先の解説ではカバーしきれなかった解釈の理論的なポイントを実例に沿ってフォローする。
この授業向けに編集された教科書には、分析手法の概要やソフトの操作手順、結果解釈のポイントなどが懇切丁寧に記述してあるので、これを見れば初心者の学生が授業についてゆくことに困難はない。JMP INの操作は簡単なので、3〜4週もすれば慣れる。初心者特有の操作ミスに対処するため、教室に上級生のスチューデントアシスタントが複数名配置されており、巡回して受講者を補助している。最後に、演習問題として別のサンプルデータを分析させるか、あるいは宿題として出題し、知識の定着を図る。
講義と並行して、自分の問題意識に従って研究を構想し、自分でデータを収集・分析し、期末レポートにまとめるプロジェクトが課される。プロジェクトは教室で習得した知識を活用する場として重視され、成果物には高い評価のウェイトが与えられる。レポートはソフトの基本操作に習熟した8週目に出題され、約1ヶ月かけてまとめあげる。データは各自が自由に選択した課題に応じてメディアセンターの統計資料や各種のデータベース、自分で企画した調査や実験により収集し、パソコンに入力して分析する。大半の学生はこの種のレポートが初体験なので、スチューデントアシスタントが交代で授業時間外に質問に答える時間を設けてあり、課題の選択やデータの収集、分析、結果のまとめ方の助言を行っている。
4.授業を支えるもの
この授業が円滑に実施できるのは、本キャンパスの先端的なコンピュータ教育環境に加えて、多人数授業を支える制度的サポート、授業の骨格をなす教科書のたゆまぬ改善、そして授業を支えるスチューデントアシスタントの活躍による。
この科目は選択必修科目の一つであるが、実際には新入生約900人のほぼ全員が受講するので、クラスサイズの適正化が重要である。現在、この科目は春学期8コマ、秋学期2コマの計10コマが開講されているが、春学期には受講クラスを指定して各コマの学生数を均等化している。それでも一つの講義に平均100人強の受講者がいる勘定になる。このクラスサイズで実習的な授業を成立させるために工夫されたのが、スチューデントアシスタントによる授業補助と授業時間外に受講者の質問を受付けるデータサイエンスラボ、そしてこの授業のために編集された教科書『データ分析入門』(慶應義塾大学出版会刊)である。
スチューデントアシスタントは、前年度の成績優秀者から選抜して雇用されており、各講義に割り当てられて受講者のパソコン操作を補助する。彼らは授業時間中の補助だけでなく、時間外に交代でデータサイエンスラボに詰め、受講者の各種の質問に対する応答を行っている。これらの活動を通じて、彼らは授業で学生が理解しにくい点や運営上の問題点などを熟知しているので、学期の授業終了後に行われる反省会での彼らの提言は、毎年の授業改善の重要な情報源である。さらに、教科書の改定は授業経験を反映できるよう、ほぼ毎年行われており、その際に彼らは担当教員とともに改定作業の重要なスタッフとして活動する。
5.成果と今後の課題
この新しい授業形態による授業が始まる以前は、本キャンパスの統計関係科目の受講者数は統計学が必修ではない多くの大学同様、低迷を続けていた。しかし、この授業の開始を機に、後続の統計関係科目の受講者数は大きく反転し、全体で2倍に迫る伸びを示した。これは、この授業を通じて数量データ分析全般への学生の関心と知識習得意欲が大きく高まったためと見られる。
この授業が今後も学生の関心を引きつけ続けるには、受講者に数量データ分析の知識習得意欲をかき立てるようなライブな授業をどのように準備できるかにかかっている。そのためには、各教員が授業運営のスキルをさらに磨くとともに、授業中に実例として提供される分析例をより魅力あるものに改善する努力を怠らないことが必要である。
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