特集
情報化時代の教育
Notre Dame Project on Reading について
服部昭郎(京都ノートルダム女子大学文学部英語英文学科教授)
1.はじめに
教材のデジタル化について、京都ノートルダム女子大学のセルフアクセス型英語リーディング教育プログラムNotre Dame Project on Reading (以下N.D.P.R)を紹介する。
2.内 容
プログラムの本体は今のところいわゆるグレイディドリーダー(以下GR)の移動ライブラリーである。言うまでもなくライブラリーの圧倒的多数は本であるが、いくつかのマルチメディアテキスト(以下MT)も提供されている。このレポートは、まずN.D.P.R. のアイデアを簡単に説明、次に教材としての本とMTの媒体比較を視野にいれつつMTに対する学習者の反応、観察される教育上の効果、あるいは導入プロセスでの課題等を整理するものである。
ベーシックな英語能力は身についていると考えられる学習者が満足に英語を読めないとすれば、そのネガティブな原因は読む量が少ないことではなかろうか。そして量を増やせない語学的な一因が低い語彙能力であることは間違いない。学習者はテキスト中でわからない語に遭遇すればするほど、読みを持続できなくなる。結果として、テキストへのアクセスが自然と減少する。
読みは言語の問題なのかどうかは別として、少なくとも語彙という語学的な要因がopen-endedな認知行為であるリーディングの訓練を妨げていると考えられる。語彙数をレヴェル別に制限して学習者の語彙面でのリーディング意欲喪失を回避させているのがGRである。実際のライブラリー運営、学習者のレヴェルアセスメント等については、ここでは省く。
提供されているMTに注目してみよう。MTの構造は言うまでもなくハイパーテキスト(以下HT)である。HTが要求するリテラシーが何かは別の課題だが、リーディングの教材としてHTはある意味で理想的であることはほぼ異論のないところであろう。テキストを主軸にしつつ、辞書による語彙サポート、背景的知識やdecodingサポート等、学習者へ様々なサポートインターフェースを用意できるからである。
GRの性格上、学習者がその読む能力を的確に把握していれば、語彙サポートはそれほど必要ではない。しかし、異文化間情報等がHTとして提供されれば、読むスピードが不自然に落ちることなく、背景的知識がサポートされる。インターネットの普及によってこのHTは人々の間で、ごく日常的に存在するテキスト構造となったため、学習者がMT のテキスト構造自体に違和感を持つことはほとんどなくなっていることも、MTの可能性に大きく寄与している。
3.今後の課題
このMTに対する学習者の反応は、媒体に対する物珍しさ、ホームページへの親近感等によって概して積極的である。しかし、ライブラリーという環境が、過剰なリソースから、利用者が好みや必要に応じて対象を選択するところであるとすれば、このMTの数が少ない現実はいささか窮屈である。N.D.P.Rの場合約300タイトルの本に比較して、ライブラリーが提供しているMTは、今のところその2パーセント弱の5タイトルに過ぎない。この比率にはそれなりの訳がある。一つはコスト、もう一つは供給量である。コスト比は約1:10、供給量比で言えば、おそらくもっと極端な比率となるはずだ。
学習者の多くがGRを通学電車の中で読む、と言っている。こういう習慣をMTはどのように克服すればいいのだろうか。手軽さでは本にかなわない。Ebookの可能性を考えるべきだろうか。そして多くのMT経験者が一様に「疲労感」に言及する。第2言語リーディングが消費する注意力は、本の場合にも相当量に達することは経験的に十分予想されるが、MTの場合、質的な違いもあるとは言え、この量がはるかに大きいのではないだろうか。
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