特集
情報化時代の教育
経済原論および研究室のデジタル化の教訓
緒 方 俊 雄
(中央大学経済学部教授)
1.大学教育改革と教育負担
私の勤務している経済学部の教育改革では、米国のような入門・基礎・応用というレベル別の経済原論を学年別に設けた。それに、小人数教育としてゼミを2年次から始めて3年次および4年次と3年間の「専門ゼミ」を設け、卒業論文を指導する体制にしてきた。また、小生の場合「ビジネス・インターンシップ(企業研修)」(専門4単位科目)の指導(講義)と夏季期間中の研修企業先への引率を含めると、学部では週6コマを担当している。加えて、大学院の前期後期の指導で3コマであるので、合計すると9コマの担当になる。大学の教育改革の結果は、全体として予算制約から新任者が増えずに担当コマ数が増加するので、既存の教員一人当り教育負担が増加、あるいはその分だけ貴重な研究時間が減少したというのが実情である。
2.双方向教育の充実と情報技術(IT)の応用の動機
このような中で、講義の度に教壇に集まる学生の質問にも、学内外の会議等の理由で十分応えてあげることができず、また空き時間に「オフィス・アワー」を設けて学生を研究室に招いて質問に応えようとすると、隣近所の研究室から騒音がうるさいというクレームがきたり、制度化されていない「勤務」を皆と足並みを揃えずに行うことによる教員間の摩擦が増えるという現象が起きる。
数年前に経済の情報化とGII(世界情報基盤)の研究で、米国の「シリコンバレー」および「シリコン・アレー」の現地視察、およびスタンフォード大学での学生セミナーを実施した。米国の情報化を目の当たりにして、情報技術を活用して問題解決を図ろうと考えたのが「研究室のデジタル化」の直接的な動機であった。その結果、素人ながらも「研究室ホームページ」を作成し、そこに1)研究室プロジェクト、2)講義情報・講義レジュメ、3)ゼミ学生・大学院生・卒業生のコーナーを公開した。おかげで、小生の専門に興味を持つ外部の多くの人と研究上および教育上の意見交換をする機会を持つことができた。あるときは、交通事故で休学した学生が病院から講義情報で継続して勉学ができたという感謝のメールをもらい、努力が報われた思いであった。しかし、現在では後悔している面もある。
3.大学の社会的使命と「研究の発展に基づく教育改革」の提案
前述の研究室ホームページ作成にあたっては、ゼミ学生を巻き込んで「編集委員会」を組織したのであるが、編集に熟達した上級生は毎年卒業してしまい、春になると下級生を最初から指導しなければならなくなる。その指導に再び時間がとられてしまう。そして更新が定期的に行えなくなると、今度は外部から苦情のメールが殺到し、それに一つ一つ言い訳の返信を返さなければならない始末である。
最近C.サウアーの「情報システムはなぜ失敗するか」という本を読んで気づいたことは、教育者・教育研究支援者(情報メディアセンター職員・TA・RA等)・情報技術者(SE等)の三つの方程式を有機的に組織化(分業と統合)し解明しないと、情報研究のプロパーでないかぎり、必ず失敗するということである。その失敗を避けるためには、大学教育者に教育研究予算を確保して情報機器を与えるだけでは十分ではなく、有効な教育研究「支援者」を制度的に確立することが不可欠だということである。私の教育・研究のデジタル化の教訓は、科目制大学の個人の研究体制では、このような方程式は解けないだけでなく、本来の科学研究者としての時間を失うという意味で、自らを苦しめる行為であるということである。大学の教育改革は、大学の社会的使命である研究の発展に基づく教育改革でなくては、日本の将来の学問教育が問われると思っている。
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