地理学の教育における情報技術の活用
自然地理学における教育・研究の情報化
野 上 道 男(日本大学文理学部地理学科教授)
大学における教育では、共に研究を行いながら、その過程で学生に技術や知識、考え方を伝える。諸科学の情報化の傾向はますます加速されているがこのことは変わらない。
1.地理情報
地表に分布する事象・現象をモデル化したものが地図である。1960年代から始まった地図の情報化は著しい速さで進行し、地図の世界は大きく変容した。コンピュータで地図を扱えるようになったため、応用分野も急速な拡大を見せている。
一般に位置と結びついた各種情報の総体を地理情報と呼び、それを扱うソフトウェアの体系全体を地理情報システム(GIS: Geographical Information System)という。地理情報は主として地図と統計という形で蓄積されてきたので、それらをコンピュータで扱えるかたちに変換することから始められた。基本的な地図(例えば5万分の1地形図)や気象統計(測候所観測データ)・社会統計(例えば国勢調査成果)の作成は国の業務であり、それを電子化する事業も同様である。多くの場合、研究者といえども一次的なデータの生成者ではなく、利用者であることが多い。
しかし、直ちに実用を目指さない学術研究の場合には、いつも包括的な大量のデータが必要なわけではない。むしろ手作業で取得できる程度の大きさのデータを用いて、データ取得から分析処理・結果の表示までの研究方法の検討を行うことも重要である。
2.一次データ取得の実例
上記の例として、卒業研究や学位論文研究で私が指導にかかわってきたテーマの一つである、都市域のヒートアイランドとクールアイランド現象の研究を取り上げよう。
一般に都市域はアスファルトやコンクリートに覆われているため、弱風下の夏の日中などには蒸発が少ない分、日射によって砂漠のように高温になる(ヒートアイランド)。しかし公園のような緑地では蒸発散による気化熱の分だけ周囲より涼しくなり、市民の安らぎの場(オアシス)となることが期待されている(クールアランド)。
卒業研究や学位論文研究は、個人あるいは少数の協力者で行われることが多い。したがって公園やその周辺に、等温線図が描けるほどに十分な観測点を設置することができないので、移動観測によって気温分布を調査する。観測範囲のスケールに応じて、徒歩・自転車・車などで移動しながら、位置と気温値のセットデータ(すなわち地理情報)をなるべく短時間のうちに多数取得する。位置としてはGPS出力を(デファレンシャルモードでないと精度が良くない)、温度はサーミスタ(デジタル)出力を携帯型パソコンに取り込む。観測者は迅速な移動にだけ専念すればよい。観測結果はGISソフト(市販品の代表ArcViewなど)に取り込み、その機能の一つ「不規則に分布する点の値を用いて等値線を描く」を用いて地図化することができる。
3.発見的研究
二つの事象の空間的分布がほぼ重なっていることが「発見」されたとき、他人のそら似には注意しなければならないが、多くの場合、二つの事象は共通の原因の結果(兄弟)であるか、因果(親子)関係にあるかである。自然環境のような複雑なシステムに対しては「演繹的」や「分析的」研究だけが有効なのではなく、分布に関する事実の「発見」が研究の第一歩であり、因果論が無力な場合には、分布分析がそれに代わってその後も重要な役割を果たす。
2枚の地図を見比べて読むだけで多くの事象の関係を「発見」できるのであるから、コンピュータ処理で、複数の数値地図の空間相関分析を行ったり、それらを組み合わせて新たな情報を導出したりすることのメリットは計り知れないものがある。もちろん1枚の数値地図でも、GISによって縮尺(解像度がこれに相当)や凡例(閾値)を利用者が自由に変更して読める。印刷地図の場合と比較すると、この利点が明白になる。
自然地理学の調査・研究は、いつでも新鮮な「発見」の喜びを与えてくれる。学生が自らこの喜びを味わえるようにし向けること、これが教育の原点である。
4.リモートセンシングと現地調査
人工衛星によるリモートセンシングでは、波長帯ごとの反射強度データを重ね合わせることで、新たな情報(土地被覆など)を得る。雪や水はもちろんのこと、植生の検出には特に有効である。30億年もの間ほとんど変化しなかったらしい放射分光特性を持つ太陽光のもとで生まれた生命物質(クロロフィル)が特異な分光反射特性を示すからである。
可視と近赤外の反射強度の比から植生の分布密度や活性度を示す植生指標が計算される。時期の異なる植生指標図を用いて、新緑や落葉のような植物季節の変化をアニメーション化して観察することができる。例えば、1年24枚のパラパラ漫画のようなアニメでも、ナイルデルタの2季作や華北平原の冬小麦の収穫(6月)が観察できる。また首都圏西部多摩丘陵における20年間の緑の減少を示すアニメなども、開発の面的進行が読みとれ、感激的でさえある。変化する地図はアニメで観察すると得られる情報量が急増する。人間も動物であり、動く物に対して敏感だからであろう。
マンガ世代の若者たちはビジュアルなプレゼンテーションに親しみを感じている。授業でこの動く分布図の教材を用いると、それだけでその種の研究をやってみたいと言う学生が出るほどである。アニメと研究は別の世界のことと思っているので、新鮮に見えるのであろう。
リモートセンシングは広域にわたり、同一の規格で、時間的に規則正しく繰り返しデータが得られる。目で見える狭い範囲の、主観的なあるいは観察者ごとに基準の異なる観察とは大いに異なるところである。それではリモートセンシングだけで現実が正しく捉えられるかというとけっしてそんなことはない。リモートセンシングデータや数値地図を現地と照合することをグラウンドトルース調査という。われわれが知りたいのはあくまで現実の世界のことであって、それから切り離された情報の世界のことではない。
現地における観察や観測は依然として重要であり、リモートセンシングは人間による観察や観測の制約を越えた新しい調査手段であると理解すべきで、それだけで完結した研究分野ではない。自然地理学における現地での観察や観測は楽しい。これはそのような実習に参加する学生を見ていればすぐ分かることである。情報科学だけの世界に閉じこもらないように、自分の研究と学生への指導を楽しんでいる。
筆者のホームページ
http://www.lapgis.chs.nihon-u.ac.jp/nogami/index.html
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