物理学の教育における情報技術の活用
松浦 執(東海大学開発工学部沼津教養教育センター助教授)
筆者の物理学の授業でのWeb体験は、Javaアプレットなどを動く黒板として使うことでした。その後、学習活動の共有、そして学習者個別の弱点項目抽出とアドバイスによる個別学習支援の試みへと発展してきました[1]。現在、Web学習サイトは授業時間外の学習の補強に用います。実際の授業では、演示実験や、手書きでの演習とその指導など対面性を生かします。
さて、物理教育にWebやマルチメディア教材を生かせるでしょうか?現在の大学新入生が物理のWebコンテンツを学習して、学力が上がるのでしょうか?本稿では、物理でもe-Learningを導入するかどうかの岐路に立たされている方と気持ちを共有して、少々後押しをさせていただきたいと思います。
ぜひ作ってください!中高生も社会人も、いまや分からないことはまずネット検索です。インターネットは身近な巨大図書館です。その図書館にぜひ「より分かりやすく、より適切な」知識を刻み込んでください!
e-Learningは、リメディアル教育をはじめ、いわば知識レベルの補強をするために用いる。そして、大学の教室・研究室では直接に人とコミュニケーションして創造的な学びに集中する。良い考えです。でも学習インフラとしてe-Learningのコンテンツ作りはつらい。
もしそんな組織的活動を担当していないのなら、系統的でなくても「一隅を照らす」小規模コンテンツを作って公開してください。ネット上に良いコンテンツがあれば、必ずそれを見る人があり、それを反映して新しい教科書も生まれます。マサチューセッツ工科大学で公開されているコースウェアをご存知の方は多いでしょう[2]。こんな教育が行われているということで大学の宣伝にもなり、また新たな教材への発想を生むきっかけを提供します。
授業で映写して使う、画像や図形も含める、という場合に便利なのは定番のPowerPoint、数式エディタとして例えばMathType[3]です。遠隔授業で用いるような、講師の映像とプレゼンテーションを同期配信するソフトウェアでも、プレゼンテーションにはPowerPointしか使えない場合が多い。Microsoft
Producer[4]という無償ダウンロードできるソフトを使えば、PowerPointと、別に撮影した実験などのビデオと同期させたビデオレクチャーをつくり、簡単にストリーミング配信までできてしまいます。
授業のときにシミュレーションを使うと、受講生の興味を引く手応えがあります。動画やシミュレーション、ビデオまでも含めて凝りたい場合はMacromedia
Flash MXがお奨めです。Flashでは、Action Script[5]というオブジェクト指向プログラム言語を用いて初等的な物理のシミュレーションを作成することが可能です。でも一から自分流でやるならJavaです。3Dが不可欠ならJava3Dです[6]。
教材の教育効果を高めるため、Webを利用して個別学習支援をするとします。しかし個人では、データベースやWebアプリケーション開発、サーバ管理と、「物理以外」の仕事急増です。筆者は学習支援システムを個人的に構築してきましたが、その作業のためにコンテンツ制作が遅滞します。コンテンツがある程度以上充実していないとシステムの効果も伸びません。学びの核心はコンテンツの内容です。
組織的にe-Learningに取り組む場合には、専用コースウェアを導入して、教員は教材作成に専念することになります。残念ながら筆者は、理工系に特化したコースウェアというものは知りません。世界的にかなり普及し、日本にも導入されユーザー会もあるWebCT[7]をはじめ、様々なものが開発されています。大学ではだいたい対面講義の補完として用いられる方向でしょう。
コースウェアを利用する場合、ベンダーによって異なる規格があり、ドリルの作り方もある程度制限を受けます。米国政府主導のもと、高等教育の情報化を目指したAdvanced
Distributed Learning(ADL)Initiative[8]という組織が作り出したSharable Content Object Reference
Model(SCORM)[9][10]などのような、教材とLMSとのやり取りの仕方の標準化を目指す動きがあるので、ある程度意識しておいたほうがよいかもしれません。
システムはまだ「知性」を持っていません。学習者の学習状況や意識、履歴をもとに知性的な診断・判断をして、適切な支援を展開できるかということです。CAIの勃興後は、学習者をモデリングして、人口知能により診断的アプローチをするIntelligent
Tutoring System(ITS)の研究[11]が盛んになりましたが、現場にはあまり見られません。最近では、協調学習の考えによるComputer
Support for Collaborative-Learning(CSCL)が注目されました。物理学の学習支援の方法論についても、今後研究が進み、様々なレベルで効果的な学習支援が実現していくことを期待します。
Webサイトの掲示板に議論を書き込ませ、それに対し教員がコメントをつけ、最終的に評価するといった実践があります。受講者は自宅などでかなり一生懸命考えるそうです。多人数を相手にするのでなければネットワークを利用して緊張感ある学習が展開できそうです。
適当な関係式を見つけて当てはめる、といったパターン化された学習習慣のもとで、意味を考える作業を欠落させていると、中学で習う知識で答えられる質問にも全然言葉が出てこない人がでてきます。身の回りの題材などについて既習知識で理解できるはずの質問をすると、案外答えられなくて、学習者の学習動機付けに有効のようです[12]。
物理の初学者向けには、非常にやさしい知識確認ドリルを数多く演習させることも良さそうです。例えば電磁気では、電荷の正負によって電場から受ける力の向きが逆になります。こうした関係は初学者には非常に紛らわしく、しばしばその後の学習全体で理解の障害になります。そこでドリルで慣れてもらうわけです。これはWebに向いています。やさしい四則演算や音読が脳の血流を高め、前頭前野の活動を高めるという研究もよく知られています[13]。
問題をイラストレーションをしながら解読する、複数の数式を書いたり組み合わせたりする。物理には不可欠な作業ですがWebには乗せがたい。手で書いて展開するというハンドクラフト的な作業には大きな意味がありそうです。
初めての受講生に答案を書いてもらうと、頭の中でかなりの処理をして、何とか早く答えらしき数字を出そうとして、解決プロセス不明の表現をします。学生自身にもミスが発見できません。教員側も、答案からその学生がどこで躓くか特定できません。
筆者は、答案作成の「型」を受講者に実践してもらっています[14]。代数方程式での論理的な解決(step1)、単位を略さず数量を代入して計算(step2)、SI単位系、有効数字に直して解答(step3)。この型を練習すると、6、7割の人が、表現の精度が上がり、計算の確実性も向上していると感じてくれるようです。そして、各ステップを対話的に実行するようなコンテンツが作れるので、Web上でも実践的な指導が可能です。
学生は様々な局面で「かたちになる学習」を求めます。明快な展開の板書。それをきれいに写して、後から見て形になっているノート。演習問題もきれいに解けること。解けなくて不満が残ると、いやな記憶として忘れられます。
そのような、全体を整えるような側面と同時に、もう一つ目に見えない「かたちになる」があります。絵を上手に描けるようになることと、自転車に乗れるようになることを比べて、右脳を積極的に活性化して絵を描く練習をする、というメソッドを解説した書物があります[15]。物理は非常に論理的だから活性化するのは左脳です。でも、物理の学習も総合的に考えると、初等的な段階では自転車に乗れるようになることと共通するものがある気がします。学ぶ人が、うまく「型にはまる」と、それ以降一定程度はすいすいと走れるようになります。初等的な教育の段階ではそれで十分です。この指導の勘所を今後より明快にできればと思います。
参考文献および関連URL | |
[1] | http://nkiso.u-tokai.ac.jp/phys/matsuura/ |
[2] | MITオープンコースウェア, http://ocw.mit.edu/OcwWeb/Physics/Physics
8.02 Electricity & Magnetism, http://evangelion.mit.edu/802TEAL3D/ |
[3] | http://www.mathtype.com/jp/ |
[4] | http://www.microsoft.com/japan/windows/windowsmedia/technologies/producer.aspx |
[5] | C.Moock(著), 大羽・若松(訳):Action Script. Vol.2, オライリージャパン, 2003. |
[6] | http://java.sun.com/products/java-media/3D/ |
[7] | http://www.emit-japan.com/ |
[8] | http://www.adlnet.org/ |
[9] | SCORMをe-Learningできるサイト http://www.jcasolutions.com/SC12/home.html |
[10] | 日本のコンテンツ制作会社のサイトでのSCORMの解説 http://satt.jp/tools/tech/illust.htm |
[11] | K. D. Forbus and P. J. Feltovich (Eds.) : Smart Machines in Education. AAAI Press/The MIT Press, 2001. |
[12] | 谷村省吾: 大学の物理教育. 2003-2, 72, 2003. |
[13] | 川島隆太: 自分の脳を自分で育てる. くもん出版, 2001. |
[14] | 松浦 執: 形の科学会誌, 18(2), 211 (2003). |
[15] | B. エドワーズ, 北村孝一(訳): 脳の右側で描け. エルテ出版, 2002. |