物理学の教育における情報技術の活用
満田 節生(東京理科大学理学部助教授)
近年の情報通信技術(IT)の進展は「遠隔講義」に代表されるような新たな教育形態を生み出していますが、「対面を前提とした従来の授業形態におけるIT活用では、どのような教育改善が可能か?」という視点から、所属する物理学科での担当科目の中で典型的な3種類の授業形態(対面講義・学生物理学実験・演習)を有するものについて、ファカルティディベロップメントの一環として、IT活用を数年ほど試みてきました。
http://nsmsxserve02.ph.kagu.tus.ac.jp/LabWebTarget/Education/Lab_Education.html
本稿では、その中から主に「演習授業形態」についての経験を学生からのアンケート結果に触れながら報告します。
2001年度まで担当した物理学科1年生必修科目「物理学」では、物理的イメージを持ち直観的な理解を得ることが重要な「振動・波動」の分野における物理現象について、Mathematicaでシミュレーションした動画教材(QuickTime Movie)を閲覧できるよう授業支援Webページを作成しました。授業中の補助教材、授業後の復習教材として提供し、いわば「動く黒板」を導入することにより、従来の「黒板に図を描く」や「プリントを配付する」方法では十分に伝えることのできなかった要素をある程度は伝えることができたという感触を得ました(前記Webサイト内の「物理学(振動・波動)[2001年度]アンケート結果」を参照)。しかしながら、この試みを通して最も感じたことは「授業者が準備した動画教材を学生が見て理解を深めることは確かであるが、むしろ学生自身が自ら動画教材を作ることに挑戦する過程で、より深い理解が得られるのではないか?」ということで、それが「対面講義形態」と異なり、学生側からの働きかけが期待できる「演習授業形態」でのIT活用を試みる動機の一つになりました。
物理学科にはコア講義科目(電磁気学・物理数学・量子力学・統計力学)と連動した細やかな演習が用意されており、あらかじめ各演習問題を担当する学生を指定し、OHPによる口頭発表を基本にしています。しかしながら、問題解答を発表する担当学生以外は受け身になりがちで、演習時間は写し出されているOHPをノートに記録することに専念するために、発表に対する議論を通して、より深い理解を得るスタンスからはほど遠い状況にあることが珍しくありません。このような状況を踏まえ、教師と学生、学生どうしが直接顔を合わせることの重要性がIT社会においても決して薄れない、かつ理工系では重要な位置を占める演習授業形態として、2002〜2003年度に担当した電磁気学演習(2年生:〜30人)の中で、以下の3点についてIT活用の試みを行ってみました(前記Webサイト内の「電磁気学演習(C)コース[2002年度]アンケート結果」を参照)。
図1 物理学(振動・波動)の授業支援Webページ内の動画(例)
(1)OHP原稿の事前電子配信
口頭発表で用いられる発表者の作成するOHP原稿を演習時間の2〜3日前に演習参加者全員に事前電子配付し、口頭発表で示される内容を演習参加者が事前に吟味し活発な議論のできる環境を整備しました。当初はFAX&Mailといった「スキャナー + メール配信」装備を用いて教師の手を煩わすことなく、口頭発表予定者自身が原稿をスキャンし、単純なパネル操作でメーリングリストに従い演習参加者全員にメールの添付ファイルとして配信する方法を想定しましたが、学生にオープンにする配信装備が第三者に悪用される可能性があること、学生側ではメール添付配信よりWeb配信を希望する声が圧倒的に多かったことから、毎週締め切りまでに出された原稿を教師がソーター付きスキャナーで一挙にPDF化し、Webサーバ上に置く方式を取りました。ほとんどの学生はこの「事前電子配信」を有効であるとアンケートで回答していますし、教師側から週1回の演習時間以外に何か教材マテリアルを配信したいときも有効に活用できたと思っています。
(2)電子教材マテリアル作成(学習効果デザイン)
「どのような内容を、どのような電子教材マテリアルとして与えることにより、何をより深く理解させることができるか?」といった学習効果デザインを考えて、Mathematicaなどのツールでシミュレーションされた図・動画の教材作品を学生が自ら作成し、電磁気学演習授業支援Webページに提示させることを奨励し、学生がWeb教材の開発に参加する形で、従来のOHPだけでは得られない教育効果を演習形態授業に導入することを試みました。Mathematica(学内でサイトライセンス使用ができる)よりは自宅のPCでも継続的に作成できるJavaアプレットによる作品が多く、中にはかなり高いレベルの「学習効果デザイン」がなされた作品も出て来ましたが、種々の困難(ITスキル、内容の理解不足、学生にとっての対投資効果[時間vs単位])により、少数の学生に限られました。しかしながら、うまく導入すれば電子教材マテリアル作成は有効であると学生は認識しているようです。
(3)演習課題の電子会議室(「場」の共有)
活発な議論のできる環境整備ができた一方で、文系におけるIT活用では当然になっている時間と空間の制約を超えた「場」の共有が、1対多の知識伝達で満足してしまう理系のクラスではいかに難しいかを実感しました。平成14年度に受けた、メディア教育開発センター(NIME)での「Webを活用した学習環境デザイン研修」では、広い分野からの教育実践における「場」の共有ついての報告がありました。それに刺激を受け、簡易Web掲示板(書き込み時にメーリングリストに沿った通報機能付き)を置き、演習問題について、Web掲示板における学生からの質問に学生と先生が答える形で、個人レベルの知識習得に終わらない「場」の共有を試み、文科系では活用されているグループダイナミクス(集団の討議により個人では到達しえない見解や意見を新たに生み出すことができる可能性)を引き起こすよう教師側でコーディネートしました。しかし、図・動画・アプレット等を容易にアップロードできない文字情報に限られた簡易Web掲示板の技術的限界(掲示板では1コメントごとにWebリンクを一つ張ることができ、インターネット上にある参考資料へのリンクが可能)と学生の積極性およびITスキルの幅広い分布がある問題から、クラス全体としては必ずしも十分な効果が見出せませんでした。「議論する場」の有用性を学生は感じており、その実現の仕方を十分に検討する必要があることを感じた一方で、学生が議論の場に、インターネット上に見いだした通常のテキストでは得難い資料(吟味する必要はありますが)を提示していることが印象的でした。
図2 電磁気学演習Webページ内の電子会議室コメントチェーン(例)
試みを行った演習授業形態を持つ「電磁気学演習」は、対面講義形態を持ち親講義である「電磁気学」と教育内容を共有し補う存在として位置づけられてきましたが、IT活用を推進することにより、より融合した関係を持つ授業形態に変わっていくと予想されます。そこでは、「教師と学生、学生どうしが直接顔を合わせる『場』」と「IT活用により生み出された時間と空間の制約のない『場』」を、どのように有効に使い分けていくかが極めて重要になると思っています。