特集 教育ミッションとIT化(3)
全e-Learningによる大学通信教育課程の実践
〜早稲田大学〜
西村 昭治(早稲田大学人間科学学術院助教授、eスクール教務担当教務主任)
1.はじめに
2003年9月末時点で、ブロードバンドのユーザー世帯数がおよそ610万世帯になりました(総務省報告)。このブロードバンドの普及により高品位のオンデマンド授業の配信が容易になる一方で、早稲田大学はデジタルキャンパスコンソーシアム等の試みでオンデマンド授業や衛星通信を利用しての遠隔講義などのノウハウが蓄積されてきていました。従来の通信教育は、テキストを読んでレポートを作成・提出するという仕組みを用いたものが主でしたが、早稲田大学人間科学部の通信教育課程ではより通学制に近いシステムを用いています。本稿では、このeスクールの開設の趣旨から始まり1年間の実践結果の概要を記します。
2.eスクール開設の趣旨
「環境」「健康・福祉」「情報」に関わる問題意識は、社会人一般に共通であると思われます。特に、職業人として、あるいは家庭を守る立場の者としての問題意識は実際に積んできたさまざまな経験ゆえに高等学校の生徒に比べて、より深く、より切実なものであると考えられます。その一方で、その問題に立ち向かうための手法を学習する機会は限定されていました。インターネットへのブロードバンド接続の普及は、自宅に居ながら、いつでも好きな時間に、授業に参加することを可能にしました。このインフラストラクチャーを利用することで、「環境」「健康・福祉」「情報」に関わる高い問題意識を有する社会人に、問題解決のための学術的、技術的手段の学習の場を提供することが可能となってきました。
早稲田大学は創立のわずか4年後の明治19年、正規学生以外の校外生を対象に「早稲田講義録」を発行を開始しました。「早稲田講義録」は昭和30年代まで刊行され、270万人がそれで学び、その中には津田左右吉など本大学や日本を代表する著名な研究者・学者も数多く含まれています。各地で開催された「巡回講話」と並び創立以来の本大学の取り組みは、我が国の生涯学習の歴史に特筆されるものといっても過言ではないでしょう。その創立以来の生涯学習への積極的な取り組みをこのインターネット時代に復活させるべく、人間科学という生涯学習にふさわしいテーマを持つ人間科学部に、教育の機会を全国に拡大することを目的として、通信教育課程を開設することにしました。
3.教育の方法
カリキュラムは基本的に通学制のものに準じ、およそ80名の人間科学部の専任教員すべてが講義科目を1または2科目、実習科目、演習、卒業研究を担当しています。科目数はおよそ200科目に上ります。
eスクールでは、従来の添削指導という紙ベースの通信教育手段ではなく、個別の学生に直接対応する教育コーチ(メンター)と担当教育のティームティーチングによって授業(クラス)を運営しています。そして、およそ30名の受講者に対し1クラスを構成し、1クラスに対し教育コーチ一人を配置しています。すなわち受講希望者が多ければ、それに比例する形でクラスを増設するわけです。教育コーチは担当科目分野を専攻した修士号既得者とし、採用にあたっては早稲田大学人間科学部の教授会の承認が必要なものとしており、教育コーチの研修や人事管理は早稲田大学が出資している早稲田大学ラーニングスクエア株式会社に委託しております。教育コーチは質疑やレポートをとりまとめ、科目を統括する担当教員に伝達します。担当教員は質議に関するアドバイスを教育コーチに伝え、それをもとに教育コーチは受講生の質問に回答したりしながら授業を進めていきます。現在登録されている教育コーチの数はおよそ70名です。
4.授業システム
通学制での授業風景を教室で収録したりスタジオで収録した授業を編集し、デジタル授業コンテンツ(動画像の部分のサイズは400×300ピクセル、15フレーム/秒、消費帯域幅384bps)としてストリーミングサーバ上に置かれます(図1)。
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図1 授業コンテンツ例 |
また授業コンテンツとともに、電子掲示板システム(BBS)と課題提出システム、資料配付システム等授業を運用する上で必要な機能が付属します。また、クラスごとに一人の教育コーチを配置しBBS討議の取りまとめ、レポートの添削指導を実施します。
eスクールでは、学生の成績管理およびその活用について、早稲田大学独自の遠隔教育システム(On-demand Internet Class: Oic)を活用しています(図2)。そしてOicで管理される学生の取得講義等の個人別情報を教員・教育コーチが活用することが可能です。セメスター制をとるため、少なくともセメスターごとに個々の学生に対しての形成的評価を行うことが可能となるとともに、きめ細かい指導を行うことができます。
具体的な成績評価ついては、BBSの投稿等授業参加のアクティビティやオンラインによるレポート、オンライン試験をもとに行うので、受講者はほとんどの場合在宅のまま評価を受けることができます。
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図2 Oic画面例(情報数理学) |
5.実施1年後の状況
2003年度の入学者数は人間環境科学科40名(60名)、健康福祉科学科85名(124名)、人間情報科学科44名(72名)でした(カッコ内は志願者数)。入学者の職業別分布は図3のようになっており、また図4の年齢分布と合わせて考えるとその8割以上が社会人であることが分かります。eスクール当初の目的である社会人対象の生涯教育にマッチしていると言えるでしょう。
学期毎に行った授業アンケートの結果を見ると、「授業全体について:全体としてよく考えられていたか」が春学期5.6、秋学期5.8といずれも7段階で良好な回答を得られています。また、「全体の印象として:役に立ちそうか」も春学期5.6、秋学期5.8といずれも7段階で良好な回答を得られています。その他の回答もおおむね良好でした。また169名のうち1年間で何らかの理由(ほとんどがADSL等の工事が遅れネットワークの利用ができなかった)で退学したものが5名しか出なかったことは特筆されるべきことだと思います。
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図3 2003年度入学者の職業別分布 |
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図4 2003年度入学者の年代別分布 |
6.まとめ
e-Learningを語るとき、曰く「教室がいらない」、曰く「一度に多くの受講生を受け入れられる」といった実施者側の効率の面から語られることが多いです。また、受講者も「いつでもどこでも授業を受けられる」といった利便性をe-Learningの最大の特長と考えているようです。確かに通学生とは違って時間割や教室定員に縛られずに授業を受講できるのは大きな利点ではあるでしょう。実際、通学生では自分が履修したい科目が同じ曜日時限に重なってしまい、どちらかをあきらめなければならないこともよくあることではあるし、人気科目は定員を超えて抽選によって受講者を決めるということも行われています。また、早稲田大学は複数のキャンパスで様々な科目が開講されていますが、キャンパス間が離れているため、移動時間の都合で他のキャンパスで開講されている科目は受講できないこともあります。
しかしながら、私はe-Learningの特長は上述した利便性よりむしろ受講者一人ひとりに細かく対応する個別教育性にあると考えています。個別対応は効率性とは正反対である一方で、より密度の高い教育を可能にします。例えば、通学制の1コマ90分という限られた時間内で講義を行い、その内容に関して学生に対して一人5分程度の意見を求めたとしても、せいぜい数名の学生の意見を聞くのが精いっぱいですが、eスクールの教育システムでは少なくともすべての学生から意見を聴取することが可能です。もちろん教員は学生に密度の高い学習を求める一方で、自らの教育内容もより充実したものにしていかなければならないことは論を待ちません。そして生涯学習というさまざまなバックグラウンドを持つ学生に対する教育を考えるとき、この個別教育性ということがますます重要な鍵となっていくと考えています。
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