人材育成のための授業紹介・経済学
東洋大学経済学部では、欧米等で一般的に行われている「モジュール科目」[1]をモデルとして、経済学基礎科目において「講義」と「演習」を設置しています。経済学科では、これに加え、授業後の時間外学修に、学修支援システム(LMS)を用いたeラーニングによるドリル型反復問題をホームワークとして学生に課し、さらには、理解度や学修意欲の低い学生に対する補習を目的とした「サポートデスク」を設置しています。
筆者らはこうした「講義」‐「演習」‐「eラーニング」‐「サポートデスク」の4段階の学修支援体制を構築し、これまで主に後者三つに関する改善に取り組んできました。本論では、本学科での試みを紹介するとともに、その効果を示します。
本学科は、「標準的経済学の修得を通じた学生の思考力養成」を学位授与方針としており、経済学理論の修得が重要な教育目標です。経済学の基礎教育は、表1のように標準的な教育課程となっています。
従前より1年次選択科目として「基礎数学A/B」と「経済数学IA/B」を習熟度別に設け、基礎的な数学的リテラシーの確保に努めました。さらに教育効果を高めるため、2004年度から選択科目として、講義科目に対応した問題演習を中心とする科目、「演習」(以下、演習と略)を習熟度別に設置しました。演習は、アメリカなどのTAセッションを意識して企画したのですが、本学科では、学生数が多く(1学年平均約275名)、院生が少ないことから、1コース20〜30名程度の少人数教育は断念しました。代わりに、プレースメントテストや先行科目の成績により習熟度別に80〜90名の3コースに分け、各コースに講師1名と数名の学生アシスタント(SA)を配置し、学生15〜20名に対しSA1名となるようにして、実質的な少人数教育を実現しています。また、欧米のTAセッションはモジュール科目として単位は付きませんが、履修促進のため演習には単位を付与しました。現状の履修率は、選択科目ですが、1部は1年生当初で95%、2年生末で85%とほぼ必修化し、2部でも1年生95%、2年生75〜80%と高い値になっています。
表1 1・2部経済学科の基礎科目(2015年度)
☆コース分けは、入学時の数学プレースメントテストによる。
*コース分けは、1年「経済学入門B」の成績評価に対応
※コース分けは、2年春学期「ミクロ経済学」「マクロ経済論」の成績評価に対応
演習では、講義科目の内容に対応した問題セットを配布しています。問題セットは、すべてのコースで同内容ですが、学生の理解度に応じて各コースの教員が問題を選択して使用します。ただし、全コースで行う共通問題を決め、評価の際には共通問題の得点のみを計上することで公平性を保ちます。答案は授業終了時に回収し、採点後翌週に返却します。
受講生は、演習担当教員の15分〜45分程度の事前解説の後、演習問題に取り組みます。その際、教員とSAが教室を見回りながら受講生の質問に対応しますが、SAには受講生に積極的に話しかけ、受講生が質問を容易に出せるように指示しています。また、答案作成時には、受講生間の教え合いや相談を奨励しています。多少難易度の高い宿題も毎回出題され、翌週に提出させ、採点終了後返却しています。
演習の教材作成にあたっては、「受講生が経済理論を再現できるような出題構成」と「経済理論のグラフの描画」を大切にしています。近年の学生の傾向として、図表を正確に読み取り書く力が欠如しています。このような学生にグラフを所与として出題しても効果は期待できず、実際にグラフを描かせて読解力を養成しています。SAを含めた実質的な少人数教育である演習では、答案を通じた指導も可能です。
演習担当教員は、講義科目担当教員と連絡を取り合い、講義科目担当教員からの要望や意見を教材作成に反映させます。講義科目担当教員も、演習担当教員から学生の理解状況を聞き、講義科目の進度や内容に反映しています。学生の理解状況は、演習担当教員だけではなくSAも情報収集の一翼を担うので、講義科目担当教員、演習担当教員、SAは一つのチームとして機能しています。SAは前年度の「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」双方の成績優秀者から、人柄なども加味した上で候補者を絞り、演習担当教員や所属ゼミ指導教員が勧誘することでリクルートしています。
これらにより、演習の受講者は経済学基礎科目の理解度を深めると同時に、思考力などの基礎学力向上に効果が期待されます。
2004年度の演習設置と同時に、演習を補助する目的で、解説動画教材を作成しインターネット上で配信しました。必修科目や演習の担当者は、授業評価アンケートなどから、演習や動画教材は一定の効果を上げていると判断していましたが、学生の多様化が急速に進んだため、学科のFD会合で、学力中位層以下への演習や動画教材の教育効果について強い疑念が表明されました。対応を関係者で検討した結果、数学の理解度が極端に低い学生は、講義と演習だけでは理解が不十分と考えられ、予習や復習の一層の充実と基礎的問題の反復演習が必要と判断されました。
そこで、2008年度末に、「東洋大学経済学部eラーニングシステム」(Toyo university, faculty of Economics, E-learning System略称TEES)を構築しました。2009年度に2部経済学科で試験運用を行った上で、2010年度秋学期から2年次「マクロ経済学演習」を中心に本格運用を開始しました。当初のシステムは、SATT社のFlashをベースにしたオープンソースLMS のAttain3を採用しましたが、2011年度からは、オープンソースLMSとしてより一般的なMoodleを使用しています。コンテンツの作成や掲載、スケジューリングなど様々な面で柔軟で、システム追加も可能など高い発展性を持っています。現在は、問題演習や資料配付だけではなく、ミニッツペーパーやクリッカーの母体としても機能しています。
実施に際して筆者らは、eラーニング使用に関する四つの特徴に着目しました。
1)授業時間外の学修時間の確保が可能。
2)基礎的な反復問題演習の促進が容易。
3)複雑な内容や導出過程を問う事が難しく、内容の全体像の把握が困難。
4)パソコン画面と資料、手元の計算などとの行き来が頻繁になると集中力維持が困難。
これらを踏まえTEESの問題作成では、次の4点を教材作成の指針としています。
1)演習の宿題や講義科目の復習用教材として利用し、授業時間外学修の確保を図る。
2)同内容で数値・パターンの違う問題を1セットとし、その反復で内容の全体像を把握させる。
3)1セット毎に全問正解を学生に課し、反復問題演習をするインセンティブを与える。
4)画面と資料や手元間の視線の行き来をできる限り少なくする。
演習では宿題の一部にTEESを使い、授業時間外の学修時間確保を図っています。TEES上の問題は、簡単なグラフ題を中心に、同内容で数値・パターンの違う小問5〜8問を1セットとし、2セット分を1回の標準的な出題量としていますが、1セット当たりの小問数は、集中力とやる気を削がない程度となるよう心掛けています。また各小問で回答を入力すると、○×のみが表示され正答や解説は表示しないことで、利用者が自ら正答に到達する事を計っています。
以上述べたように、筆者らの試みでは、TEESは当初からそれのみ独立しているのではなく、モジュール的科目である演習の補完として生まれています。このため、eラーニングに対し過剰な期待を抱かず、人間が不可能なことに役割を限定し利用しています。
1部経済学科の演習に関し、次の結果を得ています。[2][3][4]
1)演習での学修活動は、「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」で、すべての成績階層の学生について正の効果、すなわち成績を伸ばしている。
2)演習参加の係数と標準化係数は、どの科目も年度間で大きく変動せず、演習の教育効果は、科目、学生レベル、年度を問わず頑健である。
したがって、講義科目に密接に対応した問題演習、学力別クラス、SAの利用などにより、上位クラスでの「高いレベルの教育」と下位クラスでの「理解度不足の学生への十分なサポート」の両立が一定程度可能となりました。また、副次的効果として、演習を担当する学生アシスタント(SA)の成績も成績優秀者の中で相対的に上昇しています。これらは、演習での学生間の相談や質疑応答、指導等が「一般的なアクティブ・ラーニング」[5]として、経済学の基礎教育での理解度上昇に寄与した結果と受け取れます。
他方、TEES上でのeラーニングについては、興味深い結果が得られました。
1)反復問題演習型eラーニングの試行は、全体的には、「マクロ経済学演習」履修者の「マクロ経済学」への理解に正の効果を与えた。
2)階層別では、eラーニングの試行は、学力上位層には正の効果を与えるが、学力下位層には正の効果が見られない。
近年の大学教育改革の多くは学力下位層を対象としており、筆者らも学力下位層への対応を強く意識していますが、この観点では、2)は否定的な結果とは言えます。対策として、一つ目に、下位層に合ったeラーニングの実施方法の改良が上げられます。二つ目は、演習の脱落者や未履修者へのフォローですが、様々な大学で実施されている「サポートデスク」は、補強手段として有力と考えられます。次節では、まず一つ目の対策を、1部経済学科より学力格差の大きい2部経済学科を対象に見てみます。[6]
2部では、2011年度からTEESを2年次「ミクロ経済論」に本格的に導入しました。学修動機の低い学生に自発的に取り組ませようと、TEESでの提出課題の得点を、最終評価の40%分として加え強い誘因を与えました。これにより2012年度には、「ミクロ経済論」履修者中のTEES利用率は86%となり、学修動機を上げたように見えました。しかし、期末試験での手抜きというモラルハザードが発生し、2013年度から、2部でのTEESの利用法を変更することにしました。
TEESを1年次必修「経済学入門AB」にも導入し、TEESでの得点は2年次科目も含め最終評価の20%分としました。そのままでは演習やTEESに取り組む学生数の低下が予測されたため、時間割編成を工夫しオリエンテーションで演習とTEESを強く勧めました。また、「経済学入門AB」の指定教科書、マンキュー『経済学』の付随問題集を、東洋経済新報社の厚意により、TEESで実験利用できることになりました。
演習の履修率が1年生で50%台、2年生は25%前後と低いことも2部での課題でしたが、変更により、2013年度は1年生の演習履修率は95%に、TEES利用率は94〜97%となりました。この1年生、2013年度生が2年生となった2014年度では、「マクロ経済論」履修者の79%が演習を履修し、82%がTEESを利用しています。2012年度までと比べて、1、2年生いずれも上昇ないし遜色ない値となっています。さらに、2013年度生のTEESと各講義科目の期末試験得点の分析から、以下の結果が得られました。
1)TEESを継続して学修する学生ほど、あるいはTEESの得点が高い学生ほど講義科目の期末試験得点が高い。
2)この学修効果は学力下位層で顕著で、最下位層と最上位層では学修効果に約2倍の差があった。
これらから、成績上位層はもちろんですが、誘因の与え方により、学修動機の低い成績下位層でもeラーニングの利用率向上は可能です。同時にeラーニングには全体的な学力向上だけではなく、下位層と上位層間の学力差改善効果があると言えます。学生間の学力差がより大きい2部経済学科で、上の結果が得られたことは、授業運用や問題構成での工夫に因ると見ています。
第2の対策であるサポートデスクは、2013年度秋学期より、図書館ラーニング・コモンズで開設しました。サポートデスクでは、学生・教員の人数比が演習よりもさらに小さいため、学生個々の学修状況を見ながらの対応が可能です。TEES上の問題を演習担当教員とSA2名の指導下で回答させていますが、TEES問題の利用により、省力化、対応科目との整合性、学生にとっての学修目標の明確化を実現できたと考えています。
対象者は必修科目の中間試験において単位不認定となる点数帯に属した学生ですが、サポートデスクの存在をアナウンスするだけでは来ない学生もいるため、公平性に考慮しながら、必修科目の成績にサポートデスク参加点を与えています。結果として、1部の参加者は延べで学年全体の約1/3〜1/2で、毎回5〜25名の参加者がありました。2部では合計50〜60名、学年全体の1/3程度が少なくとも一度はサポートデスクに参加しています。加点対象者ではない学生の参加も多く見られ、サポートデスクにはオフィスアワーとは異なる需要のあることもわかりました。
学修の成果として、サポートデスクの参加頻度が高い1部の学生は、学期前半から後半、中間から期末にかけて顕著に得点が伸びました。2部でも、参加した学生は期末試験で得点を10%程度伸ばし、数名参加した再履修者も最終的に「経済学入門A/B」の単位を取得できました。
扱う問題がTEESと同じであることを考慮すると、下位層への対応としては、eラーニングより対面教育が有効と考えられます。このことからは、「講義」-「演習」-「eラーニング」-「サポートデスク」という4段構えは、上位層にも下位層にも有益な学修支援体制と言えましょう。
第1に、経済学理論の本質的な理解という面から見たときの演習の適切さがあります。現状は、類題の反復効果により基礎知識を定着させたに過ぎず、本来の目標である学生の思考力養成には至っていないとも言えます。この点は、学生の基礎学力を綿密に特定化し、今後の分析を進めていきます。第2に、講義のアクティブ・ラーニング化です。筆者らはモジュール的科目の始点である講義にも、改善の余地はあると考えています。TEESを利用したミニッツペーパー[7]やクリッカー[8]は、従来一方的になりがちな大規模講義科目に双方向性を持たせようとする試みです。今後さらに発展させ、講義を活性化できればと考えています。
参考文献 | |
[1] | 清水一彦: 日米の大学単位制度の比較史的研究. 風間書房, 1998. |
[2] | 児玉俊介他: eラーニングの教育効果に関する「マクロ経済学演習」における実証研究. 論文誌 ICT活用 教育方法研究, 第14巻 第1号, pp.16-20, 2011. |
[3] | 巽靖昭他: ミクロ・マクロ経済学演習科目の教育効果に関する実証研究. 京都大学高等教育研究, 第18号, pp.11−23, 2012. |
[4] | 巽靖昭・児玉俊介: 経済学基礎学力によるeラーニングの教育効果の相違に関する分析. 東洋大学 経済論集, 38 巻2号, pp.211-220, 2013. |
[5] | 溝上慎一: アクティブ・ラーニング導入の実践的課題. 名古屋高等研究, 第7号,pp.269-287, 2007. |
[6] | 上村一樹他: 経済学基礎教育における eラーニングの学力差改善効果. 第21回大学教育研究フォーラム 大学教育研究フォーラム発表論文集, pp.310-311, 2015. |
[7] | 巽靖昭・澤口隆: 経済学講義の理解度向上を目指したオンライン・リアクションペーパーの開発と実践. 東洋大学 経済論集, 40 巻1号, pp.73-85, 2014. |
[8] | 澤口隆・巽靖昭: バックグラウンド稼働クリッカー(bgClicker)の開発. コンピュータ&エデュケーション, Vol.38, 2015.(掲載予定) |