特集 数理・データサイエンス・AI教育の紹介
椎原 良典(豊田工業大学 工学部先端システム基礎工学科准教授)
藤原 茂喜(豊田工業大学 工学部先端システム基礎工学科教授)
山口 文彦(豊田工業大学 工学部先端システム基礎工学科教授)
三輪 誠(豊田工業大学 工学部先端システム基礎工学科教授)
21世紀はデータの時代であり、センサーやインターネットから収集される膨大なデータが、個人や企業、さらには国家の意思決定や戦略に大きな影響を与えています。そのため、現代におけるデータは石油に匹敵するほどの重要な資源とさえみなされています[1]。この重要性は、自動車製造をはじめとする製造業においても例外ではなく、データサイエンスや人工知能(Artificial Intelligence、AI)といったデータを扱うための学問や技術が、ものづくりの現場で欠かせないものとなりつつあります。例えば、AIを用いた画像処理技術は検品の自動化に早くから活用されており、さらにIoT (Internet of Things)技術と組み合わせた異常検知システムは、製造ラインの生産性向上に大きく貢献しています。今後のものづくりシステムは、AIやビッグデータを前提とし、それらとの有機的な結びつきを考慮して設計・構築される必要があります。
製品そのものも、ソフトウェアとハードウェアの融合体として「ソフトウェアファースト」で設計する必要があります。自動運転機能を持つ自動車や、AIによって環境に応じた動作を最適化する空調機器などがその一例です。さらに、AIを活用して機能するソフトウェアも一種の設計物と見なすことができ、設計自体もAIの導入により高度化が進んでいます。国際競争が激化する製造業において、こうした先端的なものづくりの高度化を実現するためには、デジタルスキルを持つ人材の確保が急務となっています。
本学は、トヨタ自動車工業株式会社(現在のトヨタ自動車株式会社)を起業した豊田喜一郎氏の「社業繁栄の暁には大学を設立したい」との夢をルーツとして、1981年にトヨタ自動車により設立された単学部単学科の私立大学です[2]。その背景には、外国企業の模倣から脱しようと試行錯誤する過程で豊田氏が痛感した研究と教育の重要性がありました。本学は学部生から博士課程学生まで合わせて540人に満たない小規模校(2024年5月現在)ですが、小兵ながらも特色のある、先端的研究活動と個性豊かな工学教育を実施しています。これらの活動を通じて、現代社会が有する様々な課題を解決し、国際社会に貢献できる技術者・研究者を育成することを目標としています。
これまで述べてきたように、データサイエンス・AIに関するリテラシーは、情報技術に関わる人材だけに必要な知識である、とはもはや言えず、先端的ものづくり人材が有するべき必須のものであると言えます。本学ではその重要性に鑑み、データサイエンスを工学の基礎学術の一つと位置づけています[3]。その達成のための一つの施策として、2022年4月から、モノづくり志向型AI教育プログラム(通称、モノづくりAI)をスタートさせました[4]。ここでは、ものづくりを実現する生産設備や、ソフトウェアを内含するハードウェアやソフトウェアそのものを広い意味での設計された人工物、すなわち「モノ」と捉え、それらの高度化を志向するデータサイエンス・AI技術を「モノづくりAI」と呼んでいます。本教育プログラムを通じて、AIを内含したものづくり、AIの利活用によるものづくりの高度化を実現できる技術者・研究者、つまり、「モノづくりAI人材」の育成を目指しています。
本稿では、2023年度にリテラシーレベル、応用基礎レベル、2024年度に応用基礎レベルプラスとして文部科学省から認定を受けた当該教育プログラムの内容と特色ある講義群について紹介します。以下では、まずプログラムの概要と特色を概説し、その後で中核となる講義群について詳述します。
図1は、本プログラムの構成と本学の教育体系との関係を示しています。設立の背景から、本学のカリキュラムは、トヨタ生産方式の学習などをはじめとして、強くものづくりを志向した構成となっています。ものづくりの現場での問題解決にデータサイエンス・機械学習技術による方法を提案・設計・実装できる人材は、データサイエンス・AI・情報技術の素養と工学・工業の実学的知識を併せもった、いわば、ハイブリッド的な知識・スキルを有する必要があります。そのような思想の下に、本プログラムは設計されました。
図1 本プログラムの構成と本学の情報教育および教育体系との関係
リテラシーレベルでは、その修了要件となる講義群を履修することで、データサイエンスやAIが社会に与える影響、応用分野や具体的な活用事例について、特に製造業との関わりを意識しながら理解を深めることができます。また、データの解釈や扱い方についても、基礎的かつ実践的な理解を身につけることが可能です。さらに、データサイエンスやAIを支えるための確率・統計を含む数理的な基礎知識や、初歩的なプログラミングスキルを習得することが要請されています。また、応用基礎レベルプラスに認定されたプログラムは、リテラシーを超えた理解を目指す内容を含んでいます。そこでは、機械学習プログラミングの講義や、製造現場からの実データを用いた演習を通じて、「課題発見と定式化」「データ管理」「モデリング」「結果の可視化」「検証と活用」という一連の問題解決プロセスを実践的に学ぶことができます。また、AIを組み込んだものづくりプロセスを実際に体験することで、製造現場でのAIの活用とそのプロセスに関する実践的な理解も得られます。
本プログラムは、確固とした数学知識・プログラミング技術の下に数理データサイエンスの知識を修めることを本旨として、多くの数学科目・プログラミング科目での単位取得をその認定に際して必須としています(資料[4]の「修了認定について」を参照)。このようなハードルの高い認定条件を通じた質の高いデータサイエンス人材の育成を実現するには、手厚い学習支援が必要不可欠です。具体的には、ティーチングアシスタント(TA)による手厚い指導と大学初年次の寮教育という本学の特色ある取組みによってその実現を図っています。TAについては、全ての構成科目について、最低2名のTAが配置されています。特に、後述する講義科目「データサイエンス実践集中演習」は、学生6名あたり教員1名、TA2名ときわめて手厚い指導体勢の中で実施されます(2023年度実績)。本科目のTAはデータサイエンス系の研究室の修士1年の学生が担当しており、座学では得難い、研究活動で得た問題解決のノウハウを受講学生に丁寧に教授しています。本学では、初年次学生のほとんどが大学敷地に隣接する学生寮で共同生活を送っています。数学・プログラミングを含めた初年次学習を支援するために、同じ寮に居住し1年生の学習をサポートする上級生(学習サポーター)が設置されており、1年生6名程度に1名のサポーターを配した手厚い支援を整えています。また、サポーターには審査があり、その質は担保されています。1年生は寮という生活の場を同じくする上級生に対面で疑問点を質問し教示を受けることでそれを解決し、自らの学習を進めることができる環境が整備されています。単学科単学部という本学の特殊性もあり、プログラムの構成科目をほぼ全ての学生が履修しています(2023年度実績履修率90%以上、選択必修である「データサイエンス実践集中演習」を除く)。
以下では、本プログラムの中核である講義、「情報リテラシー」、「データサイエンス実践集中演習」、「創造性開発セミナー」について紹介します。
(1)情報リテラシー
本科目は全学の必修科目であり、広くモノづくりにおける情報技術の利活用を念頭において、情報技術の基本的な概念と知識・利用にあたっての留意点を学ぶ前半と、幅広い分野における応用事例を学ぶ後半から成ります。
データ・AI活用の基本概念と技術、作業プロセス、創出される価値と社会実装例、発展の歴史、AI利用における注意点などについての理解を得ることで、どの分野に進んだ学生にとっても、近い将来に情報技術を利用・応用していけるだけの素養を身につけることを目的としています。
その形式は、前半は演習を伴う座学、後半は本学の情報関連研究を実施する教員5名と関連研究の第一人者である外部講師2名によるオムニバス講義です。2024年度のオムニバス講義のテーマは、「プロゲーマーに勝つ人工知能」、「深層学習による言語の理解」、「マテリアルズインフォマティクス」、「ヒトの視覚と人工知能の視覚」、「自動運転に使われる人工知能」、「ロボット制御のための人工知能」、「製品開発における機械学習の利用」の7件でした。
(2)データサイエンス実践集中演習
本科目は、春期集中演習として実施される1コマ90分の授業を1日5コマ、計3日間(合計15コマ)実施する演習科目です。モノづくり現場における問題解決にデータサイエンス・機械学習技術を応用できる人材の育成のための実践的な学びの機会を提供することをねらいとしています。
実際のモノづくりの現場における問題解決を受講者に体験させるために、データもものづくりの現場から採取されたものを採用しています。具体的には、あるメーカーから提供頂いた、加工機の暖気過程のトルクセンサから得られた時系列センサデータに正常・異常のラベルを付したデータを利用しています。演習では、このデータを対象とした異常検知について、3名の教員と各グループあたり1名となるように配置された大学院生TAのサポートのもと、3〜4名のグループワークを実施します。
より効果的な演習となるように、演習の前の事前準備として、問題設定の説明・事前学習・グループワーク材料の提供を行っています。まず、問題設定の説明では、可能な限りのリアリティを持って、データの「現地現物」を体験してもらえるように、担当教員が現場を見学して収集したデータ取得環境の写真や動画などを使用した現場の問題設定についての導入教材を作成しました(図2(a)、(b))。受講生は演習の最初にこの導入教材の説明を受けます。また、データも、リアリティや前処理の工夫の余地を残すため、実データからの前処理を最小限に抑えて提供しています(図2(c))。
図2 データサイエンス実践集中演習 (a)ものづくり現場を想定した課題設定を提示するための教材スライド (b)装置を提示する教材スライド受講者に課題解決の現場を意識させる (c)異常検知データセットの例:OKデータとNGデータ (d) TAの指導を受ける受講者の取り組み状況
次に、限られた演習時間を有効に利用できるよう、演習開始前に受講生は、通常の講義では知識が不足しているGitHubの使用方法、Pythonによる時系列データ解析の前処理方法、異常検知のための機械学習と評価、時系列データの可視化、異常検知の手法や評価など、実践的な内容についてJupyter Notebookを用いた事前課題に取り組みます。また、演習の開始時には、異常検知のための機械学習の基本概念について講義を受けます。
最後に、効果的なグループワークに向けて、演習の最初に、ホワイトボードを活用した議論、Googleドキュメントを用いた作業ログ(担当者の割り当てや進捗状況の共有、PDCAの実践)、GitHubを使用したプログラムの共有について説明を受けます。
演習では、データサイエンス・機械学習技術を利用した問題解決の一連のプロセスを体験します。具体的には、データの可視化から始まり、問題解決に必要な特徴量の設計、適切な機械学習手法の選択とチューニング、モデルの評価とエラー解析、さらにモデルの改善までを行います。
各グループは最初に、ホワイトボードを用いて、データの可視化を行い、作業方針について議論を行います。議論の内容と決定事項は作業ログに記録し、それに基づいて個々のメンバーが作業を進めます。教員とTAは、ホワイトボードの内容や作業ログ、そして実際の議論の様子を確認しながら、グループの自主性を尊重しつつ適切な助言を行います(図2(d))。
3日間の演習期間中、グループ間での問題共有と情報交換を促進するため、初日と2日目の演習終了前に各グループの進捗報告を全体で共有し、教員とTAから講評を受けます。最終日には、各グループが成果発表用の資料を作成し、プレゼンテーションを行います。演習終了後、各グループはGitHubのリポジトリと作業ログを整理し、各受講生が演習全体を振り返るレポートを作成し、提出します。
本演習は2022年度、2023年度に実施し、全てのグループがある程度の性能を持つ学習器の構築に成功し、異常データを全て検出できたグループも出ました。両年度とも学生アンケートにおいて学生からの高い評価を得ており、2年連続で本学の「教育優秀賞」を受賞しています。
(3)創造性開発セミナー
本科目は、全学の必修科目であり、グループワークとしてAIを活用した新商品を企画し試作します。ハードウェア・ソフトウェアが協調して動作する統合システムとしての製品開発を課題解決型学習の中で体験します。1つのグループは機械システム系、電子・情報系、物質系と所属分野の異なる学生6〜7名から構成されます。このような異なる背景を持つ構成員からなるグループの中で、課題設定、スケジュール設定や管理、遂行を協調して進め、決められた期限までに試作品を製作することを、受講者に求めます。モノづくりを志向する本学として重要な科目であることから、担当教員4名、TA5名と手厚い指導体制の下で実施されています。
近年の講義運営では「AIを援用した勉学を支援する照明機器の製作」という設定を与えて、受講者はその大枠の中で自由に発想して製作に取り組むというスタイルを試みています。その実現のために、制御用コンピュータとしてのRaspberry Pi、Raspberry Pi用カメラ、マイク、人感センサ、超音波距離センサ等の各種信号の入力デバイス、素子、ディスプレイ、各種モータ、スピーカ等の出力デバイス、構造部材としての3Dプリンタによる造形材やレゴブロックを部材として利用可能です。これらに加えて、ヒンジやギヤ、スイッチ、光ファイバ等の必要な部品を1グループ上限8千円で調達可能としており、受講者が自由な発想をできる限り実現できるような講義設計としています。
授業は隔週金曜午後3コマ(1コマ90分)の全7回構成です。初回授業では、ブレイン・ストーミングによるアイデア出しを体験します。2回目では図3(a)のレゴ等を用いて具体的な構想を練り、3回目の企画発表会で共有します。4回目以後から製作に入ります。3DCADにて機構を設計し、3Dプリンタでの成形や木工を通じて構造を製作します。ここでの作業は、外部信号を取り入れるための電子回路製作も含みます。画像認識、音声認識等のAI機能の実装にOpenCVやJulius、Pytorch等を活用しています。
図3 創造性開発セミナー
(a)製作過程 (b)成果物の一例としてのAIを援用した勉学支援ロボット
画像認識を元に手を避けて照明を照らすようにロボットアームが動作する。
試作完成後、3分のプロモーションビデオを作成し、試作品を動作させながらの最終発表会をグループ対抗で実施します。図3(b)の例では、ロボットアーム先端に照明を付け、カメラで認識した手を避けて照明を動かし手元を照らす仕組みとなっています。このように、AIによる判断に応じて動作するメカを試作する経験を通じて、AI技術を要素とした新しいモノづくりへの理解を深めることを目的としています。
製作にあたっては、生成AIの利用を積極的に促しています。狙いは、ものづくりの過程における生成AIの有用性を実践から認識することです。最も多い用途はプログラム生成ですが、受講者は、商品名や機能、機構設計といった製品のアイデア出しの他に、デザイン、ロゴ、アニメ動画、音声合成等、多様でユニークな取組みを自らの発想の下で実施しています。
本学はトヨタ自動車株式会社の社会貢献活動の一環として設立されたという経緯から、トヨタグループに留まらない様々な製造業各社から社会人学生を受け入れています。前述のデータサイエンス実践集中演習には、そうした社会人学生が多く参加しています。このことは、データサイエンスに製造業の高いニーズがあることを示しています。今後も、モノづくりを志向した本教育プログラムについて継続的な改善の取組みを実施し、よりプログラムを洗練したものとすることを通じて産業界が渇望する高度なデジタル人材の育成を目指します。
参考文献および関連URL | |
[1] | 総務省:「平成30年版 情報白書」(Web版、 https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h30/html/nd102100.html). |
[2] | 豊田工業大学HP:「大学設立と沿革 (https://www.toyota-ti.ac.jp/about/profile/history.html). |
[3] | 豊田工業大学HP:「カリキュラムポリシー」 (https://www.toyota-ti.ac.jp/academics/policy/curriculum.html) |
[4] | 豊田工業大学HP:「【工学部 先端工学基礎学科】モノづくり志向型データサイエンス AI教育プログラム」 (https://www.toyota-ti.ac.jp/academics/gakubu/monozukuri-ai_top.html). |