巻頭言

インフラとしての情報環境の構築


奥 島 孝 康(早稲田大学総長)



 早稲田大学は、最近、各国の大学との間で学術交流協定を急速に締結してきている。私が総長に就任したときには海外協定校は30校にすぎなかったが、1期目の4年間で80校となった。今後さらに海外協定校の数を増し、早急に200校程度にもっていきたいと思っている。いうまでもなく、これを軸に、「ヒューマン・ネットワーク」の輪を拡げていきたいと考えているからである。事実、これによるワン・イヤー・スタディ・アブロード・プログラムで留学に出る交換学生の数は飛躍的に増加してきている。
 こうした交流協定締結のため外国の諸大学を歴訪して気づいたことがある。それはアジア各国におけるコンピュータ教育熱のすさまじさと、携帯電話の爆発的普及ぶりである。これは、いまアジア各国がコンピュータ教育に全力を挙げておかないと、欧米にキャッチ・アップどころか、ますます格差を広げられかねないという一種の危機意識のせいであろうし、また、携帯電話の爆発的普及は、これまでのように電話回線網の敷設というインフラ整備の必要がなくなったためであろう。
 いずれにせよ、最近のアジア各国の情報化の急速な進展はまことに目を見張るものがある。とりわけ、韓国や台湾の大学などを訪問すると、少なくとも、情報化に賭ける教職員学生の熱意には圧倒される思いがする。マハティール首相1人ではないのである。早稲田大学でも、アジア太平洋地域を中心として、ヒューマン・ネットワークとメディア・ネットワークとを同時並行的に進行させるべく努力を続けているが、コンピュータ教育熱においてはかなりの意識格差を自覚しないわけにはいかない。
 つい最近まで、大学教育においては、コンピュータ教育は手段的側面が大きかった。しかし、今や教育そのものがディジタル化する時代に突入しているのである。コンピュータ教育そのものが問題なのではなくて、教育のコンピュータ化が時代の要請となってきているのである。その意味で、アジアの諸大学では、コンピュータ教育熱は過熱化している状況にあるにもかかわらず、教育のディジタル化はこれからの課題にとどまっており、そこに欧米との格差は依然として存在する。
 翻って、わが国の現状を見ればどうであろうか。否、それよりも、わが大学の現状はどうであろうかと考えたとき、私は慓然たる思いを禁じ得ないのである。それは、教員がコンピュータに強い弱いの問題ではない。それどころか、そもそも一定年齢以上の大学教員には、情報化に対する理解すらも欠けているのではないかという危惧の念さえも完全には払拭できないのである。
 いま早稲田大学では、全学の情報環境のバージョン・アップを一斉に進めている。今年が3年計画の完成年度に当たるが、これがわが大学の当面の対応である。つまり、情報化時代の教育は、いかにあるべきかを考えているよりも、もともと情報は研究教育のインフラなのだから、高度な情報環境を構築し、その環境のもとで教育を進めていくことのほうがはるかに大切であると思われるのである。教育のコンピュータ化は、そうした環境のもとで教育が行われているうちに自ずと回答が得られるのではないか。それでは楽観的すぎるであろうか。楽観的であるにせよないにせよ、事態はすでに歩きながら考えねばならないところまで進んでいるのである。


【目次へ戻る】 【バックナンバー 一覧へ戻る】