体育学・スポーツ科学の教育
スポーツ科学における運動の情報処理
小 林 一 敏(中京大学体育学部教授)
1.はじめに
身体運動は、生体の生理的機能の拘束を受けながら、知覚情報にもとづいて、物理現象としての運動の力学的合目的制御を行っていると考えられる。このような制御能力を運動技能と呼ぶことにする。スポーツ科学の重要な課題として、運動技能を向上させるための客観的情報を体系化したもの(運動技術)を、運動者が制御情報として認識し易い形に変換して伝達する方法(運動指導法)の開発がある。
このために必要となる身体運動の測定にはVTR等による画像記録を用いることが最も多いが、この方法は分析に多くの時間がかかり、また、速度、加速度を画像から求める過程に微分演算を含むため、分析の精度を高めることが難しいという基本的問題があった。また、試技者にとっては、日数がたった後で分析結果を見ても運動感覚の記憶がうすらいで内容が実感として分かりにくい欠点があった。またランニングの着地衝撃や、その際の関節の変形のように高速かつ微小な変形や変形速度の計測、あるいは水中における動作の計測等も通常の画像分析では不可能である。
一方、画像を用いない運動計測センサとして加速度計がある。よく知られるように、加速度を積分すれば速度が得られ、その速度を積分すれば変位が得られる。しかし、そのために必要な積分の初期値は多くの場合は不明確であるが、特殊な条件や方法による解法が開発されている。また加速度計の検出信号には、並進加速度、遠心加速度、角加速度、重力加速度が混在するため、目的の信号を分離する方法についての研究が必要である。電気計測による信号をコンピュータ処理する方法は、運動者に対して運動の状態を、たとえば音響情報として、運動の過程の中でバイオフィードバックできる可能性があり、今後の運動指導法として有効性が高いと考えられる。
本報告では、このような問題に関して従来の画像分析に加えて、新しい半導体センサ等種々の電気計測装置とコンピュータを利用した運動情報の処理の試みを、実施例により紹介する。
2.ゴルフスイングのクラブの速度と地面反力の関係
ゴルファーがスイングできるのは地面と足の間に回転力が生じ、それが腰から順次肩を経てクラブの回転運動に移行する結果であるが、身体やクラブの回転運動は、その反作用として地面反力の中に情報として含まれていると考えられるし、スイングの成果はクラブの速度の時系列の中に情報として含まれていると考えられる。地面反力の中の回転力はフォースプラットフォームにより、また、クラブの回転速度は、シャフトに装着した2個の軽い加速度センサの信号処理により電気計測され、ともにコンピュータに取り込まれる。モニターの上に、縦軸に脚の回転力をとり横軸にクラブの回転速度の二乗をとり、同じ時刻のトルクと速度を座標平面の点の座標として表して、スイング始めから終りまでの点を順に結んでいくと、スイングごとに原点から出発して、2次元平面上を回転力と速度の変化過程の違いにより、色々な広がりやカーブを描きながら原点に戻る曲線(位相図)ができる。
この実験は修士論文のために行われたが、被験者の中に3名のプロゴルファーも参加していただき、それぞれ特徴のある曲線が描かれた。驚いたことに、曲線の意味と自分の動作との関係を理解して、例えば「曲線のこの部分をもっと丸くふくらむように打ってみよう」と言って試打すると、前の曲線の上に指示通りの新しい曲線が重ね書きされ、さすがプロと感心させられた。打つたびに興味深くモニターをのぞき込んでいたプロの姿が印象に残っている。
3.ハンマー投げの曲率半径の推定
ハンマー投げは投擲者が、直径2.13mのコンクリート製のサークルから、7.26kgの鉄球にピアノ線と把手のついた長さ117.5cmのハンマーを回転運動と並進運動を伴った運動を行いながら遠くへ投げる競技である。この回転運動で、一流選手の場合ハンマーには 400kgf前後の強い遠心力が生じる。ハンマーのスピードは大きく保ちながら、動作を不安定にする遠心力をなるべく小さくしようとする目的で、従来からハンマーの回転半径(正確には曲率半径)が小さくならないような動作が、技術的に重要であると言われていた。
この動作の力学的研究のために従来から画像による2次元ないし3次元分析が行われていたが、分析に多くの時間がかかるので試技者にとっては運動記憶がうすらいでしまうことと、カメラの位置と回転するハンマーの位置に関係する周期的な誤差変動のため、分析結果が実際の運動感覚と違ったものになるという困難な問題もあった。
運動のコーチィングのための運動情報は、運動試技中に与えることが望ましい。このために、まずハンマー投げで必要とされる各種の力学量を電気計測により測定することを試みた。この実験は現在のハンマー投げの日本記録保持者の修士論文に関連して行われた。測定器としては、500kgf以上の力を測れる小型張力計を自作し、動的状態におけるキャリブレーションを正確に行った。また角速度を測るために超小型IC加速度センサを用いた精度の高い角速度センサも自作した。
この方法により、先行研究に比べはるかに高い精度のデータが短時間で得られたので、バイオフィードバックを可能とする計測システムに向かって研究を進めたいと考えている。
4.シューズの適合性の評価
ゴムの靴底におもりを落下させたときの衝撃によって緩衝性を見ようとするテストでは、衝撃力に10倍も差がある靴底でも、人間がこれを履いて着地の衝撃力を測る実走テストでは、衝撃力に統計的に有意な差が認められない場合が多い。軟らかい走路に硬い走路を接続し連続して走行させたときの衝撃を、足首に装着した加速度センサで計測すると、境い目で急変するが、2〜3秒で元の水準に戻ってしまう。これは靴や舗装材の緩衝特性が変わっても、個人が最適と感じる固有の心理的強度の水準を保つように、調節動作を行っているためと考えられる。
このように、運動用具の特性は、用具だけの力学的実験だけでは分からない。また人間の使用感をアンケート調査しても、ほぼ一般的傾向があるだけで、個人のための適合性の選択基準は得られない。また、人間が使用した状態の力学量を測っても、人間の最適制御のために単純な解析法では適合性を把握し切れないことがわかる。
5.おわりに
運動情報の処理には、センサのアナログ信号をオペアンプ等で処理した後でAD変換器でディジタル信号に変換し、オンラインでコンピュータに取り込む場合が多い。近年はICメモリーを用いた振動に強い小型データレコーダも市販され、さらに超小型コンピュータも開発されてきたので、運動者に装着した状態で使用できる可能性が増してきた。この面の研究の発展が期待される。
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